テキスト版 Books A to Z in Library 「わたし」と「あなた」の間に
「2021年10月24日(日曜日)開催 文字・活字文化の日記念イベント Books A to Z in Library 「わたし」と「あなた」の間に」の様子をテキスト版でご覧いただけます。
1 はじめに
今日はエフエム横浜で担当していた「Books A to Z」という本の紹介番組の図書館バージョンということで、たくさんの本をご紹介したいと思います。実は、去年もこの神奈川県立図書館で本の紹介をさせていただきました。去年はコロナの不安があったのですが、30人くらいの方にお集まりいただいて、席は離れる感じで座っていただいて、対面でお話をさせていただきました。1年前は漠然とぼんやりと、もし来年もこのような企画があって、私がお話をさせていただけることがあったら、1年後だから、普通の距離で、皆さんと直接顔を合わせて話ができるかなと思っていたのですが。ワクチンの接種をしたとはいえ、なかなかそう早くはいかないものだなと思っています。ただ、明日から普通にお店が営業できるとか、お酒の提供もできるようになるという話も聞いているので、だんだん日常に戻りつつあるのかなとは思います。
こうやってZoomで皆さんにお話をさせていただいているのは、私と皆さんの間にコロナウイルスの不安があるからです。そこにはどうしても距離があります。この状況を今年はテーマに使ってみようと思いました。今年のテーマは「『わたし』と『あなた』の間に」です。私と皆さんの間には物理的な距離があると申し上げましたが、みんなこの1年持ちこたえてきましたよね。私と皆さんの間、それから皆さんと皆さんの近しい人たちの間に、お互いへの労いの気持ちがあるのではないかと思います。この「わたし」と「あなた」ですが、本を介在させるといろいろな当てはめ方ができるなと思いました。
簡単な図なのですが、画面の共有をしてみたいと思います。皆さん図が見えますか。簡単なワードの絵ですが、「私」というのはもちろん自分自身でも良いし、その本を読む読者としても良いし、それから本を読んでいる時は自分が物語の主人公や本の中の登場人物になったような気持ちになることがあります。ですから、「わたし」を解釈すると、こんな風な解釈ができるのではないかということ。そして「あなた」というのも、特定の個人でも良いし、書いている著者の事でも良いし、先ほど主人公の気持ちになると言いましたが主人公以外の登場人物でも良いし、本という物体そのものでもいいと思っています。つまり、自分と本、自分とほかの誰か、主人公とその他の登場人物、いろいろな組み合わせが考えられます。その間に何があるのかということを考えながら、今日はご紹介していきたいと思います。
去年、この県立図書館で本を紹介したときは、ここ1、2年ぐらいの間に紹介された本を中心に7作をご紹介したのですが、今年は、せっかく神奈川県立図書館という場所からお送りするので、簡単に手に入らない本というか。私はエフエム横浜の番組でも言ってきたのですが、本はいつも手に入るわけではないです。昔は本屋さんに行けばたくさん本があるのだから、本屋さんの本棚に行けば手に入ると思っていたのですが、本の売り出される寿命はすごく短いです。たとえば、村上春樹さんとか、東野圭吾さんとか、宮部みゆきさんとか、そういった方の本は注文すれば手に入ることが多いです。でも、たとえば芥川賞や直木賞を昔受賞した本を読んでみたいと思って本屋さんに行っても、取り寄せはできないと言われることが多いです。大きな賞を受賞した本でさえなかなか手に入らないくらい、本は、毎日たくさん発売されています。今日は、手に入りやすい本ももちろんご紹介しますが、図書館だと借りられる本、普通の本屋さんだとなかなか買えないかもしれないけれど、図書館でなら読める本というものも紹介していきたいと思います。そして新しい本、古い本、色々と取り混ぜてご紹介していきます。
2 私たちの星で
「「わたし」と「あなた」の間に」というテーマにしようと決めたとき、真っ先に思い浮かんだ本から紹介していきたい。作家の梨木香歩さんと文筆家の師岡カリーマ・エルサムニーさんの手紙のやり取りの本『私たちの星で』です。岩波書店から2017年に出版されています。
「ステイホーム」という言葉が定着してから、私たちの生活の中でSNSの領域が大きくなった気がしています。ワクチン接種に関する情報など、参考になる、役に立つ情報を取りに行く手段となりました。ツイッターのタイムラインを見ていると攻撃合戦を目にします。文字でなら相手に唾を吐きかけても殴ってもかまわない、と思っているらしき人がいるなと思うようになりました。面と向かっているわけではないから怖くない、と思っているのか。SNSというものは、アカウントの後ろに人の肉体があるということを忘れさせるツールなんだ、と思いました。対話や議論というのは悪意のないところでしか成り立ちません。相手をいかに侮蔑するかを競い合っているかのような、冷笑とか嘲笑のやり取りを見ていると、そうすることで気持ちが晴ればれする人もいるのかもしれないのですが、相手を論破したと勝手に思って悦に入っている姿を多くの人にさらしているという事実が見えなくなっているのかもしれないと思います。誰かと言葉を交わすとき、その二人の間に「敬意」「尊重」「礼儀」「関心」そういうものがないと虚しい。その文字を入力したスマートフォンを離れてからも嫌な気持ちが持続するということがあるのではないかと思います。そのことを逆の形で思い出させてくれたのが『私たちの星で』という本です。
梨木果歩さんは『西の魔女が死んだ』など多数の著作がある作家、師岡カリーマ・エルサムニーさんは母親が日本人、父親がエジプト人の方であり、新聞でコラムを書き、大学でアラビア語を教えている方です。この本には、二人が交わした20通の手紙が収録されています。手紙を交わすようになったきっかけは、梨木さんによる「ムスリムの方と手紙を交わしたい」というリクエストであり、2015から2016年にかけてやり取りされたものが収められています。
