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囚人服のメロスたち書影

私たちは、想像を絶するような困難な状況に立たされたとき、どれだけ人を信じ、また人からの信頼に応えようと力を尽くせるでしょうか。

本書の舞台は、1923年の横浜刑務所です。あの甚大な被害をもたらした関東大震災が発生した年であり、当然ながら横浜が受けた被害も例外ではありませんでした。

所長は、弱冠37歳の椎名通蔵。一部の叩き上げの幹部職員たちから「帝大出の学士所長さん」と揶揄されながらも、「刑は応報・報復ではなく教育であるべきだ」という信念を持って、受刑者ひとりひとりに向き合う日々を送っていました。

そんな中突然の大地震に遭遇し、椎名所長は独自の判断で受刑者たちを24時間解放する決断を下します。柿色の囚人服を着た集団が市中に解放され、脱獄囚と間違われ大混乱が起きるのではないか。多数の未帰還者が出た時の責任を自分ひとりで負えるのか。監獄法第22条で定められている権限とはいえ、この決断にはかなりの勇気と覚悟が必要でした。

それでも、受刑者たちへの信頼と、刑務官たちからの後押しもあり、解放を実施します。

「24時間を厳守すること。たとえ24時間を超したとしても、刑が増えることを覚悟して必ず戻ること。どうしても戻れないときは他の刑務所に出頭し申し出ること。(要約)」

所長からの訓示を聞き、刑務所に留まる者、方々に分かれて出立する者、1000人近い受刑者たちそれぞれの24時間が始まります。この限られた時間をどのように過ごすのか。受刑者たちの心の葛藤、そして彼らの家族、刑務官たちの思いが伝わってきます。

受刑者のひとりである福田達也は、家族が暮らす溝村(現在の相模原市)に帰ります。囚人服をきれいにし食事も用意してくれた母と妹。彼らの無事を確認し、すぐに刑務所に戻るつもりでしたが、妹のサキの願いで、倒壊した隣家の修繕を手伝うことにします。そうなると24時間以内に戻ることはできません。そこでサキが身代わりとなって出頭すると言い出します。兄のために危険な道中を必死に歩き、たどり着いたあとも、刑務所内の仕事を手伝いながら兄が戻るのを待つのです。

ほかにも、横浜港に次々に届く支援物資の荷揚げという危険な作業を手伝った者たち、刑務所に留まり、敷地内の生活環境の復旧に協力する者たちもいました。自分たちを信じてくれる所長、看守たちの信頼に報いるため、懸命に働く受刑者たちの姿に心を打たれます。

解放された受刑者たちはその後戻ってきたのでしょうか。公式の記録では240名が未帰還逃走とされており、当時の流言飛語による悲劇の責任をも椎名所長は問われることになります。しかし震災の翌年11月には、遠くは函館、鹿児島、更には朝鮮の平壌刑務所などへの全員の出頭が確認されており、「必ず戻る」という所長との約束は守られていたのです。

関東大震災発生からすでに100年が経過していますが、壊滅的な被害に遭いながらも、信念を貫いた所長と、自分を信じてくれる人のために懸命に走り続けたメロスたちが横浜刑務所にいたことを知ってほしいと思います。

『囚人服のメロスたち 関東大震災と二十四時間の解放』 坂本敏夫著 集英社 2021年

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(県立図書館 米粉パン)