1東国への要所「足柄」
一、「相模」と「あしがら」― 箱根から大磯へ
足柄は「東路(あずまじ)」の始まりです。「古事記」には、足柄の神を討たれた日本武尊(やまとたけるのみこと)が足柄峠で弟橘媛(おとたちばなひめ)をしのび「わが妻よ」と嘆かれたことから足柄峠から東を「あづま(吾妻)」と称するようになったという地名伝説が見られます。
また、「足柄の関」は『枕草子』の「関は」の段にも見られ、『更級日記』でもその足柄越えが難路であった様子が記されています。
足柄の箱根飛び越え行く鶴(たづ)の
ともしき見れば倭(やまと)し思ほゆ
(万葉集 巻七「羈旅(きりょ)」よみびとしらず)
【意味】
足柄の箱根の山を飛び越えて、故郷のある西の方へ 行く鶴のうらやましい姿を見ると、大和の国のことが しのばれてならない。
歌枕としての「足柄」は「足」に掛け、「足が軽い」の意味や、「足柄の山」など、旅の歌として詠まれることが多かったようです。足柄の山の木で船を作ると、船足が軽かったと知られていたようです。
論文「中世の旅の歌枕と東国」(木村尚志 東京大学国文学論集(5)2010.3)は、平安時代頃には、実際の旅路ではなく、たとえば京の都にいながら想像して、あるいは聞き伝えのイメージに仮託して思いを詠みこむということが行われていたことを指摘しています。同論文では、次の歌には、京と鎌倉を近くしたいという政治的な意図もあったのではないかと述べています。
かよひなれてあづまもちかし足からの
関路はるかに思ひしかども
(拾玉集 百番歌合 1855 慈円(じえん))
【意味】
通い慣れて見ると、東国も近く思われるよ。
都から足柄の関路は遙かに遠いと思って来たけれど。