カリーマさんから梨木さんへの手紙に、「日本で幼稚園に通っていたころの思い出」について書かれたものがあります。友達の家に遊びに行ったら、たまたまその子のお父さんがいた。そのとき、「わぁ、このうちはお父さん、お母さん、二人とも日本人なんだ。それってとっても生きやすそうだわ。と思った」という部分があります。5、6歳の頃に「生きやすそう」という言葉は自分の語彙にはなかったと思います。今は多様性が謳われる社会になっていますが、自分と異なる人を排除しない心の装置をどうやって手に入れることができるのか。そのような大きなテーマを背景にしながら、お二人のルーツや、幼いころの思い出話や、忘れられないエピソードが披露されているというところが、この本のとても楽しいところです。お二人にとっての富士山の話、梨木さんのイギリスヒースロー空港での体験談も面白いです。そして食べ物の話では、カリーマさんが自分にとってのおふくろの味は「ロシア風にアレンジされたタタール料理」だったと書いています。日本人とエジプト人が御両親とのことから、おふくろの味は日本かエジプトの味かと思いますが、その理由が明かされる部分ではとてもびっくりしました。
そして、カリーマさんは「文化はそれ自体が重層的に融合した異文化の結晶だ」と言っています。文化とは最初にあった姿のままで持続しているわけではなく、それに関わって来た人々の意思や関心などが積み重なって今の形になっており、それ自体が重層的に融合した異文化の結晶であると思います。そして、姿を変えていくものでもあると思います。お互いの間に敬意を挟んだ言葉のやりとりの中に、美しさが感じられる1冊です。本屋さんでも手に入るかも知れませんが、図書館でもぜひ探していただきたいと思います。
3 チェスをする女
今日は、本屋さんで手に入る本と図書館でなら読める本の両方を選んでいます。次に紹介する本は図書館で探してみてほしいと思う本です。『チェスをする女』、ベルティーナ・ヘンリヒスさんというフランスの方が書いた本です。中井珠子さんの翻訳で筑摩書房から出版されています。女の人がエプロンをかけた後ろ姿でカーテンを開けているという絵の表紙なのですが、どうしてこの表紙かということはあとでご説明します。
私は、自分の生活の中にネットフリックスがないと生きていけないです。そのネットフリックスで「クイーンズギャンビット」というドラマがヒットしたことをご存知の方もいらっしゃると思います。養護施設で暮らす少女ベスが、その施設の用務員さんにチェスを教わります。たちまちのうちに才能が開花する彼女はプロとして次々に男性のプレイヤーを倒して行く、という話です。始まりが1960年代で、ドラマの映像ではベスが泊まるホテルのクラシカルな雰囲気や、チェス盤の駒や盤の形などが非常に美しく撮影されており、夢中で見てしまいました。ストーリーも迫力があり面白かったのですが、その「クイーンズギャンビット」を観ているときに、そういえば普通の40代の女性がチェスに出逢うという話があったと思い出して、この『チェスをする女』を取り出し、読み返してみたら、すごく良かったのです。最初に読んだ時もすごく好きでしたが、今年読み返してみたら、やっぱりいいなと思って今日持ってきました。今日来る前にアマゾンで調べてみたら高値が付いていたので、ぜひ皆さん図書館で探してみてほしいと思います。
チェス、将棋、囲碁、まさに闘うふたりの間に盤があります。この小説の主人公は、ギリシャのナクソス島という島のディオニソスというホテルで長年働いている42歳の主婦エレニ、彼女は客室清掃のベテランです。ですからこの表紙だったというわけですね。彼女は自動車修理会社を経営している夫とふたりの子供と四人暮らしで、朝早く出勤して午前中いっぱい仕事をし、午後はたまに友達と会い、買い物をして夕飯を作る、そういうサイクルの生活をしています。夫は食事のとき間が遅くなると不機嫌になるので、エレニは毎晩きちんと支度をしました。観光で成り立っている面のある保守的な島で、ホテルの仕事は家や家族から離れて外の世界に触れられるエレニにとってとても大事なものでした。彼女がチェスに出会ったのは、フランス人のカップルが泊まっている部屋の掃除をしていた時。やりかけのチェス盤がそこにあった。仕事の帰り、彼女はあることを考えます。夫の誕生日にチェス盤をプレゼントするのはどうだろう。一緒に覚えよう、と提案してみる。でも、この島では誰かが変わったことをしたらすぐに噂になる。エレニは考えた末、昔の恩師クロス先生のところへ足を運びます。久しぶりに会った先生にエレニは「先生、私の代わりにチェス盤を買って欲しいんですが」と頼んでみる。先生が買ってくれたのは電子チェス盤でした。あんまり見栄えが良くなくてエレニは内心がっかりしたけれど、きれいな包装紙でくるんで夫にプレゼントした。夫は喜んではくれたものの興味を示さなかった。ある夜、エレニは先生が買ってくれたチェスの教本を開いてみました。なんだか面白そうなゲームではないか。電子チェス盤のスイッチを入れてみる。その日からエレニの前にまったく予想もしていなかった新しい世界が開け始めました。
チェス盤を買うという何でもないことですら、誰かの目を気にしなくてはならないような場所にエレニは住んでいるわけです。地味な主婦がもしチェスに熱中し始めたら、誰かが気づかないはずはありません。エレニは、この後、クロス先生にチェスの手ほどきを受けます。勝とう思ったら簡単なゲームではない。エレニは、自分がうっかり手を出してしまったものが、あまりにも困難で、腹立たしさや悔しさを覚えたりします。クロス先生はそんなエレニにこんなことを言います。「さあ、さあ、気を取り直して。あるのはチェス盤だけだ。その他はすべて幻想だよ。そう、自分とエレニの間にあるのはチェス盤だけ。その他の世界は今何も存在しないんだよ。」と、先生は言うわけです。妻は貞淑で自分に尽くすべきだと思っているエレニの夫、エレニを陰ながら応援するホテルのオーナーの女性、エレニの練習相手となる薬剤師の男性。物語の後半、エレニはチェスの大会に出るために、ギリシャの首都アテネに船で向かいます。さて、どうなるのか。少しのユーモアが混じった静かなラストが本当に素晴らしいです。『チェスをする女』ぜひ手に取ってみてください。
2冊ご紹介してきました。今ご紹介しました、『チェスをする女』は、ギリシャの島を舞台にした物語でしたが、私はこれを読んで、もしエレニが男性だったらと考えました。もっと自由に堂々とチェスができたはずですよね。エレニは女性だったから、夫の、そして周りの人たちの目を気にしなければなりませんでした。それが昔から身についていたわけです。
4 女性ホームレスとして生きる
女性であるということの困難について考える時、私は去年の11月、渋谷区のバス停で64歳の女性が殴られて死亡した事件を思い出します。大林さんという女性で、試食販売の仕事をしていて、亡くなる数年前から家のない状態だったそうです。所持金は8円でした。大林さんは、若い頃は劇団に所属していて、アナウンサーを目指していて、披露宴の司会をしていたこともあったそうです。結婚歴もあったそうです。そんなプロフィールが、自分自身に似ている事もあって、私と大林さんの間の距離は全然離れていないと、そのニュースを知った時から思わずにはいられないのです。その気持ちもあって、たどり着いた本を3冊目にご紹介します。
