坂本町

大山地区の最高の地であるとし、町の中央に追分社があり、八意思兼(やごごろおもいかね)神を祀る。この追分社は、以前は 前不動と呼ばれていた所で、明治維新の神仏分離により現在の形態になったとする。追分社を境に道は二手に分かれており、山頂に向かって右側は拝殿道(俗称男 坂)、左側は明王寺道(俗称女道)と呼ばれる。
またこの地区は、木地師や箱師(札製作者)が多く住んでいた所で、現在でも一部の土産物店にその面影が残 る。なお清滝(きよめ滝)四滝の一つ元滝は、今でも絶やすことなく水を落としている。
―「相州大山案内記」より坂本町についての記述―
古の名を其の儘の町に入れば右側に歓喜楼あり、幾多の噴水家を囲みて清涼比なし蕎麦、心太は此の楼獨特のものにして年々京濱人士の賞賛を博す。更に登れば瀧あり、元瀧といふ。
元瀧
高さ一丈三尺、巾一丈餘、水頗る清烈にして涼亦甚だ深し。瀧の上に不動の石像を安置せるが故に又不動瀧ともいふ。全山清瀧四ヶ所(大瀧、新瀧、良辨 瀧、元瀧)の中最も上に位し、本坂に近きを以て登山者は多く此の瀧によりて身を清む、境内に瀧之宮神社あり、もと飛龍権現と稱せしもの是なり。瀧守は武榮 太夫氏なり。





