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トピックスのとびら

 図書館には図書、雑誌、地域資料、新聞、視聴覚資料、インターネットといったたくさんの情報のとびらがあります。
 そのとびらを開いて、時事的な話題を複合的な視点から紹介します。

No.102 ポスト・アパルトヘイト(2014年1月発行)

 2013年12月5日、ネルソン・マンデラ元大統領が95歳で死去されました。1990年に釈放されるまで27年間を獄中で過ごしながら、共生を求めて白人政権と対話を重ねたマンデラ氏。多様な人種が混在する複雑な状況を前に彼が目指したのは、虹のように多くの色が互いに引き立て合う美しい国でした。
 1994年に初めて全人種が参加した選挙が実現し、マンデラ氏が大統領に就任してから約20年。国際社会への完全復帰を果たし、順調なGDP成長を遂げている南アフリカですが、アパルトヘイト体制下の階級構造は依然として残っています。加えて、民主化後グローバル化を推し進め、新自由主義的な経済政策を打ち出してきた結果、南アフリカ国内では人種間格差だけでなく黒人内の格差も拡大しました。経済成長の裏側で専門職などからなるミドルクラスが減少し、農園労働者や家事労働者、失業者などからなるアンダークラスは増加しています。偉大な指導者が描いた「虹の国」は今どうなっているのか。過去の負の遺産を抱えたポスト・アパルトヘイト社会は、グローバル経済の最前線にありながらその副作用に苦しんでいます。

図書のとびら

『自由への長い道 上・下』
ネルソン・マンデラ著 東江一紀訳 日本放送出版協会 1996年 請求記号:上289.3EE 1303 1(20856399)下289.3EE 1303 2(20856381)県書庫2

 故マンデラ元大統領の自伝である本書。英文で書かれた原書が刊行されベストセラーとなったのは、大統領に就任して半年後、1994年の年末のことでしたが、実際はロベン島に投獄されていた1974年からひそかに書き進められていたものです。なぜ彼は44歳から71歳までの27年間を刑務所に過ごしながら、報復ではなく和解を、暴力ではなく協調を主張し、人種融和の国づくりを進めることができたのか。問題の本質を的確に見抜き、相手を肌の色ではなく人間性で理解したマンデラ氏が簡明な言葉で綴った文は、言い知れぬ深みを持って読者の胸に届きます。

『ポストアパルトヘイトの政治経済』
花田吉隆著 第三書館 2006年 請求記号:312.48RR 7(22016208)公開

 好調な成長率を維持する経済大国でありながら、多くの国民が国際貧困ラインである1日2ドル以下で生活しているという南アフリカ経済の二重構造。虐げられた黒人と、資本と技術を握る少数派の白人とのバランスをどうとるか。南アフリカの抱える巨大な矛盾と背景を、2002年から在南アフリカ大使館公使を務めた著者が語っています。国の安定を維持するため、南アフリカの民主化は非常に難しい舵取りを強いられてきました。新自由主義政策とBEE(黒人権利拡大政策)は、一方で貧困層の拡大も生み出しています。

『国家の仮面が剥がされるとき 南アフリカ「真実和解委員会」の記録』
アレックス・ボレイン著 下村則夫訳 第三書館 2008年 請求記号:316.84TT 15(22264105)公開

 1995年12月、南アフリカ政府は、アパルトヘイト政策下で行われた真実を明らかにし、将来の和解へと導くために「真実和解委員会」を設置することを決定しました。本書は、委員会副委員長を務めたDr.Alexander Lionel Boreine氏の記す活動記録です。アパルトヘイトに加担した人間だけでなく、抵抗し自由と正義のために戦った人間の人権侵害をも明らかにした委員会は、中傷と策謀、攻撃にさらされます。それでも委員会のメンバーは困難と向き合い、1998年には最終報告書を完成させました。著者は最後を「私は、希望をもって我々の国の未来を捉えている」という言葉で締めくくっています。