『女性ホームレスとして生きる 貧困と排除の社会学』丸山里美さんがお書きになっています。世界思想社という出版社から出ていて、2013年に発売されたのですが、今年の9月に増補新装版として再発売されました。
これは、著者の丸山さんが東京と、大阪の路上で出会った女性、そして東京の宿泊所に宿泊していた女性、合わせて33人に聞き取りを行った行動観察調査の記録です。路上生活者の女性に対する聞き取りと言っても、1年とかの期間ではなく、なんと6年もかけています。路上生活者は男性のほうが多いです。男性が前提となっていたこれまでのホームレスについての研究で取りこぼされてきた女性に焦点を当てたら違うものが見えてくるのでは、という視点で書かれた論文が元になっています。ドキュメンタリーとはまた違った読み心地です。
この本の中で丸山さんが関係を築いて話を聞いた女性たちの平均年齢は59歳です。知的障害を持っていたり、学校へほとんど行っていなくて、字が読めないという人もいる。一方で、会社を経営していたという人もいれば、仕事をしながら路上生活をしている人もいる。事情はさまざまだけれども、みんながみんなこの生活から抜け出したいと思っているわけではないこと、抜け出したいと言って施設に入るけれども路上に戻ってくる、それを繰り返す人もいるという事を、私はこの本を読んで初めて知りました。自ら路上にとどまることを選択しているのはなぜか、その意思の中に何があるのか。そして、この本はすごいと思ったのは、女性の意思を作っているものは何かという大きな問いなのですが、そういうところにまで奥深く潜っていくのです。
この本にはこんな件があります。「主体とは、あらかじめ自立してあるようなものではなく、むしろ長いプロセスの中で現れてくるもの、つまり野宿をやめて居宅生活に移るという選択を、その後長い時間のあいだ、失敗もしながら他者とのかかわりの中で維持していく、その終わりのない過程のなかにこそ現れると考えるべきではないだろうか。」私はこの文章を何度も何度も読みました。文章の意味が自分でも本当にわかっているとはまだ思えないのですが、この文章にたどり着いた時は、腑に落ちたというか納得しました。ページ数としては300頁弱ぐらいで、巻末に参考となった資料も非常にたくさん書いてあります。先ほど増補新装版が出たと言いましたが、増補新装版の巻末に、作家で社会学者の岸政彦さんによる解説が収められています。その解説が温もりのある解説で、それを読んでこの本を閉じることができてすごくよかったなという気がしました。1日で読めるような本ではないのですが、皆さんにもぜひ手に取っていただきたいなと思っています。
5 非モテから始める男性学
男性についての本です。新書です。『「非モテ」から始める男性学』。著者は、臨床心理士の西井開さんです。今年の7月に発売されました。集英社新書から出ています。今、「非モテ」と言いましたが、アクセントはそれでいいのかな。新しい言葉は、アクセントがちょっとわからないですね。「非モテ」という言葉です。「もてない人」という意味の中に、侮蔑とか自虐とかエクスキューズとか、いろんなものが入っている言葉なのではないかと思います。
著者の西井さんは、「僕らの非モテ研究会」というグループに参加していて、非モテの苦悩を語り合い、語り合って行く中で、昔学校のクラスでいじめられたこととか、親との関係がうまくいってなかったこととか、そういうあらゆる悩みを出し合って、お互いに聞いてもらううちに、僕たちは本当にモテないから苦しいのか、という疑問に行き着いた。その疑問が、この本の発端になっているということです。要は、持てないから悩んでいて苦しいのか、いや、もっと複雑な背景があるのではないか、その背景を考察したのがこの本です。
非モテ研究会のメンバーの多くが、大人だけれど、自分は一人前の人間ではないのではないか、という感覚を抱えていると、西井さんは言っています。「お前なんでここにいるの?」という組織のなかでの無言の排除のシグナル、男性達がいわゆる武勇伝を披露し合うメンズトーク、そういう集団の中で居心地の悪さを感じているのに、仲間はずれにされる、ハブられるのが怖くて自らいじられ役になったり、彼女さえできればこの不遇な状況が変わるのではと一発逆転思考に陥り、自分に優しい女性を「女神」だと勝手に決めて暴走する、付きまとったりしてしまう。非モテの自己否定が形成される過程の中にはそういう局面が折々に現れると書かれています。そしてこの本では、「周縁化」という言葉が出てきます。つまり、淵に追いやる、外側に、端っこに置いやって行くという意味の言葉なのですが、男性による男性差別、周縁化は、巡り巡って女性を抑圧する大きな原因になりうる。それを未然に防ぐにはどうしたらいいかという、著者西井さんの問いがこの本にはこめられているのです。
非モテの当事者である切実さと、それを分析する視点の冷静さの両方を持って書くというのは難しいことだと思います。自分の弱さを分析するということでもあるわけですから。そして、非モテ研究会というのは、西井さんの友達や仲間でもあり、それがこの本のメインの素材、その会話の内容やどういうことを話し合ったかということが、この本にはたくさん出てきます。素材として使われている面もあるため、西井さんはメンバーの気持ちに配慮しつつ、読者にとって読むに値するものを書かなければならないという二つのことを同時にしていたと思います。これを読んでいると、最初からその一文一文がとても注意深く書かれていて、発見もあるのですが、本当に西井さんという人の人柄がうかがえる1冊になっていると思います。女性の本も読んで欲しいですし、このような男性研究の本もぜひ読んでいただきたいなと思います。『「非モテ」から始める男性学』という本です。これは比較的新しい本なので、書店でも手に入るのではないかと思います。
6 名著のツボ
さて、ここまでは2000年代、ここ10年くらいの間に発売された本をご紹介しました。今日は先ほども申し上げましたが、昔の作品、昔の作家の本もご紹介したいと思います。その手がかりになった本をまずご紹介しましょう。とても鮮やかな装丁の本です。私が尊敬するライターの石井千湖さんが「週刊文春」に連載していたものが1冊になった『名著のツボ』という本です。文藝春秋から出ていますが、古今東西の名著の読みどころやその作品が書かれた背景などを、石井さんがその本に詳しい専門家、翻訳家の方や哲学者などにインタビューして百作を紹介している本です。百作、凄いですね。ひとつひとつの文章に手間がかかっていると思います。たとえば、どんな本が取り上げられているかというと、『カラマーゾフの兄弟』もあり、『百年の孤独』もあり、『源氏物語』もあり、デカルトの『方法序説』もあります。社会の教科書で勉強したとか、世界史で勉強したという本もたくさんあって、その名著を読んで、調べて、質問を考えて、インタビューして、それをもとに原稿をまとめる。「週刊文春」という雑誌の読者層を考えて親しみやすく書くという作業が一つ一つに込められていて、この1冊の中にどれだけの時間と労力と本によって知識を得ることの豊かさが詰まっているかと思わずにはいられません。長く読まれる案内の書だと思います。私達とこの本の間には、たくさんの名著が置かれています。
