丹沢・大山 歴史街道ものがたり デジタルアーカイブ

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大山灯籠の光 ~旅を紡ぐ灯火の暖かさ~

まとめⅠ

 今回、小稲葉地区の4ヵ所の大山灯籠行事を調査させて頂いて、次の事に気が付きました。1、4地区の灯籠行事は、江戸期から引き継いできた大山石尊・天狗信仰の「講中(信仰集団組織)」が原形であろうことは想像できた。

 沖小稲葉では上組(かみぐみ)と下組(しもぐみ)の二つの講があったようだ。このことは、懇談会中に、「講があった頃は、年中行事となっていたので皆楽しんでいたよ!」と集まって頂いた沖小稲葉の最高齢の方がおっしゃっていたので、理解できました。多分、ご自分の少年の頃(戦後の昭和20年頃)のお話しと伺えた。

 これに対し、下小稲葉の灯籠行事を継承、保持されている方からは「講って何? 灯籠行事は子どもの頃、父親から、『藤沢、横浜の方々の大山参りの道案内で灯籠をつけている。』と聞いているが・・・。」と言うお話がありました。昭和も60年代に入ると「講中」も解散し、灯籠行事は自治会組織に移って行った頃であろうか。

 この話(藤沢・横浜など近在の講組織の大山参り)は、小稲葉地区の大山灯籠行事に関し、私たちが聞いてきた、江戸や関八州からやってくる参詣者の大山道(青山道や田村道等)から外れており、本当に道案内で灯したのであろうか、つまり「献灯」の意味が大きいのではなかろうかと言う疑問に答えてくれました。

 その後、近在の方々は、農作業が終了した夕方から大山参詣に向かったと言う話を郷土史研究の先輩方からお聞きした事で、納得した。夜になって出発する近在の参詣者の為の灯籠が平塚市城所から伊勢原市の小稲葉辺りに続いており、田圃の中に仄かに灯る灯篭の光を頼りに、近在の農民は大山に向かったのだと言う。山頂まで行ったのか、今の下社辺りまで行ったのかは、分らないが「祭り」にも夜祭があるのだから、夜の大山参詣もあっても良いであろう。

 この事に関し、平成27年10月初旬のある会議の休憩時、田中米昭氏(郷土史家。伊勢原市東大竹在住。前伊勢原郷土史研究会々長)より、大山開き(盆山)中、父親に連れられて、夜、大山に登った経験があると言う、耳寄りなお話しを伺う事が出来ました。
 既に、80歳を越えられている田中氏の子どもの頃の話で、それも戦争が終わって3年目、旧制中学2年の頃(13,14歳?)との事である。父親と一緒に、夜、22時頃、東大竹を出発し、大山山頂に到達したのは真夜中の2時。それから、日の出迄2時間ほど待ち、日の出を拝んで4時頃から下山をはじめ、東大竹に戻ったのは10時頃だったと言う。

 田中氏のお父さんは伊勢原生まれで、昭和の初めころ東京に出て米屋を始めた。戦争で怪我をして伊勢原に帰り、人生について、考えることも事も多かったのであろうか。「盆山に登ろう!」と息子を誘ったのはお父さんからだったと言う。田中氏は、今思えば、父親は、子どもと一緒に大山に登り、『大山不動霊験』にあるように、「息災延命」「寿福延長」という「願い」を祈願したのかもしれないと述懐されている。
 『大山不動霊験記』と言うのは、寛政4(1792)年、「家門繁栄・息災延命・寿福延長・現当二世諸願成就」を願って出版されたと言う。作者は大山寺養智院前住 心蔵和尚で、信仰心の篤いもの者同士が資金を出し合い、46部(1部は15巻131話より成る)出版された。その後、この『霊験記』を持つことにより、現当二世(現世と未来の二世)のご利益を得ると言われている。
 このような大山登山は、田中氏のお父さんが突然思いついたものではなく、長い伝統があったからと思われます。田中さんは「これは、地元の人に聞いた訳ではありませんが、地元の人が盆山に夜登るのは、農作業が一段落した頃の盆行事との関わりがあったかもしれないと思っています。」と子どもの頃を思い出しながら語ってくださいました。

 とすれば、横浜、藤沢に至る大山近在の村々では、野良仕事を終え、夕食後から盆山の大山参詣に、山頂を目指したと言う話は真実と思われます。村を出た参詣者は、場所場所で、田圃を越え、遥か遠くに、小さく、狐火のように光っている灯籠の灯が「大山灯籠」であることを知っており、それがだんだん、大きくなり、己の行く先を案内してくれたのであろう。田中さんは「現在、子どもたちは事故が怖いので、学校では大山登山をしないが、大人と一緒に行動する事で、その経験が、後の成長に大きな影響を与えてくれたと思っている。」と述懐されています。伊勢原の竹園学区では、昭和60年頃まで、小学校高学年の遠足の目的地は大山山頂であったがその後、実施されているかどうか分らない。

 これと同じように、成長の一区切りとして、大人が未成年者と一緒に霊山に登り、共に苦しさを乗り越える儀礼的な登山行事は日本全国、あちこちに見られるのではないだろうか。報告者の生地、山形県置賜地方では20歳になると地域の大人達が霊山「飯豊山」か「羽黒山」に連れて行き、無事下山すれば立派な大人として認めてくれ、翌年の春になると、雪解けの「山奥」でしか採れないと言う「笹筍」取りに誘ってくれたと言う習慣が残っています。しかし、小稲葉地区の「大山灯籠行事」の伝統はこれだけではなさそうだ。