新町

その名の通り新しく作られた町であり、江戸時代の寛文6年(1666年)7月に発生した大洪水被害のため、子易村との土地交換(3,173坪余り)をもとに作られた。
町内には、上町の馬場と呼ばれる平坦地があり、当時は乗馬や村芝居に利用されていた。
―「相州大山案内記」より新町についての記述―
鳥居をくぐれば新町に入る。行くこと僅かにして二つ橋あり。
二つ橋
古は板二枚を渡しかけたればかくよべるなりといふ。水は大久保より来る。文明年中、准后源道興此の橋を渡りて首せり。
おほつかな 流れもわかぬ川水に かけならべたる 二つ橋かな
此の付近の地一帯を亦二つ橋と呼ぶ。橋畔に稲荷の小祠あり、之より左に巡査駐在所を見て登れば同じ側に竹本旅館あり。更に新玉橋を渡れば別所町なり。
参考:大山の大正時代-関東大震災の被害-
大正12年9月1日、関東地方を襲った大地震は、大山地域においても同様に大きな被害をもたらした。大山地域では、当日の地震に伴う火災発生の記録などはみ あたらないが、2週間後の9月15日にそれまでに降った大雨が原因で山津波が発生し、その結果、山崩れにより家屋流失など甚大な被害が発生している。この時の家屋倒壊などにより旅館業を廃業したものもあったと記録されている。