『カラマーゾフの兄弟』『源氏物語』も取り上げられていますと言いましたが、そのようなとても長い大作も収められているほか、たとえば夏目漱石の『坊っちゃん』、太宰治の『人間失格』など、私たちが読んできた読みやすい作品も取り上げられています。私がこの『名著のツボ』を読んでいて、「えっ、そうだったの」と思ったのは、森鴎外の『舞姫』です。みなさんもご存じだと思います。ドイツに留学した豊太郎という男が現地でエリスという女性と恋に落ちる。エリスは妊娠し、子供が生まれるのを楽しみにしていました。しかし、豊太郎が帰国することを彼の友人から聞いて心を病んでしまう。豊太郎は悲しく思いながら帰国するという話です。私は、高校生のときに国語の教科書で読んで、エリスがあまりにも可哀想で腹が立って、男の人たちに絶対にエリスを憐れんでもらいたくないという感想文を書いたのです。ところが、この『名著のツボ』で『舞姫』を解説されているのが作家の平野啓一郎さんなのですが、平野さんが思いがけないことをおっしゃっているのです。私は『舞姫』を読んでから35年以上経って、初めてその事実を知りました。こんな風に、読んだことのある作品に対する発見もある1冊です。
7 夜と霧
この『名著のツボ』に取り上げられている1冊で、数年前に買ったまま、まだ読んでいない本が自宅にあったので、それを取り出して読んでみました。それが、このヴィクトール・E.フランクルの『夜と霧』という本です。池田香代子さんの翻訳で、みすず書房から出ています。タイトルぐらいは知っている方もいらっしゃると思います。私もそうでした。いつか読んでみたいと思いながら買ってそのままになっていた1冊を『名著のツボ』を読んで、読んでみなければと思って取り出しました。初版が出たのは1956年、日本では累計100万部が売れています。プロボクサーの村田諒太さんが愛読書だとおっしゃっていたことでも有名になった本です。
精神医学者、心理学者である著者が、強制収容所でのことを語ったものですが、ユダヤ人だった彼は医者としてではなく、一収容者として強制収容所に入れられました。「私はおびただしい小さな苦しみを描写しようと思う。」という最初のページの言葉から心がしんとします。先ほども言ったように、フランクルさんは観察者ではなく、本人の言葉を借りればごく普通の収容者で1分1秒死の恐怖にさらされながら、極寒の中、固い地面を長時間掘り続けるというような作業をさせられ、味のないスープと、小さなパンしか与えられないような境遇を耐え抜きました。生命を維持するということだけしか考えられない日々。でも、この本はその日々の記録というだけではない別の側面があります。この本の129ページの「生きる意味を問う」というパラグラフにハッとしない方はいないと思います。ものすごく大きい普遍的なこの問いのフランクルさんによる答えをぜひ読んでほしいと思います。私は、こんな考え方があったのかと、この本が長く読み継がれている理由がわかりました。本当に名著が長く生き残っているというのは、長年、人々の問いに答え続けてきたからなのだということは、この本を読んで理解できた気がします。厚さを見ていただいてもわかるように、そんなに長くありません。170ページくらいです。
名作というのは、読めるかなと思いますよね。私も、だんだん年を重ねていくに従って、忍耐力がなくなってきて、一生の内に絶対に読めないと思ったりします。名著は高い山ですが、この『夜と霧』のような本からぜひ読んでいってほしいと思います。私も頑張るので、ぜひ皆さん一緒に頑張って読んでいきましょう。
8 文豪たちの友情
『名著のツボ』をご紹介しましたが、石井さんの本をもう1冊ご紹介したいと思います。石井さんは、ブックガイドを2冊同時に発売されて、それがこの『文豪たちの友情』という本です。単行本を持ってきましたが、今年新潮文庫でも発売されました。私とあなたの間に友情があったという評伝集です。
タイトル通り、文豪たちがどんな友情で結ばれていたかという本なのですが、「文豪」っていろいろ頭の中に浮かびますよね。その頭の中にバラバラに存在していた作家達が線で結びつく楽しさというのがまずあります。太宰治と坂口安吾、芥川龍之介と菊池寛など13組。加えて、夏目漱石、志賀直哉、江戸川乱歩、この3人の周りの弟子や、仲間たちとの交流エピソードも盛り込まれています。
たとえばそれこそ『友情』という、小説を書いた武者小路実篤。彼は、志賀直哉と仲が良くて、一緒に旅に出かけたり、彼の恋の後方支援をしたりします。志賀直哉が別の友達の家に行って自分に電話を掛けなかった時。「僕は怒っている。本当に怒っている。後で電話をかけて怒るが、今は葉書で怒る。」と書いた葉書を送ったりしたそうです。可愛いですね。文豪なのに、愛らしいというか、なんて素直に気持ちを表すのだろうと、くすっとしてしまいますが、こういうエピソードもたくさん盛り込まれています。
文豪の中にはいろいろな話があり、谷崎潤一郎が妻を譲ると佐藤春夫に約束したのに、谷崎がそれを果たさず、ふたりが絶好した小田原事件というものがあったり。太宰治が、これは非常に有名なエピソードですが、芥川賞がどうしても欲しくて、選考委員のひとりの佐藤春夫に長い長い手紙を書いたことなど。そういう話も挿入されているのですが、この文豪たちの交流の中に、一番と言っていいくらいあちこちに顔をのぞかせるのが、佐藤春夫です。神奈川県に、神奈川近代文学館という文学館があって、私も時々足を運びます。谷崎潤一郎展とか太宰治展とか中島敦展とか、ひとりの作家をフィーチャーした展示会が行われたりするのですが、そういう展示会を見に行くと、必ずと言っていいほど、佐藤春夫の手紙が置いてあり、佐藤春夫はいろいろな人と仲が良かったのだなと漠然と思っていました。この『文豪たちの友情』を読んで、たくさん佐藤春夫が出てくるので、そういえば佐藤春夫の本を読んだことがなかったと思い、読んでみました。
9 美しき町
