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トピックスのとびら

 図書館には図書、雑誌、地域資料、新聞、視聴覚資料、インターネットといったたくさんの情報のとびらがあります。
 そのとびらを開いて、時事的な話題を複合的な視点から紹介します。

No.113 《第九》にまつわるエトセトラ(2014年12月発行)

 日本で一年の最後を締めくくる音楽と言えば、ベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調Op.125《合唱》です。年末になると全国各地で《第九》の演奏会が開かれるようになったのは、1937年に来日し新交響楽団(現NHK交響楽団)の常任指揮者を務めたジョセフ・ローゼンシュトックが、ドイツでは大晦日に《第九》を演奏する習慣があると紹介したことから始まったと言われています。現在ヨーロッパにおいては《第九》は特別な曲として扱われており、近年の日本のように年末が《第九》一色に染まるということはないようですが、ベルリンの壁の崩壊といった歴史的な事件や大切な節目に《第九》は演奏されてきました。交響曲第3番「英雄」(1804年)で、葬送行進曲やスケルツォといったジャンルを本格的に組み込み、雄大な曲想をもつ革新的な交響曲を完成させたベートーヴェンは、その後数々の名曲を生み出しましたが、その集大成ともいうべき作品が《第九》(1824年)です。シラーの詩を引用した独唱、合唱も加わって人類の平和、自然への賛美、神の栄光を讃えながら壮大に閉じられるこの曲が多くの人々を魅了するのはなぜか。年末の一時、《第九》を聴きながら考えてみませんか。

図書のとびら

『ベ-ト-ヴェン第九交響曲 2版』
ルートウィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン著 堀内敬三解説・譯詩 音樂之友社 1953年 請求記号:764.3 1 4(11760881)書庫7門

 《第九》の楽譜です。1826年6月にドイツ・マインツ市のショット社から出版された楽譜を元にしており、冒頭には「ベートーヴェン作第九交響曲・ニ短調・作品一二五 シルラー作「歓喜頌歌」による終末合唱を有する交響曲/プロシャ王フリートリヒ=ウィルヘルム三世(Friedrich Wilhelm 3世.)に奉献」と記されています。曲全体の詳しい解説もついており、たとえば合唱の冒頭でバリトンが独唱する部分「友びとよ。調べ變えて、いざ、聲も朗らかに擧げん、よろこびの歌」は、シルラー(シラー)の詩ではなく、ベートーヴェンが自作して付け加えたものだとあります。楽譜や歌詞を目で追いながら《第九》を聴きたい人におすすめです。

『ベートーヴェン第九交響曲』
ロマン・ロラン著 蛯原徳夫/北沢方邦訳 みすず書房 1967年 請求記号:762.4 31(11757515) 書庫7門

 19世紀から20世紀にかけて活躍し、1916年にノーベル文学賞を受賞した世界的作家ロマン・ロラン。1904年から8年間にわたって発表された『ジャン・クリストフ』がよく知られていますが、この作品は作曲家ジャン・クリストフの人生を描いた壮大な長編小説です。そして不屈の精神をもった主人公ジャン・クリストフのモデルこそ、ベートーヴェンだと言われています。そのロマン・ロランによる《第九》の研究書が本書です。各楽章について詳細に分析されているのはもちろん、最後を結んでいるのは、ベートーヴェンの生涯のすべての苦悩は無駄にあったのではなかった、彼は生のいただきにふれ、力に満ちあふれており、彼をみると地平は限りなくひらけているという、ベートーヴェンに対する熱く力強い言葉です。

『ベートーヴェン 音楽の哲学』
テオドール.W.アドルノ著 大久保健治訳 作品社 1997年 請求記号:762.34FF 78(20907499)書庫7門

 ドイツを代表する哲学者であり、音楽学者であるアドルノが、ベートーヴェンについて記したノートやメモなどをまとめたものです。ベートーヴェンについてアドルノは1934年、つまりナチス支配によって亡命生活が始まる直前から書き始め、その後晩年の1969年にも再度取り組もうとしました。アドルノが取り上げているのは、演奏されたベートーヴェンではなく、楽譜に記されたベートーヴェン。つまり音符を分析の対象として取り上げ、その関係を追及しています。「音楽は言語から離反することを通して、また言語に接近することを通して語ることができる。」ベートーヴェンが《第九》のフィナーレに合唱を用いた真の理由は、音楽をして語らせようとする衝動ではないかと考察しています。