『南アフリカの衝撃』
平野克己著 日本経済新聞出版社(日経プレミアシリーズ) 2009年 請求記号:302.48 109(22382741)公開

 他のサブサハラ(サハラ砂漠以南)の国々とは異質な点が多い南アフリカ。かつてアパルトヘイト政策によって国際社会から疎外されていた南アフリカは、いまやグローバリゼーションの最前線へと躍り出ています。ある面ではBRICs(ブリックス) と呼ばれたブラジルやロシア、インド、中国よりも進んでいるグローバル化が南アフリカにもたらした、所得格差の拡大や高い犯罪発生率。南アフリカを知ることは、グローバリゼーションについて知るということ。本書は南アフリカの解説書であると同時に、南アフリカにありありと浮き出しているグローバリゼーションの実態を描き出しています。

『南アフリカの経済社会変容』
牧野久美子編 佐藤千鶴子編 アジア経済研究所研究双書No.604 2013年 請求記号:302.48 112(22664569)公開

 アパルトヘイト体制下で形成された人種間の格差や貧困、社会的排除といった深刻な問題に対して、マンデラからムベキ、ズキという指導者の元、ANC(アフリカ民族会議)政権がどのような取り組みを行ってきたのか。本書では南アフリカ民主化後に実施された政策の変遷とその背景を、貿易や対外投資、黒人の経済力強化、移民といった個別の分野ごとに検証しています。現地調査に基づいた具体的な内容からは、南アフリカで複雑に錯綜する利害関係の現状が見えてきます。

雑誌のとびら ~ポスト・アパルトヘイトの苦悩~

「南アフリカにおける「共生」と「食糧増産」の課題」
『農業と経済』昭和堂 74巻14号 2008年12月 p72-76 請求記号:Z611-501

 食料危機に関する特集の中で、「食糧増産」支援が「飢え」をさらに深刻化させている状況を問題提起している記事です。著者は日本国際ボランティアセンター南アフリカ現地代表の津山直子氏。南アフリカ東ケープ州政府が、収穫量増加につながり貧農対策となると支援してきた遺伝子組み換え種作物の栽培は、除草剤の使用とセットになっています。その結果、トウモロコシ以外のカボチャや豆といった自給用食料が生産できなくなった女性をはじめ、現地の声を取材しています。

「Picture Power アパルトヘイトは終わらない」』
『Newsweek』阪急コミュニケーションズ 24巻44号(通巻 1177号) 2009年11月18日 p72-75 請求記号:Z051-197

 2008年2月、南アフリカ内陸部にあるフリーステート大学で、白人学生が撮影し公開した映像が問題となりました。映像は学生寮の黒人学生の比率を増やすという大学側に抗議するためのものです。人権、環境問題を中心に取材しているRobin Hammond氏は記事で、白人層が根源的な恐怖感を抱いていると指摘しています。白人と黒人が別のテーブルについている食堂の風景や、廊下に飾られている卒業生の写真がすべて白人である大学の様子が撮影されています。

「特集 強豪集う、南アフリカ-格差最大の国が鍛えるグローバル経営力」
『日経ビジネス 』日経BP社 1537号 2010年4月19日p36-45 請求記号:Z330.5-59

 2010年6月11日から、アフリカ大陸初となるFIFAワールドカップが南アフリカで開催されました。本特集は、W杯開幕に向け不安視されていた南アフリカの状況を分析しています。広がる所得格差と多発する凶悪犯罪。アパルトヘイト政策の後遺症がリスクを生む中で、進出した企業はどう事業を展開しているのか。低所得者を携帯電話のヘビーユーザーへと変身させたスウェーデンの通信機器大手エリクソンや、教育水準を引き上げるために学校を運営するトヨタの事例などを取り上げています。

「ポスト・アパルトヘイト社会を覆う 暴力と不安 ‐南アフリカの「ゼロ・トレランス」政策と民衆」
『AFRICA』アフリカ協会 vol.52 No.4(通巻554号) 2012年WINTER p40-49 請求記号:Z302-505

 立教大学アジア地域研究所研究員の宮内洋平氏による研究論文です。宮内氏は「目障りな貧困」を警察が監視し、社会の「ならず者」たちを監獄に入れてしまおうという「ゼロ・トレランス」政策が、暴力と不安を引き起こしている要因の一つであると指摘しています。1990年代初頭にニューヨーク市が始めたこの政策を、南アフリカはさらに厳格な形で取り入れました。南アフリカ版ゼロ・トレランス政策は警察官の過剰な実力行使を引き起こし、貧困層は暴力的に排除される日常に直面しています。