岩波文庫から出ている『美しき町 西班牙犬の家』という本です。これは作品集です。とても面白くて、佐藤春夫って面白いなと思いました。岩波文庫ですが、最近復刻され、増刷されて、本屋さんでも手に入りやすくなっているのですが、もちろん図書館でも借りることができます。
表題作の「美しき町」。ある画家が、昔の友達に再会します。その友達、名前は川崎と言うのですが、彼はお父さんの遺産を相続したため、大変なお金を持っていて、そのお金で家を百軒建てたいと画家に夢を語ります。その百軒の家はもちろん、自分が住むのではなくて、百の家族に住んでもらいたい。貸すのではなくて、ただ住んでもらいたいと川崎は言います。そして、もし住んでくれる人に要求できるならばと、川崎はいくつかの条件を口にします。
- 自分が作る家に満足してくれる人。
- 互いに選びあって夫婦になった人。
- 最も好きな職業を自分の仕事にした人、それで身を立てている人。
- 商人でなく、役人でなく、軍人でない人。
- その街の中では金銭の取引をしないという約束を守ってくれる人。
- 必ず一匹の犬を飼うこと。犬が好きでなければ猫、猫が好きでなければ小鳥を飼うこと。
こういう人に住んでもらえる小さな街をつくりたい、と言うのです。面白い条件ですね、理想ですよね。
川崎と画家は百軒の家を建てる場所を探して、都内にぴったりのところを見つけます。ベテランの建築技師を仲間に入れて美しい街を作るプロジェクトが始まりました、という話です。さあ、理想は果たして形になるのか、という物語なのですが、読んでいて、ここで終わるのかなと思いきや、その後も続くという展開です。ここで終わってもおかしくないのに、物語がまだ続くのだなと思います。
表題作の「美しき町」を紹介しましたが、全部で8つの小説が納められており、テイストがひとつひとつまったく違います。たとえば、事件を起こした男性の一人語り告白で綴られる話があったり、残酷で美しい恋愛の話があったり。それからこれは「西班牙犬の家(スペインけんのいえ)」と読み、最初に収められているのですが、ちょっと不思議な童話のような感じの物語で、これも良かったです。佐藤春夫は、水のつきない泉から、どんどんどんどん文章が出てきて、それを書いているのかなと、そんな印象がありました。普通の感想ですが天才なのだと思いました。ぜひ気軽に読んでほしいです。文豪の本を1冊読むと、達成感があるじゃないですか。短編集を読んでいくと、ひとつひとつ楽しんでも1冊が終わったというような時間を過ごせると思うので、ぜひ気軽に読んでほしいです。
10 八木重吉詩集
佐藤春夫の本を紹介しましたが、佐藤春夫が生まれたのは明治25年、1892年です。その6年後、明治31年に生まれた八木重吉の詩を、今日はいくつか読んでみたいと思います。
さっきSNSの話をしましたが、八木重吉の詩って、こじつけかもしれないのですが、SNSのつぶやきみたいな感じがあります。すごく短いです。八木重吉は29歳で亡くなっていて、生前に発表した詩集は1冊のみです。重吉が亡くなって4ヶ月後、2冊目の詩集が刊行されました。妻のとみ子さんは働きながら残されたふたりの子供を育てていくのですが、なんと重吉の長女14歳で、その3年後に長男も15歳で亡くなってしまいます。ふたりとも重吉と同じ肺結核だったといいます。ですから、妻のとみ子さんは夫を亡くし、ふたりの子供を亡くしてしまった。その後、鎌倉に移り住んで歌人の吉野秀雄と結婚します。彼はとみ子さんが結婚のときに持ってきた重吉の原稿を見て、彼のことを知って、重吉の作品を世に広めるため力をつくします。つまり、重吉は自分の妻の再婚相手の尽力で、たくさんの作品を世に知られるようになったという経緯があるのです。神奈川県にも非常にゆかりの深い人物です。
八木重吉、皆さんどこかで名前を聞いたことがありますか。私ぐらいの世代、1960年代生まれぐらいの人は、国語の教科書でやったな、という方もいらっしゃるかと思います。ひとつ重吉の有名な詩を読んでみます。「母をおもう」という詩です。
けしきが
あかるくなってきた
母をつれて
てくてくあるきたくなった
母はきっと
重吉よ重吉よといくどでもはなしかけるだろう
このぐらいの長さの詩が多いです。この県立図書館には思潮社という出版社から出ている『八木重吉詩集』があります。これは詩人の本をたくさん取り上げているシリーズで、コンパクトで読みやすいサイズになっています。いろいろな詩人の詩が、このシリーズの中に収められているのですが、今日はこの本に収録されている詩、そしてもう少し厚い『定本八木重吉詩集』から選んだ詩を、今日は朗読したいと思います。この『定本八木重吉詩集』も非常に古い本なのですが、最初に書かれている「序」というところに寄せているのは詩人の高村光太郎です。
これだけの詩を29年間の中に書いてきたのだなと思いますが、さっきも言ったように、本当に2行ぐらいの詩がたくさんあり、私たちがSNSに書くつぶやきのような感じで読めるものもたくさんあります。その中には、タイトルのない詩もあるので、その詩は「無題」と言ってから読みたいと思います。
「稲妻」
くらい よる
ひとりで 稲妻をみた
そして いそいで ペンをとった
わたしのうちにも
いなずまに似た ひらめきがあるとおもったので
しかし だめでした
わたしは たまらなく
歯をくいしばって つっぷしてしまった
「果物」
秋になると
果物はなにもかも忘れてしまって
うっとりと実のってゆくらしい
「素朴な琴」
この明るさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美くしさに耐えかね(て)
琴はしずかに鳴りいだすだろう
「顔」
どこかに
本当に気にいった顔はないのか
その顔をすたすたと通りぬければ
じつにいい世界があるような気がする
「無題」
疲れたわたしは
詩をつくる
何のために!? たぶん
詩をつくらねば
もっともっとさびしいからだろう
貧乏なわたしは
絵を描く
恐らく 自分にすら分らない
理由のために
「無題」
じぶんが
どうしてもじぶんであって
わたしのほかのものでないという
そのことがぬらりときみわるい
「太陽」
太陽をひとつふところへいれていたい
てのひらへのせてみたり
ころがしてみたり
腹がたったら投げつけたりしたい
まるくなって
あかくなって落ちてゆくのをみていたら
太陽がひとつほしくなった
「川」
ひろい川を見ると
かなしみがひろがるのでらくになるようなきがする
「雨」
雨がふっている。
いろいろなものをぬらしてゆくらしい
こうしてうつむいてすわっていると
雨というものがめのまえへあらわれて
おまえはそう悪るいものではないといってくれそうなきがしてくる
