丹沢・大山 歴史街道ものがたり デジタルアーカイブ

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歴史と文化 ~信仰の山に集う人々の想い~

鎌倉時代

 鎌倉時代になると、時の中央政権による庇護を強く受け、吾妻鏡元暦元年(1184年)9月17日の条に、「大山寺の寺領として高部屋郷の水田五町歩と畠八町歩を先例に従い安堵する」とある。また建久3年(1192年)5月8日、後白河法皇の四十九日の供養のため、大山寺より三人の僧侶が臨むよう命じられ、更に翌年の建久4年3月には、後白河法皇の千僧供養に加わることを命じられている。なお建久3年8月9日には、北条政子が安産祈願のため大山寺に神馬を献上している。

 その後、大山寺は一時衰退するも、文永11年(1274年)、中興の祖である願行房憲静上人により、鉄造の本尊不動明王と二童子像が祀られ山内の伽藍が再び整えられる。


●新編相模国風土記稿によれば次のような記述が見られる。

「鎌倉胡桃谷大樂寺住持願行、當山に参詣して山中房舎等、都て荒廃せしを見、再興の志願を発し江島辨財天に祈て金を得て本尊を鋳造し、且殿堂門廡に至る迄造営して舊に復す、故に願行を中興開山とす」との記述が見られる。


●不動明王像

像高97.9cm(総高287cm 8尺7寸、重量130貫 約480kg) 脇侍に二童子立像を従える