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教養としてのアメリカ短篇小説 書影

フィッツジェラルド、ヘミングウェイ、サリンジャー、カポーティなどなど。

名前を聞いたことはあるけれど読んだことはない、気にはなっているけれど食わず嫌いで通り過ぎてきてしまったという方は、案外いらっしゃるのではないでしょうか。



本書は、早稲田大学文学学術院教授である筆者がNHKのラジオで行った、アメリカ文学の代表的な作品についての講義(語り)を元にしています。作品の背景にある社会的、歴史的な事情を補足しながら短篇小説を読み解いていく中で、作家間をつなぐ大きなモチーフが浮き彫りとなり、アメリカ文学史を概観することにもなっています。

エドガー・アラン・ポーの『黒猫』。猫を可愛がっていたはずの主人公は、お酒によって人格が崩壊していった末、唐突に猫の首を紐で縛り、木から吊るして殺してしまいます。筆者はここに、当時のアメリカ南部の黒人に対する不当な暴力を読み取っています。奴隷制度と南北戦争を経たのちのアメリカでは、「黒」という色が特定の意味を連想させ、記号となっていることに衝撃を受けました。また、色に付随するイメージが人種差別と連鎖していく様などを具体的に説いていきます。文学を深く受け取り味わうには歴史や社会、文化に対する知識と想像力(イメージする力)が必要であることを分かりやすく示してくれます。



アメリカの歴史を振り返ると、「戦争」は打ち込まれてしまった楔のようにも見えるのですが、文学の中でその「戦争」がどのように表れてくるのかを丹念に辿っていきます。『失敗に終わった行軍の歴史』(M・トウェイン)では、若者は戦争に参加して初めて大人になれる、男らしさを獲得するという考え方が、南北戦争を契機に広がっていったことを指摘しています。タイトルに示されている通り、勇んで戦争に参加した若者たちは惨めな末路をたどるのですが、そのユーモアすら感じられるドタバタの中に、戦争批判というニュアンスも読み取っています。



サリンジャーの『エズメに 愛と悲惨をこめて』では第一次世界大戦に従軍した若者がPTSDに苦しんでいる、その苦しみの中にほんのわずかな安らぎが兆すさま。また、ティム・オブライエンの『レイニー河で』においては、ヴェトナム戦争に徴兵された若者の引き裂かれてゆく自我。アメリカでしか書かれ得ない文学が、そこには存在すると言えるのかもしれません。



しかし、なにより本書を魅力的にしているのは、筆者と一緒に小説を読んでいくような感覚を味わえるからではないでしょうか。同じテキストを読みながら、筆者が受け取るイメージの豊かさに驚き、導かれ、その刺激で私たちも更にテキストの奥深くに入っていくことができるように思われます。

小説から受け取るイメージを交換し合い、深め合っていく愉しさ。読むことの愉しさ。

「我々にとって遠い世界を綴っているアメリカ文学がなぜか我々の心に寄り添ってくれる瞬間」(p283)に私たちも立ち会うことができるはずです。



『教養としてのアメリカ短篇小説』 都甲幸治著 NHK出版 2021年
資料コード:2329250 請求記号:930.29/191 OPAC (所蔵検索)



(県立図書館:梅花藻)