こんな詩を重吉は書いています。本当に優しい言葉で、自分の心の中の気持ちを表現したと言う感じで、自分にも書けそうな感じがしますよね。ところが、簡単そう、自分にもできそうと思ってできないのが、詩とか俳句とか短歌なのだと思います。さっきも言ったように、重吉はこれだけたくさんの詩を書いていますが、人に見せようと思って書いたものではないものもたくさんあると思うのです。その作品の中に、50年100年経ったその後に生きる人たちの心にもやっぱり通じる、私たちの心に届くものがあるのだなと思います。この八木重吉詩集をめくっていて思うのは、自分のそのとき々の気持ちを書いておくことは、すごくいいことだということです。私はノートなどに書くこともするのですが、パソコンのメールソフトに宛名を書かないで、タイトルもつけないで、思っていることを書いていたりすることがあります。一生誰にも見せないものだと思うのですが。そのようなものであっても自分の心をテキストにする、文章にするというのは、絶対悪いことではないと思います。
この県立図書館で、皆さんに集まっていただいて好きな本を紹介するというイベントをやったことがありました。そのときに思ったのは、人に何かを説明する時、相手が何も知らないということを前提にして、自分がそれを知っているから、どうやって説明するのかということを考える時に何が必要かというと、普段から文章で物事を考えるということが非常に役に立つのです。人は話す時に単語で話しがちです。友達に話す時にも、主語述語がある文章というよりも単語で話が通じてしまうので、単語で話すことが多いと思いますが、文章で物事を考えて、それをテキストとして記しておくと、人に何かを説明したりする時に非常に役に立つので、ぜひ皆さんにもやっていただきたいなと思います。自分の頭の中で考えるだけでもいいです。文章で物事を考えるってすごくいいことだと思います。
11 三十の反撃
皆さん、本屋大賞ご存知ですね。毎年、本屋大賞に選ばれた本というのは必ず売れます。その本屋大賞の「翻訳小説部門」というのがあるのですが、去年、翻訳小説部門で1位に輝いたのが『アーモンド』という小説でした。著者は韓国の女性作家ソンウォンピョンさんです。これは、頭の中にあるアーモンドの形をした偏桃体が人よりも小さいために感情を感じにくい少年ユンジェの物語です。その、感情を感じにくい少年が表紙になっているのですが、本屋さんで見かける時、印象に残ります。どんな話なのだろうと思います。
彼の人生には非常に辛いことが起こるのですが、その出来事を、感情が感じにくい彼がどうやって見ているのかというのが、この本の一番の読みどころなのかなという気がします。『アーモンド』は日本で35,000部以上売れました。海外の小説がそれだけ売れるのはすごいことです。そしてこの『アーモンド』に続いて翻訳されたソンさんの作品が、今日ご紹介する『三十の反撃』です。翻訳は矢島暁子さん、祥伝社から出ています。今年発売された本です。こちらの表紙は女性です。
皆さんの職場にも、正社員、非正規、パート、アルバイト、といった働く立場、立ち位置の違いがあるのではないかと思います。普段、一緒に仕事をしていて、口にすることはなくても、そのフロアで一緒に時間を過ごして、それぞれの仕事をしているのに、自分と相手の間に立場の違いが横たわっている、存在していると、ふと感じることがあるのではないかと思います。自分がどちらの立場であっても、一瞬でそういうことを考える時があるのではないでしょうか。この『三十の反撃』、「三十」の数字の意味は30歳です。主人公のキム・ジヘは30歳で非正規です。
ジヘという名前は女性の名前としてとてもよくある名前だそうです。映画でも知られるようになった、半地下の家に彼女は住んでいて、ある大手企業グループが運営しているカルチャーセンターで働いています。正社員の座を狙ってはいるけれど、任されるのは雑用ばかり。ある時、会社に同い年のギュオクと言う男性が入ってきます。ギュオクは人当たりもよく、コミュニケーションスキルもとても高かった。実は、ジヘは以前、ある有名人を大声で罵倒していたギュオクを見たことがありました。そのときの雰囲気とあまりに違う、同一人物だとは思えない、そんなギュオクには不思議な引力がありました。カルチャーセンターのウクレレ教室に参加することになったジヘは、そこで知り合った男性二人と世の中の理不尽について居酒屋で飲みながら話していた。努力もせず、地位にあぐらをかいているやつがどうしてのうのうと生きているのだろう。ギュオクはジヘを含む彼らを先導するように言います。何かが少しも変わらなかったとしたら、それは誰も行動しなかったということです。 世の中の、小さな理不尽に一矢報いるようなことを、遊びのつもりでやってみよう。そう言うギュオクの言葉には説得力がありました。かくしてジヘは嫌な上司や汚いやり方で利益を得ている奴に対して、ギュオク達と共にバレないようなやり方で、小さな仕返しをしていきます。計画を立てて実行するのは、ちょっとしたゲームのようで楽しかった。心のガス抜き的効果もあった。ところがある日、その嫌な上司にジヘは呼び出されます。上司は、実はクビになると言い、置き土産として君を正社員に推薦しておいた、君は真面目に働いているから直接伝えたくて呼んだと、ジヘに告げたのでした。
切ないですね。この後、ジヘは昔、自分を排除したクラスメイトに思いがけない形で再会したり、正社員になったのに別の会社に応募したりします。そういうのってリアルですよね。この小説がいいなと思うのは、黙って我慢していたら何もならない、だから行動する。その結果がどうであれ、行動する事には意味がある、という話にはなっていない。なっていないけれど、というその先を考えさせるところです。この本の帯には、勇気を与えてくれる本だとか、背中を押してくれるという言葉がありました。私は、全然そんな話ではないと思ったのです。読後感は爽やかなのだけれど、何か消化しきれないものがある。ギュオクという人物に対しても何か割り切れないものを感じる、そこがすごくいいと思ったのです。 本って、私自身はそうなのですが、読み終わって、ああすっきりした、すべてが解決し、みんなとりあえず収まるところに収まって良かったなというものも、もちろん時にはいいのだけれど、その後この登場人物たちが生きている間に、何かまだあるのではないかと思えるような小説が好きだというところがあります。この『三十の反撃』、ラスト近くにまるで映像のような、スローモーションのように文章が書かれている場面があるのですが、そこも印象に残ります。
12 象の皮膚
