「遠くからみてもあなたとわかるのはあなたがあなたしかいないから」
この歌は、今回ご紹介する短歌集に掲載されている歌です。
この歌を読んだ時、一つの遠い昔の記憶が鮮明によみがえりました。それは、中学校の卒業式の日の事。卒業証書を受け取るため、体育館のステージの端で名前を呼ばれるのを待っていた私は、何の気なしにステージを見守る数百人の生徒の方へ目を向けました。すると、当時想いを寄せていた人の姿が一瞬で目にとびこんできたのです。
この記憶が引き金となり、その当時の想い、将来に対する漠然とした不安、未熟さゆえの根拠のない自信などの感情が次々に思い起こされて、ほろ苦く、そして懐かしい気持ちにさせられました。
もちろん、著者がこの歌を詠んだ背景もこの歌に出てくる「あなた」との関係性も、私とは違うものであることは間違いありません。けれど、著者にとっての「あなた」も、私にとっての「あなた」も、かけがえのない「あなた」であることに変わりなく、この歌が私の心の奥の記憶をひも解いてくれた事にも変わりないのです。
本歌集で著者は、恋心、生活の中の葛藤や不安、ささやかな幸福感、等のさまざまな感情を日々の何気ない日常に織り交ぜながら、テンポよくこちらに投げかけてくれます。こちらはそれらの歌を、これまでの自分の経験や記憶、感情をバックグラウンドにして、共感したり、意外に感じたり、著者と喜怒哀楽を共にしながら、感情を揺さぶられ続けます。そして、それを繰り返すうちにどんどん著者に対して親近感が増していき、そのうちに、著者がどんな気持ちでこの歌を詠んだのだろうかと、想像するようにもなっていきました。
「きみのため用意されたる滑走路きみは翼を手にすればいい」
この歌の中の「滑走路」を、著者は本歌集のタイトルに選んでいます。この歌は、この本を手にした全ての人が、自分の信じる道を進んでいって欲しい、進む勇気をもって欲しいとの願いをこめた、著者から読者への応援歌なのではないかと、私は勝手に想像し勇気づけられています。
残念なことに、著者は32歳という若さで自らこの世を後にしました。本歌集は、これから先もずっと人々の心に残り続けていくでしょう。でも、可能なら、著者が40代、50代と歳を重ねて詠む歌にも出会いたかったです。
本歌集の中に、私の心に響く歌が数多くありました。私にとって著者の歌が心に響いたように、いつの日か、あなたの心に響く歌に、あなたが出会えたなら幸いです。
『滑走路 歌集 りとむコレクション 102』 萩原慎一郎著 角川文化振興財団 2017年
資料コード:23200728 請求記号:911.16/1050 OPAC(所蔵検索)
(県立図書館職員:きっかけは一緒)