1923(大正12)年9月1日11時58分に発生した関東大震災は、日本の自然災害史上、最大規模の被害をもたらしました。相模湾北西部を震源とするマグニチュード(M)7.9の大地震は、5分間に2度のM7を超える余震をともない、調理に火を使う昼食時と重なった事から多くの火災が発生、死者・行方不明者は約10万5千人に及びました。
神奈川県は震源断層の真上に位置していたため、ほぼ全域が震度6以上となり、特に江戸時代から明治時代にかけて埋め立てが行われた地域に大きな被害が出ました。土砂崩れによって鉄道や道路が寸断され、丹沢や箱根などの山間部が孤立し被害が拡大。さらに相模湾から伊豆半島にかけては津波が発生し、数分以内に高さ5メートル以上の津波が陸地に到達しています。
6月9日から始まった今回の展示は、未曾有の震災から復興への歩みを、当館所蔵資料と神奈川県立歴史博物館所蔵資料※で振り返ります。テーマを大きく4つに分けて展示しています。
1 関東大震災当時の世相
震災当日の新聞号外や災害史、鳥瞰図などから震災の実態に迫ります。
関東圏の新聞社のほとんどが大被害を受けて新聞発行が不能な中、大阪が本拠地で東京に進出していた『大阪毎日新聞』 と『大阪朝日新聞』の活躍は目覚しいものでした。状況を伝えるため発行された号外は、焼け跡で野宿をしていた被害地の人々に敷物や火種などに使われたとされ、9月1日から数日発行されたものの多くは残っていません。
2 関東大震災と神奈川県
女性運動家、評論家の山川菊栄が、震災の翌々日9月3日に家族に宛てた手紙(複製)や、震災を忘れないよう当時の情景を描いて作られた追善納札(千社札)を展示しています。
山川菊栄(1890―1980)は、戦前より女性運動家として活動し、かながわ女性センター図書館の女性労働資料の充実に尽力した人物です。
母と姉に宛てた手紙からは、混乱のなか1日でも早く家族を安心させたいという思いが読み取れ、100年前の震災は決して昔話ではなく、私たちの暮らしと地続きにあると感じられます。
ギャラリーで上映している『横浜大震火災 惨状 全一巻』という約12分間の記録映像は、震災から間もない横浜の様子が映し出されています。
撮影したカメラマンの相原隆昌は、地震で妻を失いつつも被災地の状況を記録しました。
この映像は、「株式会社ヨコシネディーアイエー (旧社名横浜シネマ商会)」から貴重な映像をお借りして上映しています。横浜シネマ商会は、1923年1月に創立した映画製作会社で、関東大震災の年に創立し、現在も映像メディアの会社として運営されています。
3 関東大震災と復興
大震災の打撃は大きなものでしたが、神奈川県の近現代史にとって重要な骨格が作られるきっかけにもなりました。『東京及横浜復興地図』からは、河川や道路が拡張され現在の市街の姿に近づいているのが分かります。
また、震災瓦礫の埋立てによって作られた山下公園では、復興記念横浜大博覧会が開催されました。震災からたった12年後に開かれたとは思えない大掛かりなもので、その様子は『復興記念横浜大博覧会鳥瞰図』に垣間見ることができます。
4 震災前後のベストセラー
大正時代の3大ベストセラーである『出家とその弟子』『地上』『死線を越えて』をはじめ、当館が所蔵する震災前後のベストセラーや音楽を通して、当時の世相を辿ります。
大震災後、「大衆文学」が本格的に興隆します。1913(大正2)年から新聞連載が始まった中里介山『大菩薩峠』、岡本綺堂『半七捕物帳』を経て、江戸川乱歩の登場により探偵小説ブームが沸き上がり、そのブームをけん引したのは博文館の雑誌『新青年』でした。
その他にも、ギャラリー内には震災に関する資料をまとめて展示しています。展示ケースに入りきらなかった各テーマの資料も揃えていますので、是非手に取ってご覧ください。青いラベルの本は貸出可能です。
発生から100年の節目にあたる今、震災の被害の大きさや、厳しい状況下で残された記録を知ることで、今後の備えにつなげていただきたいと考えます。
(県立図書館 企画展示担当)
「関東大震災100年 神奈川県の被害と復興」展示資料一覧 PDFファイル(149KB)
展示期間
令和5年6月9日(金曜日)から令和5年12月13日(水曜日)まで
※歴史博物館所蔵資料展示は11月10日(金曜日)から12月13日(水曜日)を予定しています。
休館日
月曜日(祝休日は開館)、第2木曜日(7月13日、8月10日、9月14日、10月12日、11月9日)
開館時間
9時00分から19時00分まで ただし土曜日・日曜日・祝休日は17時00分まで
会場 県立図書館本館1階 ギャラリー(入場無料)