東大竹(千津)地区(経緯)
「むかし、近所にあった灯篭について」 田中米昭氏(復元時自治会長)の回想
この灯篭は現在、葛貫駐車場にあります。昭和50年代からこの地区は区画整理をやって平成2年に完成しました。その時私は自治会の役員をやっていて取り壊す予定の集会所の隅に壊れた大山灯篭があるのを見つけました。
自治会長に聞くと「もう要らない」というので、貰い受けて自宅に持ち帰り物置に入れておきました。それから約20年経った頃、何かの折に葛貫さんと雑談の際に灯籠は葛貫さんの家にあったものと分かりました。これが何故集会所にあったかは不明ですが、おそらく、灯籠は立てられることも点灯されることもなく集会所に放り込まれたまま、壊れてあったものと思います。
葛貫さんは返してほしいというので、それなら紛失していた屋根を復元、修理して渡すということで、葛貫さんは元の場所に丸太の柱だったのを石柱で作るということになったものです。
その頃、実際に灯篭に火を入れたという古老の話を聞きました。盆山が始まる頃に柱を建て、灯篭を載せます。柱の高さは灯籠を載せて成人の顔のあたりに来るくらいだと思います。(これは私の記憶で、夏山が終わると、しまったのでしょう)
日の暮れ方、当番は灯油(菜種油か)を持って、灯油皿に補給し火をつけてくると夜明けまでもったといいます。現代では灯篭の形はあるものの、光源は電気・ローソクなどで、石油製品でない灯油の穏やかな明かりでは明度不足かもしれません。また、現代人の頭では光源として灯油は思い浮かばないでしょう。電燈はとにかくローソクでは天井が焦げてしまいます。
もうひとつ注意しなければいけないのは、灯籠の立つのは暗い道端でおぼろげに分岐が分かるような場所だということでしょう。むかしは闇が今より深かったですから灯油の明かりが心強く明るく見えたのでしょう。こうして夜明けに自然に火は消えて次の人が暮れ方にまた給油し火をつけることになります。この当番も集落によって違いがあると思います。
わたしが子どものころ灯籠が点いていたのを見たことがありますが、周りのシメ縄が有ったかなかったか、あったような気もするし、なかったかもしれません。はっきりした記憶はありません。以上大山灯篭について、お役にたつかどうか思い出したことを記しました。
平成23年8月19日夜 田中米昭





