皆さんは佐藤さとるさんをご存知ですか? あのコロボックル物語シリーズの作者です。他にも『おばあさんのひこうき』や『大きな木がほしい』など児童書や絵本でおなじみの、日本独自の本格的ファンタジー小説を書いた方です。
最近では、著者から後を引き継いで作家の有川ひろ(出版時は浩)さんがコロボックル物語の続編を書いたことでも話題に上っていました。
この本の著者、佐藤さとるさんは1928年横須賀市で生まれ、10歳で横浜へ転居、以後ずっと横浜を拠点に創作活動を続け、2017年88歳で亡くなりました。
「コロボックル」は著者が創り出した妖精のような小人のことで、普段はとても素早い動きなので人間は目で追うことはできません。コロボックルたちはとても用心深く、この人ならと選んだ人の前にしか姿を見せません。
私は風も吹いてないのに葉っぱがカサッと揺れたりすると、あれ、もしかするとコロボックルかも知れないと探したり、今でもいつかコロボックルが会いに来てくれないかなあと思っています。
そんな物語を創り出した人はどんな人なのかと興味が湧いて手に取ってみたのがこの『オウリィと呼ばれたころ』です。
この本はまだコロボックルを創り出す前の中学から高専時代までの歩みを記しつつ、「大男と小人」や「クリクルの話」も掲載し、作家としての出発点をたどったものです。
ちょうど太平洋戦争の最中、著者は多感な中学生です。父はミッドウェー海戦で戦死、自身は海軍予備練習生となるも海軍水路部技術館養成所に入る時の精密検診により肺浸潤と診断されてしまいます。
自宅療養を余儀なく送ることになりますがだんだん空襲もひどくなり母、姉、弟、妹らと両親の故郷である北海道に疎開します。
そして終戦後また横浜に戻り専門学校に入学します。
タイトルに終戦をはさんだ自伝物語とあるように、戦中戦後の2年間ぐらいのできごとを綴ったものです。
ところでオウリィとは一体何でしょうか?
それは著者が北海道の旭川に疎開し、米占領軍兵舎のキチンボーイとして働いていた時のあだ名です。フクロウ坊やの様な愛称で呼ばれたなんてきっと周りからかわいがられたのでしょう。寒い北海道の澄んだ空気の中で皿洗いや食堂の掃除などのアルバイトをした疎開生活が彼の体にとってよい運動となり、たまに上官の好意によって持ち帰った食堂の余った食材などが栄養をもたらし病気も徐々に治まってくるのです。やがて横浜の我が家に帰ることになります。幸い彼の家は空襲で焼けることもなく残っていたので住むところの心配もなく戻ることが出来ました。
人間の記憶というものは曖昧なもので事実とは異なる嘘の記憶を本当にあったことだと認識してしまうことがあるといいます。
だからあえて自伝物語として執筆したのでしょう。途中に挟み込まれる女の子のお話も最後には納得の自伝物語となっています。
さて私はもう一度『だれも知らない小さな国』から読み直してみようと思います。
『オウリィと呼ばれたころ―終戦をはさんだ自伝物語―』 佐藤さとる作 理論社 2014年
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(県立図書館:ファンタジー大好きモミジノヒメ)