「あなたには友だちがいますか?」何気なく見ていた深夜番組の街頭インタビュー。
私は学生時代の懐かしい数人の顔を思い浮かべました。会えば昔話に花が咲き、会話が尽きない大切な存在です。
しかし"昔の友だちは、過去の断片であって、現在の友だちではない"と、今回ご紹介する本の著者、小田嶋隆は語ります。著者自身の過去の交友関係を振り返りながら、友だちについて「ぼっち」の立場から考えた1冊で、幼年期・人気者・コミュ力...等、さまざまなキーワードから「友だち」について解体し、考察しています。
本書で小田嶋氏は「友だち」の定義が年を重ねるごとに変わっていく様子を、こう表現しています。
友だちの垣根が低い小学生は"クラスメイトの半数以上は友だち"だと思っていても、中学に入るとより深く人と関わるようになるため5人くらいに減少。さらに高校生になると"クラスのうちの半分は、はなから没交渉になる"と言います。そして、"大人になると、友だちは、事実上消滅する"と。
そんな身も蓋もない!では大人になってから友だちを作ることはできないのでしょうか?確かに今の自分の状況や感情をリアルに共有できる人は「友だち」とは少し違う気がします。学生時代に出会っていたら、会話の糸口を見つけることが困難な人であっても、大人になって出会った場合、目的や悩みを共有することで、急速に親しくなることがあります。
しかし、"現在親しく付き合っている彼らを、私は、「友だち」であるというふうには考えていない"と小田嶋氏は断言します。その理由を"バカな時間を共有していないからだ"と挙げています。
確かに、何十年も会っていない昔の「友だち」は、いつまでも「友だち」のままです。欠点も含めて「友だち」だと思える、あの時期、あの時代にしか得ることができなかった存在。
"友だちは、友だちという外部の対象である以上に、自分自身の幼年期の延長なのだ"という小田嶋氏の考えは独創的で実に印象深いです。
本書では、現代におけるコミュニケーションのあり方にも言及しています。
SNSの「友だちリクエスト」に対して小田嶋氏は"友だちというのは誰かが誰かに対してリクエストするような関係なのか?"と疑問を呈しています。
友だちが多い人ほどキラキラと眩しくて、人徳があるように感じてしまいがちですが、友だちが多いほど偉いわけではない、という小田嶋氏の考え方が伝わってきて何だか安心します。実は私も、友だちが多い方ではありません。
友だちとの距離を確保するため、先ずは自分自身との距離の取り方を考える...本書がそのための手助けになることを願っている、と小田嶋氏は綴っています。孤独への耐性をつけ、逞しく年を重ねたいものです。
『小田嶋隆の友達論』 小田嶋隆 著 イースト・プレス 2022年
資料コード:23420557 請求記号:361.4/972 OPAC(所蔵検索)
(県立図書館:「ぼっち」で悪い?)