公開

日本人にとって美しさとは何か書影 本書では、普段は意識しないようなわれわれ日本人の美意識や美学というものを、絵画や書、工芸品や庭園等、さまざまな例をあげて考察しています。


たとえば北鎌倉・円覚寺舎利殿の屋根。その軒の線がわずかに反り上がっていることを取り上げています。この「反り」を英語に訳そうとすると、カーブ(curve)は「直線に対するもの(曲線)」となり、「直線がわずかに変化したもの」とは意味が違ってしまいます。

「直線」「曲線」というように明確に区別できないこの感覚は、非常に繊細なものに思えます。


西欧と日本の作品を比較することにより、日本の美意識をわかりやすく解説している例も多く、その一つに、ジャン=フランソワ・ミレーと喜多川歌麿の、鏡に写る女性の顔を背後から描いた作品を取り上げています。

ミレーの「アントワーヌ・エベールの肖像」は、可愛らしい少女はもちろん、ソファや豪華な装飾つきの鏡、贅を尽くしたカーテンなど、すべてを再現しているのに対し、歌麿の「姿見七人化粧」は、背景を描かず、女性と鏡のみを表すことに専念していることに注目します。そしてこの余計なもの、二義的なものを一切排除するという表現方法は、日本の美意識の大きな特徴の一つと捉えています。


また西欧世界では、客観的な原理に基づく秩序が美を生み出すという考えが強いことに対し、日本では何が美であるかということよりも、どのような場合に美が生まれるかということに感性を働かせてきたとして、『枕草子』の文章をあげています。

状況が変われば突然消えてしまう、春の曙や秋の夕暮れの美。日本人は、万古不易ではなく、はかないものであるゆえに貴重なものとして、年中行事などで繰り返しこの美を愛おしんでいると言います。

季節の移り変わりや時間の流れなど、自然の営みと密接にかかわる日本人の美的感覚は、論理よりも情緒を働かせているようです。


以前から、日本人は模倣が得意で、外国のものを何でも巧みに取り入れるものの、独創性に欠けるという批判がありました。

たしかに日本は古代以来中国から、近代になると西洋から、多くを学び受け入れてきました。しかし先進文明の成果を何もかも取り入れたわけではなく、受け入れを拒否したものも少なくないことを本書では述べています。

例えば、中国から律令制を採り入れながら、科挙や宦官の制度は受け入れていないように、「日本は外来のものを何でも自由に受け入れているように見えながら、じつはそこにある種の抵抗感覚のようなものがあって、それに触れるものは拒否するという選択が働いている」としています。

そして、この「受け入れなかったもの」の検討を積み重ねることによって、日本の、日本人の特性をさらに明らかにすることができるとあります。


余計なものを切り捨てて主体に迫る、シンプルで平明な感覚。はかないものや自然に寄り添う感覚の他に、この不可侵の精神のような美学も、確かに存在すると気づかされました。

美意識とは美学とは...色々なことを考えさせてくれる本書をオススメします。


『日本人にとって美しさとは何か』高階秀爾著 筑摩書房 2015

資料コード:22841258 請求記号:702.1/371 OPAC(所蔵検索)


(県立図書館:かたくりこ)