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新着資料から

『ジャパノロジーことはじめ-日本アジア協会の研究-』
楠家重敏著 晃洋書房 2017年 [K20.1/27]

平成9(1997)年刊行の「日本アジア協会の研究」の改題・改訂版です。
日本アジア協会とは、明治5(1872)年に横浜居留地で創立された、日本最初の学術研究団体です。在日西欧人の外交官、実業家、宣教師からなるグループが、日本についての知見を深めるための会合を持ちました。
明治前期の在日西欧人が発表した論文や議事録などを丹念に読み解いて、忘れ去られたジャパノロジスト(外国人日本研究家)たちの姿を蘇らせ、同協会の活動を詳述しています。彼らの目に映った日本の姿を再現し、明治前期の理解に新たな観点を提供しており、日本文化の理解について一助となるはずです。

【参考文献】『日本アジア協会100年史―日本における日本研究の誕生と発展―』 ダグラス・M.ケンリック著 池田雅夫訳 横浜市立大学経済研究所 1994年 [K26.1/108]

『武蔵武士の諸相』
北条氏研究会編 勉誠出版 2017年 [K24/527]

「北条氏研究会」による論文集が刊行されました。昭和53(1978)年発足の同会は、学習院大学の院生・学生出身者が構成メンバーで、40年近い活動歴があります。その活動の一つに平成13(2001)年から実施している武蔵武士の関連史跡を廻る見学会(「武蔵武士巡見」)があり、平成27(2015)年、『武蔵武士を歩く―重忠・直実のふるさと埼玉の史跡』(当館所蔵 K24/494)の刊行となりました。巡見の成果を一般市民向けのガイドブックにしたもので、これをもとに本論文集の執筆に取りかかりました。
鎌倉幕府の成立に大きく寄与したのは武蔵武士でした。平安末期から南北朝期に至る武蔵武士の諸相を、古文書・史書の文献史料をはじめ、系図や伝説・史跡(城館、鎌倉街道)・板碑などの諸史料に探り、多面的な観点から武蔵武士の営みを歴史の中に位置付けています。

新着の神奈川資料

新着資料の一部をご紹介します。

タイトル 著者名 出版者 出版年 請求記号
鎌倉寺社の近世 -転換する中世的権威- 中野達哉編 岩田書院 2017 K18.4/366
武州久良岐郡郡郷考 武内廣吉 まほろば書房 2017 K20.1/28
あゆたか 項目別索引 第1号~第55号 [稲田郷土史会] [稲田郷土史会] 2017 K20.21/2/55-2
御成敗式目編纂の基礎的研究 長又高夫 汲古書院 2017 K24/526
チャールズ・ワーグマン 幕末維新素描紀行 山本秀峰編訳 露蘭堂 2017 K25/236
横浜もののはじめ物語 (有隣新書 81) 斎藤多喜夫 有隣堂 2017 K26.1/192
北条氏康 (PHP新書 1111) -関東に王道楽土を築いた男- 伊東潤・板嶋恒明 PHP研究所 2017 K28.7/140
煙管亭喜荘と「神奈川砂子」 -近世民間地誌の成立と地域認識- 斉藤司 岩田書院 2017 K291.12/39
横浜外国人居留地における近代警察の創設 -治安の維持と不平等条約- 警察政策学会警察史研究部会 2016 K31.1/256
慶應義塾歴史散歩 キャンパス編 加藤三明・山内慶太・大澤輝嘉編著 慶應義塾大学出版会 2017 K37.18/107
中原街道の醤油屋 (シリーズ 暮らしと家 1) [小杉陣屋町・石橋醤油店] 川崎市立日本民家園 川崎市立日本民家園 2017 K67.21/39/1

うちのおたから自慢

《「京浜間蒸気船」関係資料》

1『東京横浜往返蒸気船ノ図』
一曜斎国輝(2代)画 加賀屋吉兵衛 [K72.1/12]
2『横浜東京往返蒸気フンジン船』
岡取和助・岡取信之助 明治3(1870)年 [K68.1/25]

