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ニッポンとサッカー書影

生まれてこの方インドア派でスポーツには殆ど縁の無い人生を送ってきた私ですが、家族が無類のサッカー好きだったことから、Jリーグの試合を観に行くようになりました。

はじめて試合を観戦したときの衝撃は今も忘れられません。サポーターたちの熱量やパワー、チームへの期待、愛情。それらを通した一体感。サッカー、ひいてはスポーツの持つ力を実感した瞬間でした。以来、恐る恐るですが私なりにサッカーに近付き親しむようになりました。

本書の著者を知ったのも、あるサッカー番組です。Jリーグ好きの外国人3人の鼎談で、著者はその一人として出演していたのですが、日本メディアにはない視点や鋭い意見は刺激的でとても面白く感じました。日本メディアのスポーツ報道は、とかくマンネリと予定調和に終始しがちで、ある程度見慣れてくると、どうしても物足りなさを覚えてしまいます。

それは著者も同様のようで、本書には批判精神が欠如しがちな日本メディアの生温い取材姿勢に対する苛立ちなども率直に綴られています。

著者はイングランド人。サッカー発祥の地であり、世界最高クラスのリーグ、プレミアリーグを擁する国の出身である著者がなぜ日本のサッカーに興味を持ったのか。それは、資金力が物を言いがちなプレミアリーグに比べてJリーグは必ずしも豊富な資金を持つチームが強いというわけではないからで、そこに面白みを感じたからだとか。

本書は、著者が日本サッカーに関わる様々な外国人関係者にインタビューを重ね、日本と日本サッカーへの考察を巡らせた日本サッカー論です。

インタビュー相手が実に広範で多岐にわたっていて、驚かされます。

日本代表の歴代監督達やJ1のみならずJ2のサッカー選手や監督、また男子だけではなく女子サッカーの外国人選手、さらには審判やサポーターまで...。

彼ら外国人から見た日本サッカーとは、どのようなものなのでしょうか?

「サッカーをプレーする上でのメンタリティーが、欧州とは全く違う」

著者のインタビューの中で、Jリーグで活躍したオランダ人選手カルフィン・ヨンアピンが語った言葉です。外国人からみた日本サッカーに対する疑問や違和感が、本書では様々に語られているのですが、カルフィン・ヨンアピンの言葉は、日本サッカーが今一歩飛躍しきれない原因として、多くの外国人選手が挙げていたことです。メンタルが問題ではないかと。

ヨンアピンは、また、次のように語っています。

「日本人はすごく気弱で、負けたら負けたで構わない。『次の試合ではトライする』って。トライするって何だ?やるんだよ!『次の試合』ではなくて、今だ。今やるべきだ。僕はそういうメンタリティーだったが、日本ではそれが必ずしも上手くいかない。(中略)みんなプレッシャーに上手く対処できないんだ」

ジュビロ磐田や北海道コンサドーレ札幌で活躍した元イングランド代表選手ジェイ・ボスロイドも著者の取材で次のように語っています。

「試合に負けた後、バスに戻ると、みんな笑ったり冗談を飛ばしたり、(中略)とにかくそんな様子だった。まるで試合なんてなかったかのように。『何が起こっている?僕がおかしいのか?』って思ってたよ。僕としては試合に負けてしまえば、それから1日か2日、3日くらいは気分が良くない。そこは理解できなかった。文化的なことなんだろうとは思う。日本のことは大好きだし、日本の人たちもファンも大好きだし、何もかも素晴らしい。それでも結局のところ、この国ではサッカーは単なるゲームだとしか考えられていない。欧州や南米では、人生そのものなんだ」

欧州や南米では貧しい環境から這い上がろうと、人生をかけてサッカーに臨む選手が多く、そういう意味で、選手たちはごく幼いころから激しい競争を経験しています。そのなかで培われた闘争心は日本人のそれより激しく、故に敗戦に対しての日本人選手たちの淡泊な反応は外国人選手にしてみると、理解不能で受け入れがたいもののようです。

私自身も外国のサッカー中継などを観ていると感じるのですが、あちらのサポーターは良くも悪くも、とにかく「熱い」です。勝てば熱狂的な歓喜の渦、負ければ容赦ない怒号とブーイングがあがります。なんというか、サッカーにかける熱量が違います。マスコミの報道も同じようなもので、負ければ厳しく批判をされます。サッカーが、選手にとってもサポーターにとっても人生の一部なのだと確かに感じられます。

翻って日本はどうか?本書で、多くの外国人たちが、日本は敗戦に対するプレッシャーが軽いと指摘しています。ウルグアイの名選手でセレッソ大阪に加入したディエゴ・フォルランは、著者の取材で次のように語っています(※フォルランが加入中、セレッソ大阪はJ1からJ2に降格してしまいます)。

「日本の選手は降格というものの意味を理解していない。ファンからのプレッシャーがないからだ。勝とうが負けようがプレッシャーがない。降格が決まっても翌日の練習で(チームメイトらが)笑っていたのは奇妙なものだったよ」

「何かのレベルを上げたいなら、プレッシャーがなければならない。勝っても負けても同じではいけない。それはダメだ。勝てばすべてが美しい。だが負ければみんな悲しんで、誰も何も言わなくなる。そういうことが必要なんだ。それがあってこそ大きく成長することもできる」

これには著者も同意見のようで、サッカーが勝敗のある競技である以上、敗戦を軽く扱いがちなのは問題ではないかと述べています。

また、著者は自身がジャーナリストという立場から、日本のマスコミの報道姿勢にも疑問を投げ掛けています。

試合中の審判の誤審や選手のミスを取り上げることなく、議論や批判を回避する報道姿勢を「足並みを綺麗に揃えて毒気を抜いたJリーグ報道」と断じ、このような姿勢が日本の文化や習慣から派生したものであることに理解を示しつつも、良いことでも悪いことでも同じように議論できないようでは、現状からの発展はないと言い切っています。

本書は、著者のような外からの観察者による日本サッカー論ですが、縦横に語られる事柄は日本という国の文化論としても充分に読むことができます。様々な意見や批判、称賛が記されていますが、そのどれにも根底には日本という国や日本サッカーへの親愛の念が感じられます。

Jリーグが開幕して凡そ30年。日本サッカーはその間急速に発展してきましたが、今、少し停滞期に入ってしまったように感じます。著者や著者が取材した多くの外国人たちは、そうしたことにもどかしさを感じ、日本サッカーが更に飛躍するための提言をしているといった印象を受けました。何より著者の熱心な取材姿勢には賛嘆を禁じえず、頭が下がる思いです(一般の日本人よりはるかに全国を駆け巡り、知っているのではないでしょうか)。

個人的には、本書で、就任から間もなくドタバタと解任されてしまった元日本代表監督のメキシコ人ハビエル・アギーレが、あのような騒動の末解任されたにもかかわらず、騒動後も日本に悪印象を抱いていないということを知れたのは、嬉しい驚きでした。

日本メディアの取材には当たり障りなく答えているような外国人選手や監督が、同じく外国人である著者には、本音を素直に話しているように感じます。

サッカー好きの方にはぜひ一度読んでいただきたい本です。

(県立図書館:浜っ子だけど、赤いチームが好き)

『ニッポンとサッカー 英国人記者の取材録』 ショーン・キャロル 著 高野鉄平 訳 ベースボール・マガジン社 2022年

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