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トピックスのとびら

 図書館には図書、雑誌、地域資料、新聞、視聴覚資料、インターネットといったたくさんの情報のとびらがあります。
 そのとびらを開いて、時事的な話題を複合的な視点から紹介します。

No.103 料理書は時代を語る(2014年2月発行)

 2013年12月4日、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産として「和食 日本人の伝統的な食文化」が登録されました。四季折々の食材を生かした和食は、見た目が美しいだけでなく栄養バランスにも優れており、世界中から注目を集めています。多くの人々を魅了する和食は、さまざまな文化を受容しながら独自の食文化を育んできた長い歴史から生まれました。料理書はその歴史を私たちに伝えてくれます。
 現存する世界最古の料理書といわれるのは、ローマ時代にアピーキウスの手によって書かれたものです。日本では室町時代以降に料理書と呼べるものが書かれたといわれおり、料理文化が花開いた江戸時代には数多くの料理書が出版されました。明治期は西洋諸国の食文化を取り入れようと、西洋料理に関する料理書が次々に出版されます。時代の影響を受ける料理書は、単に料理の材料や作り方だけでなく、影響を受けたその時代、時代の変化もまた私たちに教えてくれます。料理書を紐解き、時代の空気を感じてみませんか。

図書のとびら

『アピ-キウス・古代ロ-マの料理書』
アピ-キウス著 ミュラ=ヨコタ・宣子訳 三省堂 1987年 請求記号:596.3U 78(12596623)県書庫5

 古代ローマ時代の美食家、アピーキウスの著書とされるこの料理書は、現代に伝わる最古のものです。もちろん数世紀前のギリシャ時代から多数の料理文献や美食法は書かれており、アピーキウスがラテン語で記した内容はそれを受け継いだものになります。勢力を拡大したローマは、ギリシャの洗練された料理文化に、インド産の香辛料やダマスカス産のプラムといった品々を次々と取り入れ美食を追求しました。本書に掲載された料理のレシピからはその様子をうかがうことができます。また、塩なしで肉をいつでも新鮮に保っておく方法、はちみつが偽物かどうか試す方法など、当時の知恵も盛りだくさんです。

『豆腐百珍』
何必醇原著 福田浩訳 教育社(教育社新書) 1988年 請求記号:596.1X 127 (20002531)県書庫5

 江戸時代の天明から寛永にかけて、一種類の素材に対しさまざまな料理法を紹介する料理書、「百珍物」が数多く出版されました。本書には、1782(天明2)年から1784(天明4)年にかけて刊行された『豆腐百珍』、『豆腐百珍続編』、『豆腐百珍余禄』の3編が収録されています。数多くの料理法を並べるだけでなく、豆腐についての故事来歴をはじめ、さまざまな文献を集めて掲載した著者の何必醇は、大阪の高名な篆刻家、曾谷学川ではないかといわれています。3作品合わせてなんと278品にも上る豆腐料理からは、大阪文人の食に関する知識のすごさを感じます。

『江戸流行料理通(上)・(下)』
栗山善四郎原著 平野雅章訳 教育社(教育社新書) 1989年 請求記号:上)596.1Y 134 1(20163119)下)596.1Y 134 2(20163127)県書庫5

 江戸時代随一の料亭八百善の四代目、栗山善四郎が書き下ろした料理書の現代語訳です。日本初の本格的料理書といえる本書が出版された1822(文政5)年は江戸文化爛熟期。会席、本膳、精進、卓袱といった献立が主に掲載してあり、当時のベストセラーとなりました。とはいえ一流料亭八百善の料理は非常に贅沢で、一つ一つ複雑な手間がかかったもの。四代目はその中から、一般の人にも作りやすい料理を選んで紹介しています。江戸っ子の粋と通を究めた料理文化「化政の食」は、献立を眺めるだけでもわくわくしますが、具体的な作り方を書いた「こしらえ方伝書」もまた必見です。

