丹沢・大山 歴史街道ものがたり デジタルアーカイブ

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大山道と街並み ~江戸から続く参詣の道~

大山道の形成

 大山の周辺では、かつて春山(4月5日~4月20日)や夏山(7月27日~8月17日)の時期に多くの参詣人が大山を目指し徒歩による登拝を行った。そのため各地区から大山に向かうルートが形成された。こうした大山へ向かう参詣の道は"大山道"とも呼ばれ多くの人に親しまれてきたが、これら主要な大山道のルートをまとめてみると次のとおりである。


 まず、江戸からの参詣の道の一つとして"矢倉沢往還"が挙げられる。往還とは、行き来するといったことや街道を意味する言葉で、この矢倉沢往還は、江戸城の赤坂御門を起点に、箱根の北に位置しかつては関所があった矢倉沢へと向かう街道であり、途中で青山、三軒茶屋、多摩川を超え川崎に入り、二子の渡しと溝の口を通り、更に荏田・鶴間を経て、相模川を越え厚木へ、そして大山のふもと伊勢原へと至るルートである。

 なお、この矢倉沢往還は、その先の矢倉沢を過ぎ足柄峠を越え、甲府や沼津方面に続いていた。現在の国道246号線は、かつての矢倉沢往還に代わり、東京と大山地域をつなぐ現代の新たな広域連絡(幹線)道路として位置づけられる。


 東海道方面からは"田村通大山道"が挙げられる。この道は東海道の藤沢四ツ谷から分岐し、高田、一ノ宮と進み、相模川の田村の渡しを経て横打、下谷、伊勢原、石倉追分、明神前、子易そして大山に至る道である。

 四ツ谷の入口には天狗面が掛けられた石造の鳥居(「一の鳥居」)が建てられている。この鳥居は、万治4年に木製の鳥居として建立され、その後幾度となく修復され、最近では昭和35年に復興整備され、その際、鳥居正面に天狗面が取り付けられたとのことである。


 また、同様に東海道方面からは"柏尾通大山道"が挙げられる。この道は、東海道戸塚の手前不動坂より分岐し、柏尾より岡津、和泉、長後、用田、門沢橋と進み、相模川の戸田の渡しを経て、下津古久、下落合、下粕谷に向かい、その後は矢倉沢往還を利用し大山に至る道である。柏尾通の起点は不動坂と呼ばれる所で、そこには数多くの道標や石碑が立ち並ぶ。また明治5年頃には、「戸塚の血の雨」と呼ばれた講衆同士の大乱闘が起きた場所でもある。


 さらに信濃・甲州方面からは、"蓑毛通大山道"が挙げられ、これは須走口、御殿場、竹ノ下、足柄峠、矢倉沢、関本、松田、渋沢(曲松)、田原、蓑毛を経て大山へ至る道である。


 次に武蔵方面からは、"八王子通大山道"が挙げられ、熊谷、東松山、川越、狭山、福生、拝島、八王子、御殿峠、橋本を経て、相模川で田名の渡し、中津川で才戸の渡しを使い、萩の、岡津古久、富岡、石蔵、大山子易明神前を経て大山に至る道である。


 この他、"六本松通大山道"、"羽根尾通大山道"、"二ノ宮通大山道"、"津久井通大山道"など各地に多くの大山道が形成され、また武州久岐郡洲崎村の野嶋浦と上総国周准郡富津村間の"渡海船(金沢と房総の通航)"は、海からの参詣コースとして知られていた。