大山の歴史略年表
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和 暦 |
西 暦 |
記 事 |
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約5000年前 |
昭和35年(1960年)の発掘調査により、大山山頂(黒土層)より縄文時代後期中葉の加曽利B式土器片約60点が出土 |
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天平勝宝7年 |
755年 |
東大寺初代別当良弁僧正(華厳宗)による大山寺創建、勅願寺となり相模・安房・上総を寺領とする |
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延長5年 |
927年 |
延喜式神明帳に阿夫利神社が相模国十三社の一つとして列座する |
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元暦元年 |
1184年 |
源頼朝、先例に任じ大山寺に高部屋郷水田5町歩、畠八町歩を安堵(寄進)する |
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建久3年 |
1192年 |
源頼朝、政子の安産祈願のため大山寺に神馬を奉納する |
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建久3年 |
1192年 |
後白河法皇の四十九日供養に大山寺より3人の僧が臨む |
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建保2年 |
1214年 |
源実朝、大山寺に丸島郷の五町二段を寄進する |
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文永の頃 |
1264年~ 1275年 |
真言僧 願行房憲静(がんぎょうぼうけんじょう)上人(当時58歳)大山寺を復興する。本尊鉄造不動明王、二童子像を鋳る |
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弘安9年 |
1286年 |
称名寺第2代長老 剱阿(けんあ)、京より楽師を招き大山寺で舞楽曼荼供式を行う |
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正安7年 |
1351年 |
足利尊氏が丸島郷を大山寺に寄進する。その後関東管領の信仰が続く |
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文明18年 |
1486年 |
「廻国雑記」を記した天台宗本山派の中枢聖護院門跡道興(どうこう)准后、全国廻国にあたり、大山にて一詩・一歌を残す |
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室町末期 ~戦国期 |
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世情混乱し、外部からの侵入者や修験勢力が台頭し山内の荒廃が進む |
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天正17年 |
1589年 |
豊臣・徳川の小田原攻めに際し、大山修験は後北条方に加勢し山中城で戦う |
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慶長10年 |
1605年 |
徳川家康が大山において慶長の改革を行い、新たに實雄法師を別当に任じ、碩学領五十七石を賜る |
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慶長14年 |
1609年 |
同様に寺領百石を賜り、山上に供僧十一坊が置かれる |
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元和元年 |
1615年 |
春日局、将軍秀忠の代参として大山に参詣する |
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寛永17年 |
1640年 |
3代将軍家光が大山寺再興のため梵鐘を納める |
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万治4年 |
1661年 |
東海道藤沢宿の四ツ谷に大山「一の鳥居」と道標が建てられる |
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寛永20年 |
1643年 |
春日局が大山寺に参詣する |
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寛文6年 |
1666年 |
大山川の氾濫により、翌年子易の土地を取得し新町が整備される |
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元禄16年 |
1703年 |
第六世別当開蔵法印により大山能が興る |
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元文4年 |
1739年 |
木食五行上人(二十二歳)が大山不動に詣り仏門に入る |
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宝暦元年 ~宝暦3年 |
1751年~ 1753年 |
この時期、大山への参詣が最高潮に達したとされる |
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寛政4年 |
1792年 |
心蔵著「大山寺不動霊験記」が刊行される |
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寛政7年 |
1795年 |
銅造の宝篋印塔が建立される |
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安政元年 |
1854年 |
安政の大火により大山全山が焼失する |
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明治元年 |
1868年 |
明治の新政府が神仏分離令(神仏判然令、神仏判釈令)を発布し、廃仏毀釈の動きが激しくなる |
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明治6年 |
1873年 |
不動堂が来迎院の地に移り、その跡に阿夫利神社下社が建てられる 権田直助が阿夫利神社の祗官となる |
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明治9年 |
1876年 |
不動尊大堂の再建に着工する |
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明治17年 |
1884年 |
不動堂の上棟式が営まれる |
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明治18年 |
1885年 |
不動堂の入仏式が営まれる。こうして大山寺は明王寺として、女坂の旧来迎院の地に再建される 大正4年(1915年)明王寺と観音寺が合併し、「雨降山大山寺」の旧号に戻る |





