かながわ資料ニュースレター第67号(2018年11月発行)

新着資料から

◆『北条氏五代と小田原城 人をあるく』
 山口博著 吉川弘文館 2018年[K24.7/177]
 北条氏は、上杉氏、武田氏、毛利氏などと並ぶ戦国屈指の大名です。明応年間(1492~1501)に 韮山城に拠点を据えた初代・宗瑞(北条早雲)は伊豆・相模などを平らげ、次いで二代・氏綱が小田 原城に本拠を構えます。以後、北条氏は関東全域の領国化に向けて突き進み、 五代・氏直の頃には、関東制覇は目前でした。しかし天正18(1590)年、豊臣 秀吉によってその夢は潰えます。本書は、こうした約100年に及ぶ北条氏の業 績をたどるとともに、小田原城の発展の歩みを振り返っています。
 北条氏には、戦国大名として特異な面が見られます。例えば戦国大名の多く が地域領主から発展したとされますが、宗瑞は将軍・足利義尚の申次などを務 めた京下りの大名です。また、北条氏には一族間の対立が見られません。さら に長曾我部氏、島津氏、徳川氏など、戦国末期に数か国を領する規模に発展し た大名の多くが、同様に秀吉と衝突しましたが、結果的に滅亡したのは北条氏 のみでした。著者はこうした北条氏の特長にも焦点をあてて解説しています。

◆『宮川香山釉下彩 美術となった眞葛 明治の釉下彩 1』
 関和男著 創樹社美術出版 2018年[K75.1/44]
 帝室技芸員・宮川香山は明治を代表する陶芸家です。当時から、香山釉下彩作品は欧米で高い評価 を得ており、マクズウェアと呼ばれました。釉下彩とは明治時代に西洋から 輸入された色絵技法で、従来の色絵は器が焼き上ってから絵付をしていまし たが、釉下彩は焼き付け前に絵付をします。
 香山は天保13(1842)年、京都の陶家の四男として生まれました。明治3 (1870)年に貿易陶磁商品を制作するため、横浜に移住し、新たな窯を立ち 上げます。そして、高浮彫という独創的な陶器を創出しました。しかし明治 15(1882)年頃から和漢の陶磁器を研究し、美術陶磁作品へと転向します。 明治20年代後半、香山スタイルは確立され、その柱に釉下彩がありました。
 今日、香山と言えば高浮彫と思われがちで、釉下彩作品の研究は進んでい ません。本書は、そのような香山釉下彩作品を体系化して紹介するものです

新着の神奈川資料

新着資料の一部をご紹介します。

タイトル 著者名 出版者 出版年 請求記号
封印された殉教 上 第2版 佐々木宏人著フリープレス2018K19.1/204/1
関東戦国全史 関東から始まった戦国150年戦争 歴史新書y 079山田邦明編洋泉社2018K24/534
「建久四年曾我事件」と初期鎌倉幕府 曾我物語は何を伝えようとしたか伊藤邦彦著岩田書院2018K24/535
房総里見氏の城郭と合戦 図説日本の城郭シリーズ 9小高春雄著戎光祥出版2018K24.39/29
絵筆のバトン 画廊主・笠木和子の90年細井聖著読書サポート2018K28/495
福原高峰と「相中留恩記略」 近世民間地誌にみる「国」意識 近世史研究叢書 51斉藤司著岩田書院2018K291/886
僕たちが零戦をつくった 台湾少年工の手記劉嘉雨著潮書房光人新社2018K39.51/21
逗子サンゴものがたり 相模湾の四季 長島敏春著じゃこめてい出版2018K48.32/2
小田急1800形 昭和の小田急を支えた大量輸送時代の申し子 戎光祥レイルウェイリブレット 4生方良雄著戎光祥出版2018K68/617
JR京浜東北線沿線の不思議と謎 じっぴコンパクト新書 348松本典久編著彩流社2018K68/618
鎌倉深奥 平川正枝写真集平川正枝著現代写真研究所出版局2018K74.4/37
サザンオールスターズが40年も愛される48の秘密 We Love SAS SASウォッチャー編集部編辰巳出版2018K76.53/24
真夏の球譜 上  K100神奈川高校野球 かもめ文庫 70神奈川新聞運動部編著神奈川新聞社2018K78/328/1

うちのおたから自慢 『天狗講大山詣』
 磯ケ谷紫江著 1956年[K18.64/3]