次に紹介するのは、今年発売された佐藤厚志さんの『象の皮膚』という小説です。新潮社から出ています。そんなに厚くないです。こちらも主人公は女性です。五十嵐凜という30代の女性。彼女は仙台駅近くのビルに入っている大手の書店で働いています。夏でも長袖の制服を着られる職場でした。この『象の皮膚』というタイトルは、アトピー性皮膚炎の自分の肌を凜がそのように思っているという意味です。親兄弟から「ピー」とあだ名を付けられたり、学校の教師にいじめを受けたり、凜はこれまでずっと周囲から不当に扱われてきました。読者はまず、その扱われ方に憤りを覚えます。一方で、凛は小学生のとき、クラスで唯一といってもいい、自分を気にかけてくれる同級生女子が鬱陶しくて、その子に酷いことをしてしまった事がありました。凜にとって自分の皮膚は気持ちや行動を司る自分のすべてでした。隠したい見られたくない。でも、その皮膚は自分、皮膚が自分自身。だから誰かに自分の苦しみそのものである皮膚を見て欲しいという気持ちもあって、凜の中では常に相反する気持ちが戦っています。
そんな凜は仕事でも戦っています。書店を訪れる常連のクレーマーや万引き。この招かれざる客たちの執拗な嫌がらせの様子がすごいです。凜は自分を自動販売機だと思うようにしているという描写がいくつか出てきます。著者の佐藤さんは、実際に書店で働いている方なので、おそらくこの本に書かれているようなことは、実際に本当に珍しくなくあるのだと思います。職場にも仕事仲間にもいろいろな人がいる。凜の他にも非正規の社員がいる。困っている時助けてくれる人もいる、くれない人もいる、労ってもらえない時もある。
その日は休みの日でした。凜は美容院に予約の電話をしていた。大きな地震、水もガスも電気も止まった。仕事場が心配で行ってみた。店内は足の踏み場もなかった。営業を再開したのは、11日後の3月22日。大勢の人が詰めかけました。
地震というのは、東日本大震災です。この小説の中には東日本大震災が出てきます。仙台駅近くの書店員さんの物語で、大震災の描写が出てきます。書店が再開して、3月22日に大勢の人が詰めかけた、というと、震災でギリギリの生活が続く中、本や雑誌を求めていた人がたくさんいたといういい話になるのかなと思いますけれども、もちろん実際に、現実に、そういう側面はあったであろうけれども、新刊が入ってこないことに文句を言う、本の注文ができないと聞くと怒りだす、レジの前の長い列に腹を立ててお金を投げつける。そんな客に対応する凜たちの様子に、いら立つ側も受け止める側も被災者だったという現実があったことを、神奈川に居た自分は想像していなかったと気づきました。
アトピー、非正規、震災。辛い物語ではあるのですが、凛には、漫画やアニメの話が出来て、声優のイベントに一緒に行く事のできる友人がいて、その存在が凛の生活の一旦を見せてくれています。そして、その声優のイベントの場面が物語後半の山場でもあるのですね。趣味を共有できる、趣味の話ができる友達がいるということは、凛にとって救いであり、凛の物語を読む私たち読者にとっても救いなのです。私は最近、物語に「救い」とか「希望」とか「光」を求めるのは、何か小説にサービスを求めているということなのかなと考えることがあるのです。要は、千いくら出して小説本を買いますよね。その本を買った分だけ、たとえば「救い」がなかったとしたら、サービスしないのか、いい気持ちにさせてくれないのか、と思ってしまうことはどうなのかなと思うことがある、というのでしょうか。書評を書いていて、後味がつらい物語でも、後味が良かったと書きたい時があるのです。そういう小説は沢山あるので、そういうところをフィーチャーしたくなるのですけれど、例え物語の中に「救い」がなかったとしても、その物語として自分はその本を受け止めたいという気持ちがあるような気がするのです。
この小説、ラストで凛は「えっ、大丈夫なの」と思うほど、とても思い切ったことをします。このラストについてびっくりする、「えー」と思うこともあるかもしれませんが、私は、読み終わってしばらく経って、いいラストだと思いました。皆さんはどう感じるかなと思います。140ページで中編というぐらいの、とても手に取りやすい長さの作品です。佐藤厚志さんの『象の皮膚』という小説です。
13 第七階層からの眺め
私の周りにたくさん本が散らばっていまして、たくさん紹介してきたなと思います。古い本、新しい本、今年発売された本。次は、最後の紹介になります。最初に今年のテーマは「私とあなたの間に」だと言いました。今回は本屋さんでは手に入りにくいけれど、図書館だと読めるという本を紹介すると言いました。これから紹介する本は、10年前、2011年に発売されたのですが、今は手に入りません。10年前、どうして手に入らないかと言うと、出版社が倒産してしまったからです。なので、一般書店には多分置かれていないと思います。メルカリで調べましたが、少し前に出品があったのですが、それも買われてしまっていたので、多分、今メルカリにもないのではないかと思います。ですから、これから紹介する本と私たちの間にあるのは図書館です。
『第七階層からの眺め』アメリカの作家ケヴィン・ブロックマイヤーさんがお書きになった作品集です。翻訳は金子ゆき子さん、13の短篇が収められています。出版社が倒産するということ、もちろんあります。その権利を引き継ぐということもあるのですが、調べてみたらこの本にはそういう事もなかったようです。単行本が文庫になるということもあるのですが、この本は、やっぱり図書館ですね。
この本が特に話題になったとか、名作として紹介されたということではないと思うのですが、何か自分の心の中に、どこかにずっとある物語の中の風景が、ふとした時によみがえる、登場人物が顔をのぞかせる、そんな本が皆さんにもありませんか。すごく昔に読んだ本でもあると思うのです。私にとって、これはそんな1冊です。
ジャンルで言うと幻想文学と言ったらいいのか。SFとか幻想文学ですね。すべての人々に歌の才能がある町。人々がお互いの目を見ない町。予告もなく、すべての音が数秒消える静寂の時間が度々出現する町など、ひとつひとつの設定がユニークで、でもその設定の面白さだけで引っ張っていくのではなくて、頭の上に物語がふわりと乗っかって、それが上へ上へと上がっていくような感じがとても気持ちがいい、そんな作品集なのです。