『「歓喜に寄せて」の物語 シラーとベートーヴェンの『第九』』
矢羽々崇著 現代書館 2007年 請求記号:764.31SS 9(22040075) 公開

 現在これほどポピュラーとなった《第九》ですが、本書によると発表当時から批判が多く、シラーに対する冒涜であると感じた人もいたそうです。ベートーヴェンが用いたシラーの詩「歓喜に寄せて」は、フランス革命直前の1786年に発表されたもので、波立つような高揚感があります。そして《第九》の特徴もまた、祝祭的な空間や雰囲気で演奏される高揚感です。しかし、シラーの詩も《第九》も高揚感がある一方で、その根底には何か「ちぐはぐなもの」が隠されています。著者はその「ちぐはぐさ」を、彼らが生きた時代から考えることで、なぜ《第九》がここまで人気になったのか、なぜ評価がはっきりと二分されるのか、ベートーヴェンはシラーの詩に何を読み取ったのか、明らかにしています。

『交響曲の聴きどころ』
諸井誠著 音楽之友社(オルフェ・ライブラリー) 2010年 請求記号:764.3 24A(22472302)公開

 1982年刊行されたものに新たに10曲を追加した、増補改訂版になります。交響曲のしくみ、構成、聴きどころを詳細に解説しています。ベートーヴェンの《第九》については、シューベルト、ブルックナー、ドヴォルザーク、マーラーといった大作曲家たちの第9交響曲と比較しています。声楽を加えることで、交響曲とオラトリオ(聖譚曲・せいたんきょく)を融合させる試みを打ち出した、ベートーヴェンの《第九》の破天荒なフィナーレの複雑さ。晩年のベートーヴェンは、ロマネスクからロマンティークまでの千年を超えるヨーロッパ音楽様式を超えた「新しさ」、本物の革新を生みだしており、それがベートーヴェンの音楽に不滅の未来性を与えていると語っています。

雑誌のとびら

「ベートーヴェン:交響曲第9番《合唱》」
『レコード芸術』音楽之友社 54巻7号(通巻658号) 2005年7月  p30-33 請求記号:Z769-13

 特集「究極のオーケストラ超名曲 徹底解剖2」のうち、《第九》を取り上げた部分になります。交響曲第3番《英雄》で交響曲の歴史を大きく変えたベートーヴェンが、最後のこの《第九》でその形式をさらに拡大発展させたことを、丁寧に解説しています。加えて、第1楽章から第4楽章までさまざまな指揮者による演奏の特徴を解説しています。ピアニッシモに拘らず、かなり大きめの音で第1楽章を始めるトスカニーニ指揮のNBC交響楽団(1952年)。第2楽章のスケルツォ部をスポーツカーで駆け抜けるように進むのはカラヤン指揮ベルリン・フィルによる第2楽章(1962年)。フルトヴェングラーの遅いテンポが有名な、バイロイト音楽祭での第3楽章(1951年)など。実際に聴き比べたくなってきます。

「私が聴いた《第九》指揮者たち--カラヤンに聴いた戦慄を求め続けて」
『音楽の友』音楽之友社 64巻12号 2006年12月 p94-96 請求記号:Z760.5-2

 音楽評論家の東条碩夫氏が自らの《第九》体験を語った記事です。東条氏が強烈な印象を受けたのは、1954年に初来日しNHK交響楽団を指揮したカラヤンの《第九》でした。「ラジオから流れていた音楽の、その巨大で底知れぬ深淵を感じさせる物凄さには、何か得体の知れない恐怖感を抱かされたものだった。」その後、1960年代としては破天荒な演奏スタイルだった小澤征爾、良き時代のドイツ指揮者達の流れを継承した朝比奈隆、当時の演奏方法の再現を目的とするピリオド奏法を取り入れたジョン・エリオット・ガーディナーなど、時代の流れと共に変化していった各指揮者による《第九》の演奏スタイルを、自らの体験と共に解説しています。

「クラシック音楽への誘い(9)ベートーヴェンの第九に秘められたもの」
『春秋』春秋社 474号 2005年12月 p13-15 請求記号:Z051-100

 第一次世界大戦で日本は、中国の青島を英国軍と共に占領し、ドイツ兵を捕虜として日本に収容しました。その一つ、徳島県にあった坂東収容所の捕虜たちが1918年に演奏したのが、日本で初めての《第九》の演奏だったと記しています。その後、日本人による初演は、1924年に九州帝国大学のオーケストラが第4楽章だけを演奏したものだったことや、ベートーヴェン没後100年にあたる1927年に、新交響楽団(現NHK交響楽団)がベートーヴェンの全交響曲に挑戦したものが、プロによる日本での初演だったことなど解説しています。また、合唱に引用されたシラーの詩についても丁寧に言及しています。

「「第九」、そして人間ベートーヴェン」
『道都大学紀要  経営学部』道都大学札幌キャンパス経営学部紀要編集委員会 2号 2003年 p147-155 請求記号:Z335-865

 徳島の収容所でドイツ人捕虜たちによって日本初の《第九》が演奏されて以来、なぜ《第九》は日本人をこれほどまでに魅了するようになったか。本論文ではその背景を考察しています。耳を患い、死を決意し、遺書を書くことにより自らの使命を自覚し、《第九》により歓喜に至るベートーヴェンの生涯が私たち日本人の心情に呼び起こす共感。しかし、実はこれだけ年末に《第九》が演奏されるのは、そういった共感だけが理由ではないと言及しています。補助金が出るヨーロッパのオーケストラと異なり、経営の苦しい日本のオーケストラは年末に支払う楽団員へのボーナスに困っていました。そこで確実に観客の入るコンサートとして《第九》を演奏したという背景もあったそうです。

