丹沢・大山 歴史街道ものがたり デジタルアーカイブ

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歴史と文化 ~信仰の山に集う人々の想い~

大山参り

 江戸時代の大山参りは、山頂に祀られた石尊社と中腹の大山寺を対象に行われていた。大山参りの人々は行者とも呼ばれ、白の行衣、菅笠に手甲、脚絆、着茣蓙(きござ)を背負い、腰に鈴をつけ「六根清浄」の掛念仏を唱えながら大山道を歩いた。この場合、遠方の講社は代参(代表による参拝)が多く、近くの講社は総参りによる登拝が中心であった。

 慶安元年(1648年)の「和令分類」によれば、江戸町人の派手な大山参りを戒める記述もみられるが、庶民の大山信仰は益々盛んになっていったとされる。この大山参りは、夏山(旧暦 6月27日~7月17日:現在の7月27日~8月17日)や春秋(2回)、それに節分を中心に行われ、近郷の村々からは、若者による裸詣りの風習もみられた。

 この裸参りは、主に高座郡(相模原、藤沢等6市と寒川町の範囲)の人が、肉襦袢に股引、白足袋の出で立ちで、鉢巻きと腰には鈴をつけ、夜通し走って登拝するもので、3~4人が組になり、大山には朝の3~5時頃(薄明かりの頃)に到着したという。正月の3ヶ日や節分時、夏山の時期にみられたという。


●夏山の期間の呼び方

初山 : 6月27日~6月晦日(現在7月27日~7月31日)

七日堂: 7月1日~7月7日(同8月1日~8月7日)

間の山: 7月8日~7月12日(同8月8日~8月12日)

盆山 : 7月13日~7月17日(同8月13日~8月17日) 

*13日~15日を盆山、16~17日を仕舞山ともいう


 不動堂から山頂の石尊社へ向かう本坂入口には木戸(登拝門)があり、この木戸は通常閉じられ、夏山の時期の初日に、日本橋小伝馬町の講中である「お花講」(大正時代のお花講は、造花の赤い花を持ち、途中銭を撒きながら登拝したとされる)により開扉されるが、元禄以前から続くこの開扉の儀式は現在も続いている。

大山を登る人々の様子(歌川豊国)

 この頃の記録として、新編相模国風土記稿を読むと、「例祭六月二七日より七月一七日迄、二〇日の間なり、其間諸國より参詣の者甚多し、此山頂は常に山外の人、登る事を禁ずれど、祭禮中は許して社前に至らしむ〈祭禮中も女人は禁ぜり〉」と書かれている。

 このように江戸時代は、通常下社(当時の大山寺不動堂)まで登拝でき、上社(当時の石尊社)は入山が禁止されていたが、夏山の期間のみ入山が許可された。なお女人は下社まででそれより上への入山は禁止されていた。大山に自由に入山できるようになったのは明治以降のことである。

 坊入りにあたり、各御師は門前に講毎の「まねき」(講の名を記した木の札や布)を竹竿や軒先に掲げ、一般に午前中に到着した講中は、御師宅で一服した後登拝し、1泊して翌朝帰郷する。また夕刻に到着した参拝者は、その日は登拝せず、翌朝登拝した。いずれも御師の神前でお祓いを受け、行衣に鉢巻き、登山杖を使い登拝した。また登拝に弁当が必要な場合、御師は下社前の茶店に弁当を届けていたが、各講中はそのため独自の弁当箱を揃え、それを御師宅に預け使用していた。

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 また登拝の前の禊として、大滝、新滝(愛宕滝)、良弁滝、元滝などで心身を清めた。落語の「大山詣り」にも見られるように、江戸時代の大山参りは江ノ島参りと一体となったいわゆる周遊型の参詣で娯楽も兼ね備えていた。また御師宅で賭事を行う人も見られ、こうしたことを楽しみにしていた人も少なくなかったとされる。