新着資料から
『横浜吉田新田と吉田勘兵衛-横浜開港前史-』
斉藤司著 岩田書院 2017年 [K61.13/15]
「横浜の開発」というと真っ先にその名が上がり、横浜市内の小学生が学ぶ郷土史学習の題材でもある「吉田新田」。本年は、吉田新田が完成した1667(寛文7)年から350周年に当たります。
吉田新田と開発者吉田勘兵衛に関する著者の研究は、勤務先であった横浜市歴史博物館の開館(常設展示)準備が発端でした。その後吉田新田など新田開発をテーマとした特別展、企画展を担当し、異動した横浜開港資料館では「横浜開港と近代都市横浜の発展」を扱う企画展示を担当しています。
著者の両館での研究活動は、四半世紀を超える年数に及び、その集大成として出来上がったのが本書です。
『幕末・明治の横浜-西洋文化事始め-』
斎藤多喜夫著 明石書店 2017年 [K26.1/189]
本書は、幕末・明治初期における横浜への西洋文化の移転に関して、外国人による居留地への移植を重点に置いて描き、さらに日本初の文化移転について新しく発見された史料や事実も交え詳述した「横浜もののはじめ」の決定版です。
著者は長年にわたり横浜の外国人居留地や西洋文化移入過程についての研究に携わってきました。これまで横浜の文化移転について根拠として引用していた『横浜市史稿』風俗編には誤説や俗説が多く、本書ではその誤りを正すことも意図したそうです。
横浜開港資料館職員時代に『横浜もののはじめ考』(注1)の編集にも携わっており、同書との併読もおすすめです。
注1)『横浜もののはじめ考 3版』横浜開港資料館編・刊 2010年[K26.1/71A]
新着資料の一部をご紹介します。
タイトル | 著者名 | 出版者 | 出版年 | 請求記号 |
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海に生きた弥生人 三浦半島の海蝕洞穴遺跡 (シリーズ「遺跡を学ぶ」 118) | 中村勉 | 新泉社 | 2017 | K22.3/21 |
悪党召し捕りの中世 鎌倉幕府の治安維持 | 西田友広 | 吉川弘文館 | 2017 | K24/519 |
天秀尼の生涯 豊臣家最後の姫 | 三池純正 | 潮出版社 | 2017 | K24.4/291 |
「未知」という選択 世界のレオ創造の軌跡 | 江崎玲於奈 | 神奈川新聞社 | 2017 | K28/477 |
鎌倉古寺霊園物語 時代を彩った文芸、映画、政治・外交の巨人たち | 立元幸治 | 明石書店 | 2017 | K28.4/141 |
地図と地形で楽しむ横浜歴史散歩 | 都市研究会 | 洋泉社 | 2017 | K291.1/292 |
新編 裏山の博物誌 | 三宅修 | 山と溪谷社 | 2017 | K40.95/1A |
相模原公園の鳥たちとそのくらし (公園の生きものたち 2) | 坂本堅五 | 神奈川県公園協会 | 2016 | K48.54/19/2 |
情熱都市YMM(よこはまみなとみらい)21 まちづくりの美学と力学 | 情熱都市YMM21編集委員会 | 鹿島出版会 | 2017 | K51.13/15 |
10年先、20年先を見据えた『産業拠点を活(い)かした持続的な成長戦略を目指(めざ)して』 |
川崎市 | 川崎市総合企画局自治推進部 | 2016 | K60.21/22/2015 |
日本庭園 箱根美術館、桂離宮に学ぶ美の源流 | 小杉左岐、小杉龍一、小杉文晴、ハマハ・アンドレアス | 万来舎 | 2017 | K62.85/11 |
神奈川県内乗合バス・ルートあんない No.4 | 神奈川県バス協会 | JTBパブリッシング | 2017 | K68/451/4 |
ビゴー『トバエ』全素描集 諷刺画のなかの明治日本 | ビゴー 画、清水勲 編 | 岩波書店 | 2017 | K72/181 |
ふろん太がつぶやく僕らの川崎フロンターレ | ふろん太 | 電波社 | 2017 | K78.21/58 |
うちのおたから自慢
『横浜花火図録』
刊刊年不詳 [K57.1/1]