明治初頭の京浜間は様々な交通手段で結ばれ、鉄道が整備されるまで蒸気船による貨客輸送が盛況でした。浮世絵版画「東京横浜往返蒸気船ノ図」(写真左)はそのような当時の雰囲気をよく伝えています。図中の船は、中央部の煙突の下に右から「弘明」の文字が見えることから、横浜の"弘明丸"で、明治3(1870)年に横須賀で建造された250トン、40馬力の木製外輪船でした。
横浜商人の鈴木保兵衛らは同年7月より弘明丸をもって横浜・東京間の運航を開始しました。また、図の背景左手の建物は、東京・築地の外国人居留地にあった築地ホテル館と思われます。慶応4(1868)年8月に完成し、明治5(1872)年2月に焼失したことから、描かれた時期は明治3(1870)年7月から明治5(1872)年2月までの間に絞ることが可能です。
もう1点は同時期に就航していたと思われる蒸気船の広告ビラです(写真右)。『横浜市史稿 政治編3』([K21.1/5B/3])には「翌4年7月よりは、更(さら)に岡取和助なる者が、鶴丸を以て(もって)1日2回の往復通航を開始し」と、ありますが、ビラには「午(明治3年)閏10月」とあって、相違があります。また、ビラの「蒸気フンジン船」の用語は、船名なのか、蒸気船の別称なのか、不明です。
いずれにしても、明治5(1872)年鉄道開通後はわずかの時間で京浜間を移動することができるようになり、京浜間航路は、次第に衰退していきました。

「東京横浜往返蒸気船ノ図」 「横浜東京往返蒸気フンジン船」

写真(左)東京横浜往返蒸気船ノ図
写真(右)横浜東京往返蒸気フンジン船

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コラム・かながわ・フォーカス
[神奈川の祭り 昭和の記録写真から]

≪宮城野の湯立(ゆたち)獅子舞≫...足柄下郡箱根町(宮城野・諏訪神社)
国指定・神奈川県指定無形民俗文化財

写真撮影日:昭和39(1964)年7月19日 [請求記号:(視聴覚移管写真)K49]

【解説】
前号(相模原市下九沢)、前々号(相模原市大島)と代表的な一人立ち三頭獅子舞(風流系)を取り上げましたが、もう一つの系統(伎楽系)の宮城野の湯立獅子舞をご紹介します。
風流系の獅子頭は小さく、下アゴは動きませんが、伎楽系の獅子頭は、ライオンを模したか狛犬に似せたか下アゴの動く写実的なもので、形も大きいのが特徴です(写真1参照)。風流系は獅子頭を一人が頭上にいただき舞うので、「一人立ち」とも呼びますが、伎楽系は獅子頭に一人、胴に一人以上入り舞わせるので、「二人立ち」とも呼んでいます。
宮城野の湯立獅子舞は、伎楽系の中でも神楽から発生し、中国の諸芸能と習合して完成された代神楽系の獅子舞です。さらに、獅子が湯立をする神事芸能は、全国に3ヵ所しかありません。宮城野と、同じ箱根町の仙石原(本誌第46号(2015年2月刊)で紹介)、そして御殿場市沼田です。湯立とは、神前で大釜に湯を沸かし、巫女や神職などがその熱湯に笹の葉を浸して自分の身や参詣人に振り掛ける清め祓いの儀礼で、神楽と結びついた湯立神楽は各地にみられます。
ビデオ『宮城野 湯立獅子舞 映像記録資料編』1から7まで(全7巻)は、写真撮影から38年後の2002(平成14)年に神奈川県民俗芸能保存協会が制作しました(総録画時間:8時間25分)。当館「かながわ資料/新聞・雑誌室」で視聴できます[請求記号:KV ミンソ36から42まで]。

写真1
写真1
一人立ちになり、手に鈴、剣を持ち、準備万端。
写真2
写真2
殿内での舞を終え、拝殿から舞処へ下りる一同。
写真3
写真3
湯釜に御幣を浸す獅子。観衆の視線が湯立に集中します。

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【参考文献】
『湯立獅子舞 箱根・宮城野』立木望隆編 宮城野獅子舞保存会 1975年 [請求記号:K38.85/5]