
向田邦子(1929-1981)が飛行機事故で亡くなってから、すでに40年以上の時が経ちました。
当時、テレビのニュースで訃報を聞いたときの衝撃は、今でも鮮明に記憶しています。
向田邦子は、映画雑誌の編集者からスタートし、ラジオやテレビドラマの脚本家として活躍、『寺内貫太郎一家』、『阿修羅のごとく』など次々とヒット作を世に送り出します。その後、作家としても成功を収め、1980年には直木賞を受賞。まさにこれから円熟期を迎えるというさなかの急逝でした。
向田作品は、現在でも多くの人に読み継がれていますが、その人気は作品だけにとどまらず、ひとり暮らしの日常を愉しむライフスタイルも多くの女性たちから支持を集めています。生涯独身で、料理と美味しいものが好き、骨董と猫を愛する、自立して働く女性の先駆けのような人でした。
本書は、その向田の原点ともいえる20代の頃のエピソードを中心に、9歳年下の妹・和子氏が綴ったエッセイ集です。没後見つかった100点余りにわたる写真とともに、向田の魅力あふれる素顔が語られています。
まず目を引くのは、向田邦子の凛とした美しさです。意思の強さを感じさせる印象的な瞳、上品なたたずまい、今見ても古さを感じさせない抜群のファッションセンス。数々の写真から、自分というものをしっかり持った芯の強さと知性が感じられ、見ているこちらまで背筋がピンと伸びるような気持ちにさせられます。
和子氏によると、向田は美意識の高い人で、「傘1本でも、私は1年かけて探す。嫌なものは嫌」と言っていたそうです。また、しっかり者の長女でありながらも、せっかちでおっちょこちょいな一面もあったようです。
とても器用で要領が良く、家族想いだった向田は、多忙にもかかわらずふたりの妹に一晩でハーフコートを作ったものの、煉炭火鉢で暖をとりながら夢中になって作業していたために、翌朝、一酸化中毒でのびてしまったこともあったとか。また、妹の友だちの就職先まで見つけてくるなど面倒見が良く、困っている人を放っておけなかったようです。少々お節介なところもあったようですが、末っ子の和子氏にはいつも的確なアドバイスをくれ、かといって自分の意見を押し付けることなく、「あなたが感じるままでいいのよ」と言うやさしさも持っていました。
ほかにも、向田のエッセイにたびたび登場する、頑固で融通のきかない父親のプライドを傷つけないよう配慮しつつ、家族のために家を探してきたエピソードなども、さすがと思わせるものです。
和子氏は最後に、「姉が亡くなったのは51歳だが、その中身は70歳ぐらいの人生だったのではないか。それぐらい人生が凝縮されていたように思う」と語っています。ここに書かれた数々のエピソードを読むと、たしかにそのとおりだと思います。
それでも、もし生きていたらどんなふうに齢を重ね、人生の後半を愉しんだであろうか、そして、この高齢化社会とどう向き合っていただろうか、と考えずにはいられません。
きっと実践的で素敵な老後の生き方を私たちに示してくれたのではないかと思います。残念でなりません。
『向田邦子の青春 写真とエッセイで綴る姉の素顔』 向田和子編著 ネスコ(発行)/文藝春秋(発売) 1999年
資料コード:110900628 請求記号:910.26/3819 OPAC(所蔵検索)
(県立図書館:積ん読コレクター)