「読者がいなければ書物は成立しない。」こんな言葉から本書は始まります。
これまで"著作者""製作者"―いわゆる「作り手」側から書物を評価してきたところを、「受け手」―つまり、読者側から評価してみよう、というのが全体を通した本書の目的となっています。
わたしが1番おもしろいと思ったのは、「第六章 『徒然草』は江戸文学か?――書物史における読者の立場」と「第十一章 作者・書肆・読者――益軒と柳枝軒をめぐって」です。
どちらも考えたことのない視点で論が展開されているのですが、とても説得力があります。
後者は、「農書」という初めてのジャンルの本を広めようとして、エディター・プロデューサーである貝原益軒や版元の柳枝軒が、どのような仕掛けをしたかということが書かれているものです。
初めてのジャンルを売るというのは、読者の開拓から始まります。といってもすごく奇抜なことをしたわけではありません。
対象読者層(この場合は農村の富裕層や村役人など)をよく理解し、その人たちに対して有効と考えられる方法をとったことを、史料などから解き出しています。「何よりも書物を読む動機と条件を持った読者がそこに誕生することではじめて、書物出版は総合文化産業として成り立つ」(p462)。
一方前者は、『徒然草』は兼好法師という著者に焦点をあてればたしかに鎌倉文学だが、数多く出版され一般民衆に広く読まれた時代は江戸ではないか、これを"江戸文学"だとするのは読者の立場による規定である、というものです。「作者の立場に立てば、(中略)そのテクストの内容が問題とされ、そして作者にもっとも近い、著者自筆本や最古の写本、あるいは初版本が、決定的に重要な史料となる。読者の立場では、その時代の底辺に位置する圧倒的多数を占める庶民が問題となり、著者からはもっとも遠いところにある、何度も版を重ね、手垢にまみれた版本がどのように存在し、どのように使用されたかという、モノとしてのテクストの存在のしかたが問題となる。」(p253-254)
作品の内容ではなく、モノとしての"存在のしかた"を問題と考えるとは!図書館の人間としては、たくさん利用される方がうれしい反面、利用する側はあまり傷んだ本を借りるのはちょっと嫌ではないのかなという気もしていましたが、そういうところを研究する人もいるのか、というのが新鮮でした。
『日本近世書物文化史の研究』 横田冬彦著 岩波書店 2018年
資料コード:23006620 請求記号:020.21/18 OPAC(所蔵検索)
(県立図書館:本の虫...ほどではありません)