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須賀敦子の手紙 書影 最後に直筆で手紙を書いたのはいつのことだったか。すぐには思い出せないほどなのに、心のどこかにいつも手紙に対する憧れがあります。近況を知らせる手紙、感謝を伝える手紙、懐かしい人からの手紙...どんな手紙でも、その人の手書き文字からにじみでる想いはメールでは伝えきれないものがあります。

この美しい本を手に取り、あらためて手紙のもつ魅力を再発見するとともに、手紙の送り主である"須賀敦子"という人の新たな一面を知ることができました。


須賀敦子(19291998)はエッセイストであり、イタリア文学の翻訳家としても多くの功績を残しました。20代で渡欧、イタリアで過ごしたあと、40代で帰国。帰国後は大学の非常勤講師として勤めるかたわら、61歳で最初の著作『ミラノ 霧の風景』を刊行。イタリアでの暮らしを現地で出会った人々とのエピソードを織り交ぜながら追想し、現在と過去をたゆたうように静謐かつ奥行きのある文章で綴りました。

作家としての活動はわずか10年足らず、生前に刊行された本は5冊にもかかわらず、没後も多くの読者を魅了し続ける名文家です。その作家の22年にわたって書かれた55通の手紙を撮影し、カラーで掲載したものが本書です。


筆跡はその人柄を表すとも言われますが、丸みを帯びたかわいらしく親しみのある手書き文字は、端正で理知的な彼女のエッセイからは、ちょっと意外な印象を受けます。手紙を送った相手は、ひと回り以上年下のアメリカ在住の女友達。その気安さもあったのでしょうか、おしゃべりの続きのような身近な話題を取り上げ、気さくでユーモアに富んだ内容になっています。

また楽しいのは、書き送った便箋やポストカード、封筒も掲載していることです。こんなかわいらしい絵柄のカードを選ぶ人だったのか、ときにはお菓子の包装紙に書き付けた手紙もあって、須賀敦子という人をより身近に感じることができます。


一方で、38歳のときにイタリア人の夫と死別し、日本に帰国してからは一人暮らしを続けた孤独な生活を、自嘲的ともいえるユーモアを交えて書き送った手紙もあります。


「私は少しだけさびしいクリスマス、お正月をすごしました。それは自分勝手にさびしいsituationをつくり出したのですから、別になんということもないのですが、人間生きているかぎり、さびしかったり、おもしろかったり、いろいろです。お料理をつくるときに、エイとコショウを入れるみたいに、今年は一寸渋みを入れすぎたようです。」(1984年1月5日)


彼女の芯の強さと巧みな表現力を感じさせる一文ですが、あるいは手紙を書くことで、自分自身を鼓舞する面もあったのかもしれません。晩年は大病を患い、病室で綴った手紙もあります。そうした悲しい手紙も含め、遺された手紙にはひとりの人間の生きた証があります。


本書を読んだあとに彼女のエッセイを再読した折には、きっと新たな視点で作品の魅力を再発見できると思います。

そして、好きな作家の手紙をこうした形で読むことができるのは読者としては、うれしい驚きであり、また手触りのある"紙の本"だからこそ伝えられる魅力をもった一冊となりました。


『須賀敦子の手紙 1975-1997年 友人への55通』 須賀 敦子 著 つるとはな 2016

資料コード:22876429 請求記号:915.6/624 OPAC(所蔵検索)


(県立図書館:緑の光線)