『近世風俗志(五) 守貞謾稿』
喜田川守貞著 宇佐美英機校訂 岩波書店(岩波文庫) 2002年 請求記号:イ382 キ5(21563879)県書庫岩

 明治の翻刻以来『近世風俗志』と称されている『守貞謾稿』の著者、喜田川守貞はもともと大阪の人でした。1840(天保11)年31歳の時に江戸に移り、砂糖を扱う商家だったのではないかとされる北川家の養子となります。守貞は江戸時代後期の風俗を広範囲にわたって取り上げており、食類(後巻之一)では図入りで、食器・食材・料理について詳細に述べています。上方と江戸の違いが書かれている点が興味深く、ちなみに「握飯」については、俵型にして表に黒ゴマを少しまぶすのが上方式、円形あるいは三角などに握ってあぶるのが江戸式だそうです。

『西洋料理通(上)・(下)』
仮名垣魯文編 椀屋喜兵衛 1872年 請求記号:(上)596.3 13 1(11476546) (下)596.3 13 2(11476553) 県貴書庫 館内閲覧のみ

 幕末から明治にかけて、横浜や東京の世相、人情を描いた文学者魯文が、横浜居留地に住む英国人コックのメモを元に編集したのが『西洋料理通』です。欧米の調理法を伝える日本最初の翻訳料理書で、1872(明治5)年に出版されました。カレー粉を使った肉の煮込みを「炊きたる米」に添える料理、つまりカレーライスのレシピを最初に紹介したのも本書です。マカロニーは素麺と訳したり、オランダ語でバターを意味する「ボートル」や、液体量の単位「ハインツ」などの用語はそのまま使っているところなど、誌面からは文明開化の香りが漂ってくるようです。

雑誌のとびら ~『婦人之友』にみる戦時中の台所事情~

「冬はあたたかい鍋もの代りにおいしい味噌汁をつくりませう」
『婦人之友』婦人之友社 38巻2号 1944年2月 p42-43 請求記号:Z051-112

 寒い冬にはお鍋が定番。しかし食糧の配給が厳しくなっていたこの時代、家庭ではお鍋に必要な材料を揃えることができませんでした。家庭生活の向上を目指した雑誌『婦人之友』は、代わりに熱くておいしい味噌汁を作りましょうと読者に呼びかけています。味噌汁の実としてあげられている材料には、みかんの皮のみじん切りや魚の内臓といったものまで。また、当時は味噌も一人一日六匁の配給制となっており、使える量が限られていました。味噌を少なくして醤油、塩といった他の調味料で補う方法も、合わせて掲載しています。

「一品づつ持ちよって協力弁当の提案」
『婦人之友』婦人之友社 38巻4号 1944年4月 p22-23 請求記号:Z051-112

 勤労報告隊や挺身隊として工場で働く若い人たちに、栄養のあるお弁当を持たせるにはどうしたらいいのか。この記事では、1人で作っていては偏りがでるので、3人で材料を持ち寄って作ってはどうかと提案しています。そして実際に作った一例として写真付きで掲載されているのが、いり玉子、きんぴらごぼう、おひたしという美味しそうなお弁当。それぞれ3人が乾燥玉子の他に、ごぼう、長ネギ、小松菜を持ち寄って作っています。記録をつけて3人の不公平感を出さないようにしましょうと細やかな配慮を付け加えることも忘れません。

「粉食の研究 食べ盛りの人たちのために」
『婦人之友』婦人之友社 38巻6号 1944年6月 p26-27 請求記号:Z051-112

 食欲の旺盛な年頃の人たちを抱える家庭向けに、腹持ちのよい料理は粉食ですと勧めています。玄米や混合米をそのままではなく挽いて粉にすればかさが増し、さらに汁気の多い副食を添えることで、食べ盛りの男の子たちもお腹いっぱいになるとしています。粉にするためには石臼の代わりに、この頃は用のなくなった挽き肉機やコーヒー挽きを利用してもよいとある部分が、食材の乏しさを感じさせます。いつもお腹を空かせている子どもたちに、なんとか満足いくよう食べさせたいという思いが伝わってきます。

「南瓜の完全活用調理」
『婦人之友』婦人之友社 38巻8号 1944年8月 p27-29 請求記号:Z051-112

 乏しい配給食料を補うために、当時どこの家の庭でも育てられていた南瓜(かぼちゃ)。この南瓜の実だけでなく、花も葉も、蔓もすべて料理の材料として使うにはどうすればいいかを解説した記事です。伸びた蔓は茹でて和え物に、またはみそ汁やすまし汁の青味に使う。花は花粉をよく洗い落として酢のものや揚げものに、傷みやすいわたの部分も捨てずに翌日のみそ汁の実にするなど、まさにすべてを使い切る工夫が書かれています。当時の食糧事情がどれだけ厳しかったのかが分かります。

