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7月9日(金曜日)から1013日(水曜日)まで、神奈川県立図書館本館の閲覧室内トピックスコーナーで「かながわとオリンピック」と題したミニ展示を開催しています。


今回の展示では、1940(昭和15)年に東京で開催が予定されていた第12回夏季オリンピックに着目し、この大会と神奈川県との繋がりについて紹介しています。

今年はオリンピックイヤーとなりましたが、日本初のオリンピックというと、誰もが1964(昭和39)年の東京オリンピックを思い浮かべることでしょう。
しかし、1940(昭和15)年に東京オリンピックを開催する計画があったことはあまり知られていません。


当展示ではまず、招致運動から開催決定、戦争悪化による返上へと至った流れを説明しています。

展示ケースでは、東京開催が採択されたIOCベルリン総会の写真を掲載している『アサヒ・スポーツ』第14巻臨時増刊1936823日「オリンピック写真画報」を展示しています。

次に、第12回夏季オリンピックの東京招致を成功させた立役者のうち、神奈川県と関係のある嘉納治五郎、副島道正、平沼亮三の3人について、その生涯を追っています。


嘉納治五郎は、柔道の創始者として知られる一方、アジア初のIOC委員として活躍し、日本スポーツ界の国際化に大きな貢献を果たしました。しかし、氷川丸の船上で、悲しい最期を遂げることになります。

嘉納治五郎の伝記は数多く出版されており、展示では『少年少女新伝記文庫 25 嘉納治五郎』(金子書房 1959年刊)などを紹介しています。


副島道正は生まれつき病弱で、スポーツとは無縁な人でしたが、英国留学の経験をいかしてライバル都市との交渉に当たり、オリンピックの東京招致を成功に導きました。また、県立図書館と副島家は、マリア・ルス号事件の『大旆』(在日華僑より道正の父である副島種臣に贈られた巨大な旗)を通して、不思議な縁で結ばれています。副島道正の伝記は少なく、展示では朝鮮民族運動と副島道正趙聖九著(研文出版 1998年刊)を紹介しています。


神奈川県出身の平沼亮三は、第1516代横浜市長として知られていますが、スポーツ万能で、オリンピック選手団長も務めました。1940年東京オリンピックに関しては、当時のIOC委員長をもてなして視察に同行し、ヨット競技会場を横浜へ誘致する交渉に当たりました。平沼亮三の伝記として、『スポーツ生活六十年』平沼亮三著(慶應出版社 1949年刊)などを展示しています。


実現に至らなかった1940年の東京オリンピックでは、さまざまな競技会場や選手村を神奈川県内へ誘致する計画がありました。本展示では、1936年(昭和11年)の『横浜貿易新報』(複製)から関連記事を紹介しています。2008年(平成20年)開催を目指した「横浜オリンピック」の計画についても触れています。


会場にはオリンピック、パラリンピック関係の図書を多数集めて紹介していますので、当館へお越しの際は、是非ご覧ください。


(県立図書館:展示担当)


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