視聴覚資料のとびら

「ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調 Op.125「合唱付き」」
ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 1951年7月29日録音 バイロイト祝祭管弦楽団,バイロイト祝祭合唱団,エリザベート・シュワルツコップ(S),エリザベート・ヘンゲン(Ms),ハンス・ホップ(T),オットー・エーデルマン(Bs) 請求記号:CD11 ヘート (41300500)視聴覚資料室公開
 1951年にバイロイト音楽祭にて行われた、フルトヴェングラー指揮による演奏の録音です。ドイツの作曲家ワーグナーが自らの作品の理想的な上演を求め、バイロイトに専用の劇場を建てて1876年に始めたのがバイロイト音楽祭です。したがって基本的にワーグナーの主要作品のみを上演する音楽祭なのですが、その第1回バイロイト音楽祭開幕記念で、ワーグナー自身が指揮をしたのがベートーヴェンの《第九》でした。そして第二次世界大戦後、バイトイロ音楽祭の再開を告げたのもまた、このフルトヴェングラー指揮よる《第九》だったのです。まさに《第九》の名盤で、既に半世紀以上たった今も不朽の名演として語り継がれています。

「交響曲第9番ニ短調Op.125:合唱/ベートーヴェン」
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 1952年録音 NBC交響楽団,スコラ・カントルム合唱団,アイリーン・ファーレル(S),ナン・メリマン(Ms),ジャン・ピアース(T),ノーマン・スコット(Bs) 請求記号:CD11ヘート(41013657)視聴覚資料室公開
 フルトヴェングラーと並び称されるイタリア出身の名指揮者トスカニーニ。NBC交響楽団は、戦後アメリカの放送会社NBCがトスカニーニのために設立した管弦楽団です。トスカニーニ指揮による演奏をラジオ放送することを主な目的として編成されており、数多くのレコーディングも行いました。この録音もその内の一つです。早めのテンポ(メトロノーム指定などの重視)や、第2楽章の繰り返しの励行など、なるべく楽譜を尊重しようとするトスカニーニ姿勢は、当時の演奏方法の再現を目的とするピリオド奏法を取り入れた古学派のアプローチを先取りしたものです。

「交響曲第9番ニ短調 Op.125「合唱」」
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 1983年録音 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団,ウィーン楽友協会合唱団 ,ジャネット・ペリー(S),アグネス・バルツァ(A),ヴィンスン・コウル(T),ホセ・ヴァン・ダム(Br) 請求記号:CD11ヘート(41000456)視聴覚資料室公開
 カラヤンといえばベルリン・フィル。カラヤンはフルトヴェングラーの後任として、1955年にベルリン・フィルの終身音楽監督・常任指揮者に就任すると、その後ザルツブルク音楽祭やウィーン国立劇場の芸術監督も兼任し、圧倒的な名声を築きました。健康上の理由で1989年4月にベルリン・フィルを辞任し、その年の7月に81歳の生涯を閉じましたが、その生涯でカラヤンはベートーヴェン交響曲全集をなんと4回も完成させています。この録音はその最後となる4度目の全集の録音で、1983年に演奏されました。まさにカラヤンとベルリン・フィルによる《第九》の総決算というべき作品です。

「交響曲 第9番 ニ短調 Op.125「合唱」」
レナード・バーンスタイン指揮 1989年録音 バイエルン放送合唱団,ドレスデン国立管弦楽団員他,ジューン・アンダーソン(ソプラノ・米),サラ・ウォーカー(メゾ・ソプラノ・英),クラウス・ケーニヒ(テノール・東ドイツ),ヤン=ヘンドリンク・ローテリング(バス・西ドイツ) 請求記号:CD11ヘート(41087164)視聴覚資料室公開
 カラヤンと人気を二分したバーンスタインは、1989年のベルリンの壁崩壊直後の特別演奏会で6か国合同オーケストラの指揮をとりました。そこで演奏されたのが《第九》です。オーケストラは西ドイツのバイエルン放送交響楽団員をメインに、東ドイツのドレスデン国立管弦楽団員、アメリカのニューヨーク・フィルハーモニック団員、ソ連のレニングラード・キーロフ劇場管弦楽団員、イギリスのロンドン交響楽団員、フランスのパリ管弦楽団員で構成され、東西ドイツと英米のソリスト、東西ドイツの合唱団が加わっています。バーンスタインはこの記念すべき喜びの祝典で、第4楽章の歌詞の「Freude(歓喜)」を「Freiheit(自由)」に変更して歌わせており、歴史的瞬間を感じさせる名演です。