「WNH : WORLD NEWS HEADLINE:SOUTH AFRICA アパルトヘイトは撤廃されたけれど… 「逆差別」と貧困に喘ぐ南アフリカの哀しき白人たち」
『COURRiER Japon』講談社 8巻12号(通巻97号) 2012年12月 p64-67 請求記号:Z051-890

 サンデータイムズマガジン(UK)に掲載された記事の翻訳です。南アフリカでは黒人だけでなく白人の貧困層も新たに拡大しています。アパルトヘイト時代は政府から雇用を保障されていた労働者階級の白人ですが、撤廃後は仕事や生活の糧を失い、劣悪な環境にある不法居住キャンプに移り住む人も増えています。しかし、貧しい白人はあくまで少数派という黒人の声もあり、その支援は政治的に難しい問題をはらんでいます。

新聞のとびら ~スポーツを通してみるポスト・アパルトヘイト~

人種を超えて 南アスポーツの現状(1)~(5)
『読売新聞』 (1)1995年6月30日 朝刊 p28 (2)1995年7月1日 朝刊 p19 (3)1995年7月2日 朝刊 p19 (4)1995年7月3日 朝刊 p21 (5)1995年7月4日 朝刊 p19
 1995年5月、南アフリカはラグビーW杯を開催し、歴史的な優勝を果たしました。この連載では、アパルトヘイト撤廃後国際舞台に復帰し3年経った南アフリカの現状を、スポーツの取材を通して追っています。白人のスポーツだったラグビーを黒人の少年たちに指導する教室。貧困による絶望感から子どもをたちを救うため、卓球を教える女性コーチ。黒人やカラード(混血)の参入でレベルアップし、アフリカ最強を誇る南アフリカ野球。スポーツが人種、肌の色、政治信条の垣根を越える力となっています。

サッカーの惑星(ほし) 南アフリカ編 1~5
『読売新聞』 (1)2010年3月25日 夕刊 p1 (2)2010年3月26日 夕刊 p2 (3)2010年3月27日 夕刊 p2 (4)2010年3月29日 夕刊 p2 (5)2010年3月30日 夕刊 p2
 史上初めてアフリカ大陸に代表が集まったサッカーW杯南アフリカ大会。さまざまな国のサッカー事情を紹介した連載の南アフリカ編です。故マンデラ元大統領らが政治犯として拘束されていた監獄で、収容者を支えたのは「監獄島サッカー」でした。旧黒人居住区で、はだしの子どもたちが蹴っているボロボロのボール。サッカーでは他に先駆けて、アパルトヘイトに風穴を開ける動きが起こったことが伝わってきます。

虹の国W杯 上・中・下
『読売新聞』 (上)2010年6月4日 朝刊 p7 (中)2010年6月5日 朝刊 p9 (下)2010年6月6日 朝刊 p2
 19世紀半ば、欧州からの入植者により南アフリカにもたらされたサッカー。白人政権は黒人サポーターが集まるのを恐れて締めつけを行いましたが、黒人指導者らがサッカーをする権利を求めて戦った結果、各地の黒人居住区でチームが発足しました。今回の南アフリカ代表メンバーは黒人17人、白人1人、カラード5人。W杯は南アフリカの変化を世界に印象づける格好の機会だとしています。

インターネットのとびら ~ネルソン・マンデラという生き方~

Apartheid Museum 公式ホームページ ※英文
http://www.apartheidmuseum.org/
 アパルトヘイトの歴史資料を保管・展示するため2001年に開館した博物館のホームページです。故マンデラ元大統領の言葉 "To be free is not merely to cast off one's chains but to live in a way that respects and enhances the freedom of others." が掲げられており、デジタルアーカイブ展示ではその生涯を、さまざまな写真と共に追うことができます。

Google Cultural Institute
http://www.google.com/culturalinstitute/home
 Googleが提供しているサービスで、数百にのぼる美術館、文化施設、アーカイブと協力して、世界中の文化遺産をオンライン公開しているサイトです。歴史的瞬間、文化人、科学技術といったトピックの写真、動画、草稿、文書を閲覧できるアーカイブ展示では、故マンデラ元大統領が刑務所から送った手描きの手紙を見ることができます。