すべての人々に歌の才能がある街には、言葉を発する事の出来ない男が住んでいます。彼はある時インコを飼い始めます。インコはどんどん増えていき、彼はそのインコを説明書付きで人にプレゼントするようになります。彼の家はもうインコでいっぱいになる。インコたちは男の出すあらゆる音をまねする。そして、という話です。これは、最初に収められているのですが、タイトルは『千羽のインコのざわめきで終わる物語』です。ラストシーンでは、本当に耳の奥に音が響いてくる、インコの色彩の鮮やかさが本当に目の前に立ち現れてくるのです。だから目と耳で楽しめる小説といったらいいでしょうか。この最初の物語を読んだだけで、私はもう本当にこの作品に取り込まれてしまって、絶対にいい本だと思ったのです。
表題作の『第七階層からの眺め』は、観光地の島で地図を売る女性の話です。孤独な女性の話なのですが、暖かい寂しさとでも言いたいような空気が漂っています。それから、視聴者から投稿された面白映像を集めたテレビ番組を作っている男性が主人公のお話があるのですが、彼が毎日わんさか送られてくるビデオの中から、面白いのだけれど放送できない映像を送ってくる投稿者に連絡をとるという話があって、それは、この作品集の中でも仕事の苦労というとてもリアルなものを扱っていると感じました。でも、ファンタジックな雰囲気もあるというのが、この作者ならではなんだろうなという気がします。
そして、この作品集の最後に収められている『ポケットからあふれてくる白い紙切れの物語』と題された短編は、こんな書き出しで始まります。「かつて、神のコートをたまたま買った男がいた。」「コート」というのは着るコート、「神」は神様の神です。その男がコートを買ったのは、リサイクルショップでした。袖はちょっと長かったし、ボタンの一つはひび割れていたけれど、胸回りのサイズがぴったりだった。家に帰る途中、彼はポケットの中に紙切れがあるのに気づきました。「アルバートのことをどうすべきか、どうか考え付くようにお助けください」と書いてあった。前の所有者のメモだろうか。翌朝出社した会社のエレベーターの中で、2枚のメモが彼の指に触れました。「今日の午後、臆病風に吹かれたりしませんように」「どうかあの男が私の娘に近づきませんように」。彼はオフィスの自分の部屋で、コートのすべてのポケットを探った。5つのポケットから7枚のメモが出てきて、それぞれに願い事、頼み事のような言葉がタイプされていました。机の上にその紙切れを並べていたら、同僚が10時からの会議を知らせに来た。ふと勘が働き、彼は同僚が去った後ポケットに手を入れてみました。「願いを一つ叶えていただけるなら、僕のシンディにあと数年の余命をください」。シンディがその同僚の猫であることを彼は知っていた。これは偶然ではない。このコートは祈りを入れる容器なのだと彼は確信します。人とすれ違ったり、大勢人がいる部屋に入ったりすると、ポケットの中の手はメモの感触を得る。「どうか、だれかが今日の私の姿を素敵だと言ってくれますように」。彼はまわりを見まわした。受付嬢のジェンナだった。「新しい派遣の子が、休憩室で君のことを言ってたよ。今日の格好、素敵だって。」ジェンナの顔は輝いた。祈りが確かに1つあった。たくさんの人間の祈りがポケットの中に現れました。結婚式をなんとか体裁よく取り消したいと思っているウエイトレス、一晩中途切れなく眠りたいと願っている宅配便のドライバー、理解できない祈りもあった。うっかり野球観戦にコートを着ていた時にはメモが溢れ出してしまい、2回の表で球場を後にしなければならなくなった。そのうち彼は、祈りがやってくる前にその圧力を感知するようになりました。
こういう話の結末はどういうものだと思いますか。ぜひ想像しながら読んでいただきたいと思います。このほかにも、腕のいい家具職人が、家から離れた大学で講義をすることになって、大学の近くに借りた部屋に短期滞在することになる。部屋の持ち主はイタリアに旅行に行っている。壁には親子三人の写真がたくさん張られているのですが、その家具職人が写真を見ている時、写真に写っている人物も彼を見ていて、彼の日々の行動に好感を持つようになる話もあります。つまり、視点のベクトルが交互になるのです。これもすごく好きな作品です。そして、この作品集にはゲームが入っています。読み手が物語を作る「アドベンチャーゲームブック」。ひとつ読んで、たとえばイエスのときは何ページへ行って、ノーのときは何ページへ行って、話がある。面白い話が入っています。それを読むだけでも面白いですし、短編集というのは、別に全部読まなくても、気に入ったものを繰り返し読むということもできると思うので、この1冊あると本当に長く楽しめるのではないかと思います。
今、オンラインなので、皆さんご自宅とかにいらっしゃると思いますが、すぐ図書館に行きたいと思っているでしょう。ぜひこの本のタイトルを忘れずに、図書館に足を運んでみてください。『第七階層からの眺め』です。
14 おわりに
最後に、ちょっと皆さんにお伝えしたいことは、去年、この県立図書館で30人の方の前でお話をした時に質問をお寄せいただいて、その場でお答えしたのですが。そのときに、ある方が、「生きていてもいいと思える本はなんでしょうか」という質問をお寄せくださったのです。そのとき、私は何か思いついたことを答えたと思います。だけどこの1年、何かのときにその質問を思い出していました。
私自身も「生きていてもいいと思える本」ってなんだろうと思ったのですが、ちょっと本とは離れるかもしれないのですが、ゲームとか、続きが楽しみなドラマとか、好きなユーチューバーが居るとか、アニメとか漫画とか、それから何か作ることが好きだとか、何でもいいと思うのですが、この先のとき間で自分の好きなものを見たい、聞きたい、何かがしたい、と思える好きなものがあるとしたならば、その好きなものが、自分に生きていていいって言ってくれていることだと思います。私は本が好きなので、誰か好きな作家さんの新しい本が発売されたら読みたいと思うし、そうでなくても本屋さんに行って読みたいと思った本があって、それを開いて、これは明日も読みたいと思ったら、それが私を明日も生きていていいって言ってくれてるってことだと思うようにしています。生きる意味なんて、小さくていいんです、と今、私は思います。
誰かのためにとか、何かのためにとかということもあったら、それはもちろん、すごく素晴らしいのですが、残念ながら、少なくとも今の私には無いです。自分を楽しませてくれるものだけが自分を生かしてくれると思っています。ですから、そんな気持ちでね、いろんな自分の好きなものを探して増やしていって欲しいと思います。
去年、その質問をしてくださった方が、今、この私の回答を聞いてくださっているかどうか分からないのですが、そんな風に思っていただければいいなと思っていますということで、今日の私の話を終わりたいと思います。皆さん、長い時間お付き合いくださいましてありがとうございました。
お問合せ
県立図書館 図書課
電話:045-263-5900