夏夏の風物詩"花火"。明治期に米国の空を花火で彩った人物がいました。横浜の花火師・平山甚太(1840年から1900年まで)です。平山は明治15(1882)年米国で特許出願を行い、翌16年8月7日に昼花火の特許を取得しました。日本人の米国特許取得第1号です(『横濱花火年表』(注2)より)。当時の花火は夜ばかりでなく昼も打ち上げて楽しみました。
本書は、輸出用花火カタログとして明治10年代以降に刊行されたと思われます。各頁、黒地を背景に花火の模様が描かれ、115点の図版が収録されています。上端余白には価格のスタンプも押され、どれも1.5から3ドルでした(写真)。また巻末には「花火玉の装填から発射の手順」として挿絵と英文の説明がついています。
横浜市中央図書館などが所蔵する同書は、「大日本横濱平山夜煙火全図」のタイトルがある表紙付です。当時花火は煙火とも呼びました。当館蔵は表紙を欠いていますが、スタンプの価格表示では当館蔵が「$2.50」なのに対し、横浜市中央図書館蔵では「分五弗貳」と表記され違いがあります。
ちなみに平山は作家獅子文六の母方の祖父で、獅子文六文庫にある明治期写真アルバムから平山の顔写真も推定できるそうです(「横浜の花火師 平山甚太」(注3)より)。
(写真)『横浜花火図録』
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【参考文献】
注1)『横濱花火年表~わが国西洋花火の開祖・平山甚太 生誕100年を追憶~』伊東洋編、2006年[K57.1/49]
注2)櫻井孝「横浜の花火師 平山甚太」(『有鄰』第527号所収)有隣堂、2013年7月刊[ZC1472]
100年前の"観光地" ~横浜貿易新報社選「新避暑地十二勝」より~
【新避暑地十二勝(新選十二勝誌) 選外 秋谷海岸】
―「横浜貿易新報」大正3(1914)年7月29日(水曜日)7面
新避暑地十二勝(新選十二勝誌)の紹介は前号で終えましたが、横浜貿易新報社では「選外」としてさらに2ヶ所を追加して取り上げています。本号と次号でご紹介します。 此海岸一帯の長さは一里以上にも及(およ)びませうか、大部分は遠浅でありまして海水浴には極く適して居ります。殊に海浜の綺麗な事は三浦郡中唯一とも称すべきで海草などが打上げられた侭、放つて有つた事(こと)は絶えて見ません、それには種々の理由も御座いますが、其主なる理由は立石と申(もう)す処に帝室の御休憩所がありまして、しばしば貴き方々の御散歩在らせられる為(た)めであります。(中略)海上数丁の所に浮んでる松の生えた岩が、立石でありまして、御休憩所の建物から続いてズツと海の方に出て居るのが梵天鼻で御座います。御休憩所の建物は甚だ御質素のやうではありますが周囲の岩が根に戯れ狂ふ波の面白さ、松の梢を通ふ美妙の音楽、秋谷海岸の中随一の名所とされております。〈原文表記のまま〉
秋谷海岸は掲載時三浦郡西浦村でしたが、昭和18(1943)年からは横須賀市になりました。北隣は葉山町と接し、どちらかというと葉山町と生活圏が一緒です。葉山御用邸があった関係から、明治40(1907)年立石に御用邸付属の御休憩所が設けられました。皇室の方々がしばしば散策を楽しまれたとあります。海中に突き出た凝灰石の巨岩は「立石」と呼ばれ、相模湾を隔ててその後方に丹沢や箱根、伊豆の連山、さらに遠く富士山と眺望は絶品です。
神奈川県が昭和54(1979)年に制定した「かながわ景勝50選」に「秋谷の立石」として選出され、大正3年の選外から65年経って雪辱を果たしました。ちなみに「新避暑地十二勝」に入選した勝地では、第3位平山(第51号掲載)が「洒水の滝」として、第9位長井沿岸(第56号掲載)が「荒崎」として、それぞれ選出されています。
写真(1)は刊年不詳ですが、絵葉書に「東京湾要塞司令部許可」とあることから、その設置期間1895年から1945年の間に刊行されたと推定できます。
写真(1) 葉山海岸 秋谷の立石(『〔相州葉山繪葉書〕』 [K291.34/27] 所収)
写真(2) 現在の「立石」付近(干潮時のため、岩底が露出) 2017年6月撮影
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