神奈川県立の図書館

企画展示関連講演会兼文字・活字文化の日記念講演会「蔦屋重三郎の仕事と江戸時代の書籍文化」を開催しました

公開

会場の様子_講師鈴木先生11月1日(土曜日)、神奈川県立図書館の企画展示「江戸時代と本-花開いた出版文化-」に関連し、講演会を開催しました。本講演会は、文字・活字文化への関心と理解を深めることを目的とした「文字・活字文化の日」の記念講演会を兼ねての開催です。

企画展示内のコーナー「3.本が身近になる~江戸の本屋と庶民の読書~」に関連し、蔦屋重三郎の行った仕事と江戸時代の本の文化について、中央大学文学部教授の鈴木俊幸先生にお話いただきました。

はじめに、蔦屋重三郎(以下、「蔦重」という)の吉原時代の足取りを辿っていきました。

江戸で大人気の黄表紙や洒落本を吉原から出版することで吉原の存在を宣伝する効果を生む、いわば出版という行為自体を広告化するという点に蔦重の独自性が見られます。

また、江戸で作られた「地本」という用語の解説もされました。「地」はその地域で生産されてその地域の消費者を対象にしたものという意味を持ち、粗末なもの、田舎的なものというニュアンスも含みます。そこには、京都の文化にコンプレックスを抱いている江戸の人々の意識が表れているということでした。

会場の様子2次に、蔦重が江戸日本橋に進出してからの話題に移ります。

天明3年の正月、黄表紙の2大スターである恋川春町、朋誠堂喜三二の作品を含む計8点の蔦重版黄表紙が出版されました。そして、この年の9月に満を持して蔦重は日本橋へ進出することになります。つまり、正月の黄表紙大売り出しはこのための布石であり、店のブランドイメージを上げるための広告効果を狙ったのだろうと推測できます。

その後、江戸での狂歌の大流行について、具体的な狂歌作品を鑑賞しながら見ていきました。

はじめは詠み捨てでその場限りのものであった狂歌ですが、四方赤良編『万載狂歌集』が出版されたことが流行に一気に火を付けました。江戸市中に「連」という狂歌のサークルが成立し、蔦重も会のセッティングや狂歌本の出版などで才能を発揮し、狂歌の世界においても欠かせない版元となりました。

しかし、狂歌の裾野が広がったことで相対的に全体の歌のレベルが低下していったことに伴い、次第に狂歌の会も衰退していきました。そのような中でも蔦重は、歌を募集し入銀によって多くの狂歌集や狂歌絵本を作り上げました。

最後に、老中田沼意次時代の終焉から戯作の世界に自粛の風潮が強まっていく流れについて解説されました。

松平定信の寛政の改革についても紹介されましたが、一点気を付けておかなければならないこととして、定信の「文武奨励」の政策はあくまで幕臣の再教育を目的としたものであり、町民たちに向けられたものではなかったという点が強調されました。

講演会後の質疑応答では、江戸時代の遊女たちの教養は極めて高く漢詩や文章の訓練を幼い頃から受けて読書も熱心に行っていたこと、今まで蔦重がクローズアップされてこなかったのは作者名と作品名だけが文学研究で取り上げられてきたことが大きく、それをプロデュースする立場の重要性が注目されてこなかったことなどについて解説していただきました。

鈴木先生、ご講演いただきましてありがとうございました。

(神奈川県立図書館:イベント担当)