神奈川資料のとびら ~かながわ資料室の本を紹介~

『大草家料理書/羣書類従(群書類従)第19輯』
塙保己一編 続群書類従完成会 1971年 請求記号:K08 17 1-19(50532597)かながわ資料室 館内閲覧のみ

 室町期に入ると本膳形式の料理が供されるようになり、四条流、大草流といった庖丁流派が成立しました。それに伴い『大草家料理書』といった料理書も出現します。江戸後期、塙保己一(はなわほきいち)によって編纂された大叢書、『群書類従』の飲食部に掲載されています。この料理書にはふぐ汁料理の項目もありますが、さしつかえがあるので詳細は削ったと書かれています。ただどうしても食べたい場合の注意書きが添えられており、危ないと分かっていてもふぐを食べたいという思いは今も昔も変わらないようです。

『西洋料理精通』
丹羽庫太郎著 大塚峰吉校閲 松陽堂 1901年(3版は1902年) 請求記号:K59 6(50693886)かながわ資料室 館内閲覧のみ

 1859(安政6)年開港地となった横浜には、来日する外国人向けに西洋式のレストランやホテルが次々とオープンします。1883(明治16)年頃に創業した横濱クラブホテルの大塚峯吉が校閲し、丹羽庫太郎が記した『西洋料理精通』のページをめくると、最初に目にするのは、洋風のテーブルを囲む洋装、和装の4人の男性の写真です。本書には西洋料理の詳細な作り方はもちろん、食事会の招待状の出し方から、来客のもてなし方、座席順、テーブルマナー、最後の方にはなんとビリヤードのルールまで書かれています。

『常磐 西洋料理』
ビンフオルド著 常磐社 1904年(4版は1912年) 請求記号:K59 1(50276732)かながわ資料室 館内閲覧のみ

 アメリカのプロテスタント、メソジスト監督派教会女性海外伝道協会は、1897(明治30)年、横浜の山手に常磐社という出版社を設立しました。出版物を通して日本の女性や子どもに西欧文化を伝えることを目的としており、本書でも西洋料理を詳しく紹介しています。コンロにオーブンをのせた図を掲載したり、「ベーキングパウダー」を「焼粉」、「コーンとトマトのスープ」を「玉蜀黍と赤茄子のスープ」、「フライドチッキン」を「揚たる鶏」と並べて表記したりするなど、西洋料理を身近に感じさせる工夫を随所に凝らしています。

『實地経験 薹所重寳記(実地経験 台所重宝記)』
村井弦斎著 報知社出版部 1905年 請求記号:K59.62 3(60482825)かながわ資料室 館内閲覧のみ

 明治・大正期のベストセラー作家、村井弦斎が1905(明治38)年に出版した本書は、下女と妻君の対話形式で綴られた料理に関する実用書です。お米の良し悪しが分からない下女に対し、お米を見るときに一番大事なのは粒がそろっているかどうかで、さらに芽の部分が小さく、全体的によく透き通って艶のあるものがいいんだよ、と諭すのが冒頭の「米問答」。続く飯問答、漬物問答と、お役立ち情報が満載です。牛乳問答にはバターのこしらえ方が書かれており、西洋料理が家庭にも普及していたことがうかがえます。

『國民の主食に就て』
横浜玄米会編 横浜玄米会 1941年 請求記号:K59.1 18(60140555) かながわ資料室 館内閲覧のみ

 戦時色を濃くしていった当時の情勢を感じさせる一冊です。冒頭の横浜玄米会設立の趣旨には、節米が叫ばれ代用食が推奨されている国家のこの非常時に、白米食が常食となっている現状は嘆かわしい、神代以来の主食である玄米に立ち返ることこそ、大和民族の姿であるとあります。今では健康食として人気の玄米。戦中は食糧不足の中、栄養を摂る必要に迫られてのことでした。それでも、いかに玄米を美味しく炊くかその方法を丁寧に解説している様子からは、食への強い思いが伝わってきます。