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『持続する郊外 住民主導のアーバニズム』
平本一雄編著 川崎新都心街づくり財団監修 青弓社 2023年[K36.21/260]
本書は、多摩丘陵内に位置する新百合ヶ丘を中心とした川崎市麻生区を対象として、現在の 郊外地域が抱えるさまざまな問題を炙り出し、その解決策について模索、提起する内容となっています。2部構成となっており、第1部では、行政組織や大企業ではなく住民が主導した、麻生区のまちづくりの歴史を振り返っています。
第2部は、事前に川崎新都心街づくり財団が、市街化、ポストコロナのライフスタイル、緑の環境、芸術文化、消費と産業、子育て、高齢化といったテーマで、田園調布学園大学などの研究者に委託して行った調査結果『郊外地域社会研究調査事業報告書』を基にまとめられました。この報告書の要素をテーマ別に収め、今後の展望や課題を加えています。
『子規庵・『日本美術』般若の巻・鴫立庵 原安民と千代のこと』
森龍朗著 文藝春秋企画出版部,文藝春秋(発売) 2023年[ハラ/K28.61/84]
原安民(はら・やすたみ)は、明治3年(1870)に大磯の川嵜(かわさき)家に生まれ、幼名を安といい、11歳で伊三郎と名乗りました。19歳で東京美術学校に入学し、岡倉天心の美術史の講義を受けています。また、正岡子規の歌会にも参加しました。"安民"あるいは"安"と号し、書籍・出版・日常関係では"川崎安"と名乗り始めます。同じころ、神戸出身の原千代は、上京して正岡子規の弟子となります。
伊三郎は、明治38年(1905)、岡倉天心が主宰する日本美術院の機関誌『日本美術』の廃刊危機に伴い、引継ぎを依頼され、日本美術社を設立して同誌を出版しました。明治40年(1907)に原千代と結婚し、原家に入籍して原安民と名乗ります。その後、金属美術工芸品の鋳造を営みますが、不況により倒産し、晩年は大磯に帰って鴫立庵の15世庵主となりました。
本書は原安民と千代の孫に当たる著者が、二人の足跡を辿っています。
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