 本書は、著者が昭和31(1956)年5月26日に行われた「天狗講発会式」と、翌日に行われた「酒祭り第五回」に参加し、その様子を記したもので、大山の歴史的考察も加えています。騰写版で、奥付に「限定五十部 第七冊」(“七”は手書き)とあります。「天狗講」とは小生夢坊を主催とする文化集団で、「平和祈念の大山カーニバル」と記されています。画家・随筆家・社会評論家であった小生夢坊(1895-1986)は、石川県金沢市に生まれ、19歳で『中越日報』の編集長を務めます。上京後は浅草に住み、浅草に集う文化人・芸能人らの要となりました。また、一葉記念館、下町風俗資料館の建設にも尽くしています。著書に『天狗まんだん』などがあります。
 本書には、発会式の当日は無形文化財の「大和舞」と「大山能狂言」、林屋正蔵の落語「大山詣」が行われ、翌日に「包丁式」(材料に手をふれず包丁と箸だけで調理する儀式)と「巫子舞」が行われた、と書かれています。
 著者の磯ケ谷紫江(1885-1961)は、『愛書家の散歩 続』によると墓蹟研究家であり、死絵(人気のあった歌舞伎役者や芸人の歿後に板行される錦絵)の蒐集家でもあったといいます。判事だった父の赴任先の栃木県で生まれ、日大法科を卒業して法官庁の執達吏を務めました。『墓碑史蹟研究』や、浅草での会席記録である『奥山』、趣味生活を記した個人雑誌『紫江帖』などを発行しています。また、句会「半面」を主宰したり、蕎麦の研究も行いました。
 著者は明治43(1910)年にも大山を訪れており、四谷愛住町(新宿区)の自宅を夕方に出て、渋谷から二子の渡しを経て翌朝、大山の下社に着き、さらに奥の院まで下駄で登ったと記しています。「天狗講」に参加した時は亡くなる5年前でしたが、最大斜度30度もある男坂を登って下社まで行った、と記されています。 

写真(左)   『天狗講大山詣』表紙
写真(右)   『天狗講大山詣』中表紙

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【参考文献】
・『神奈川県立図書館紀要 第9号』神奈川県立図書館 2011年[請求記号:K097/4/9] 「<資料解 説>かながわ資料室所蔵の大山関係資料について」鈴木めぐみ著
・『愛書家の散歩 続』斎藤夜居著 出版ニュース社 1984年[請求記号:024.2/3/2]
・『20世紀日本人名事典 あ~せ』日外アソシエーツ 2004年[請求記号:281.03/300/1]
・「王朝しのぶ包丁式 伝統の技 横浜」神奈川新聞1994年5月16日18面
・「神輿200キロ『おくだり』伊勢原・大山阿夫利神社大祭」神奈川新聞2002年8月28日21面

コラム・かながわ・フォーカス

[神奈川の祭り 昭和の記録写真から]

≪倭舞・巫子舞≫…伊勢原市(大山阿夫利神社)

 ◆写真撮影日:昭和39(1964)年8月29日 [請求記号:K45]

【解説】
   阿夫利神社の秋季大祭において、社務局の行在所で例年8月28日に奉納されるもので、県 の無形民俗文化財に指定されています。阿夫利神社の祠官(しかん)・権田直助と孫の一作が、 奈良春日大社の富田光美から伝授されたもので、富田家から伝わった写本「倭舞歌譜」によれば明治6(1873)年に伝習を許され、明治11(1878)年に初めて祭典で舞っています。原本は 平安時代のものとされます。阿夫利神社では継承のため、明治16(1883)年に「倭舞巫子舞 規則」を制定し、舞は地元の中高生に受け継がれています。
 倭舞は一歌~八歌まであり、10歳~15歳の少年4人で舞います。その他に六位舞という最 年長者一人で行う舞が3曲あります。舞は、おおらかな王朝気分を漂わせています。
 巫子舞は、「若宮」「計歌(ひとふた)」「珍らしな」など7曲があり、女児(八乙女という) が4人ないし6人で舞います。そ の他に白拍子舞という、年長童女 の一人舞が2曲あります。
 計歌は特殊な舞態で、4人が正 方形舞形をとり、その中央に2人 が立って舞い、中途でピョコンと 跳りあがる振りがあります。『神 奈川県文化財図鑑 第3巻 無形文 化財・民俗資料篇』によれば、そ の歌詞は、原始信仰の呪術性をも つが、陰陽道にも通じるものがあ り、研究資料として貴重な舞態、 と考えられています。

写真1
【写真1】白拍子舞の舞手は、水干(す
     いかん)を着て、立烏帽子を被り、
     腰に小刀(ちいさがたな)をさす。
写真2
【写真2】倭舞の8曲は、各々異なった振り
     がついている。一歌が最も難しい。二歌
     から八歌までは、次第に複雑になる。

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【参考文献】
『神奈川県文化財図鑑 第3巻 無形文化財・民俗資料篇』神奈川県教育庁社会教育部文化財保護課編 1973年[請求記号:K06/29/3] 
『神奈川県民俗芸能誌 増補改訂版』永田衡吉著 錦正社 1987年[請求記号:K38/15A]