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トピックスのとびら

 図書館には図書、雑誌、地域資料、新聞、視聴覚資料、インターネットといったたくさんの情報のとびらがあります。
 そのとびらを開いて、時事的な話題を複合的な視点から紹介します。

No.101 東京オリンピック1964 (2013年12月発行)


 2013年9月7日(日本時間8日)、2020年の東京オリンピック開催が決定しました。それに遡ること54年、1959年5月26日もまた、第18回オリンピックの開催地が東京に決まった瞬間でした。
 欧米以外の国では初めてのオリンピックとして1964年に開催された東京オリンピックは、日本に大きな変化をもたらします。日本橋の上を走る首都高速道路、東海道新幹線の開業、ホテルなどの建設ラッシュ。敗戦から20年、近代国家となった日本を世界にアピールするため、総額一兆円ともいわれる巨額の費用がインフラの整備に投じられ、東京の景観は一変しました。折しも当時日本は高度成長期。カラーテレビ、車、クーラーの3C時代が到来し、海外旅行や貿易も自由化され、日本は経済大国への道を邁進していきます。1970年に大阪で開催された日本万国博覧会と共に、人々を巻き込む戦後の一大イベントとなった東京オリンピック。2020年に向け改めて振り返ってみませんか。

図書のとびら

『開会式公式プログラム』
オリンピック東京大会組織委員会 1964年 請求記号:780.6 12 18(11795523)※書庫・館内閲覧のみ

 青い背表紙が印象的な、第18回オリンピック東京大会開会式の公式プログラムです。音楽隊の入場行進から始まり、選手団の入場、会長挨拶。ページをめくると当日の様子が脳裏に浮かんでくるようです。開会宣言の後に歌われたのは「オリンピック賛歌」。楽譜も掲載されています。

『Tokyo Olympiad 1964』
共同通信社 1964年 請求記号:780.6 15(11795556)※書庫・館内閲覧のみ

 共同通信社のカメラマンが取材した東京オリンピックの写真は、カラーと白黒合わせて8万枚を超えたそうです。そのおびただしい写真群の中から厳選された写真によって構成された本書は、オリンピアの聖火採火式から閉会式に至るまでの決定的瞬間を再現しています。巻末には参加国一覧などを含めた記録も掲載されています。

『幻の東京オリンピックとその時代 戦時期のスポーツ・都市・身体』
坂上康博編著 高岡裕之編著 青弓社 2009年 請求記号:780.69UU 63(22352074)公開

 オリンピックの開催回数には、世界大戦の影響により幻となった三つの大会も含まれています。1916年(ベルリン)、1940年(東京からヘルシンキに変更)、1944年(ロンドン)に予定されていた大会です。本書はその中でも1938年に返上された東京オリンピックに焦点をあて、中止に至る国際政治の力学、戦時下のスポーツ界の動向などを描き出しています。ライバルだったヘルシンキを退け東京が開催地に決まったのは1936年7月31日。当時日本は満州国の承認をめぐり、国際連盟を脱退していました。にもかかわらずなぜ東京が選ばれたのか。そして幻となった東京オリンピックはどのような痕跡を残したのか。その実像が浮かび上がってきます。

『東京オリンピックの社会経済史』
老川慶喜編著 日本経済評論社 2009年 請求記号:210.76UU 274(22359541)公開

 日本の戦後復興の象徴であった1964年の東京オリンピック。本書はその時代背景を、さまざまな角度から考証しています。ロンドンオリンピック(1908年・1948年)、日本万国博覧会(1970年)との関連性、インフラ整備による変容、「消費は美徳」という経済思想の定着、オリンピック前後に高等学校や大学へ進学する年齢に達したベビーブーム世代の問題、「流通革命」の影響など、多彩な視点から検討された本書を読むことで、東京オリンピックが日本の戦後史においてどのような意味をもったのか、その輪郭が見えてきます。

『TOKYOオリンピック物語』
野地秩嘉著 小学館 2011年 請求記号:780.69 67(22498703)公開

 筆者は本書を執筆した動機を、新しい何かへの挑戦、そして、がむしゃらに突き進むことの意義をあらためて提示したかったからだと述べています。当時は高度成長の真っただ中とはいえ、今に比べればモノもなくけっして豊かではありませんでした。それでも挑戦を続けていけば、いつか夢が現実になると人々が信じていた時代。ポスターをデザインした亀倉雄策、選手村食堂の運営を担った村上信夫をはじめ、大会を裏で支えた人々の情熱を伝えています。

『オリンピックの身代金』
奥田英朗著 角川書店 2008年 請求記号:913.6 TT 3335(22287361)公開

 秋田の寒村出身の東大院生・島崎国男が、オリンピック開催を妨害する爆弾テロを企てたのはなぜなのか。物語は夏のある暑い一日から開会式翌日の10月11日まで、時系列にそって綿密に描かれます。事件の背景にあったのは都会と農村の貧富の差、オリンピック工事現場が出稼ぎ労働者に強いた過酷な労働。オリンピック開催に沸く東京を舞台に、当時日本が抱えていた影の部分が徐々に明らかになっていきます。第43回吉川英治文学賞を受賞した作品です。

雑誌のとびら ~東京オリンピックとその反響~

「オリンピック東京 1964」
『毎日グラフ』臨時増刊 毎日新聞社 765号 1964年11月 請求記号:Z051-11

 陸上男子100mで追い風参考・非公認ながら、10秒の壁を破り9秒9の記録を出したヘイズ。100m自由形をはじめ水泳で金メダル4つを獲得したアメリカのショランダー。男子マラソン二連覇のアベベ。そして東洋の魔女と呼ばれた日本女子バレーボールチームといった選手達の姿はもちろん、聖火リレーや開会式、興奮する観客の様子を写した写真がふんだんに掲載されています。さらに目を引くのがテレビや自動車、カメラといった広告の数々です。

「東京オリンピック」
『アサヒグラフ』増刊 朝日新聞社 2114号 1964年11月 請求記号:Z051-10

 表紙の写真は陸上1万メートル決勝、12番クラーク選手が先頭を走っている瞬間です。巻頭カラーで特集されているのは、開会式の様子。女性のピンクと男性の白の対比が印象的なスーツ姿を披露する統一ドイツ選手団、秋空に舞う約一万羽のハト。加えて男子100m準決勝で走るヘイズ選手の姿などが続きます。「憩いのひととき」と題され、代々木選手村での様子を撮った写真や、20競技・163種目の優勝者全員の写真も掲載されています。

「オリンピックが残した7つの教訓 ”ローマ大会の反省”はまた繰替された」
『週刊朝日』朝日新聞社 2377号 1964年11月6日 p120-123 請求記号:Z051-47

 東京オリンピックで日本が獲得した金メダル16個は予想を上回ったものの、陸上、水泳の不振は選手層の薄さを如実に物語ったとし、4年後のメキシコ五輪に備えるために何が必要か分析した記事です。指導者の不足、アガリ症、学校運動施設の貧困、科学的な根拠のないトレーニングなど、当時日本のアマチュアスポーツ界が置かれていた社会的地位の低さに、抑えきれない憤りを感じていることが伝わってきます。

「オリンピック映画作り奮闘記」
『婦人公論』中央公論社 49巻12号 1964年12月 p122-128 請求記号:Z051-9

市川崑監督、総予算2億7,000万をかけた映画『東京オリンピック』の製作には、脚本家の谷川俊太郎をはじめ、さまざまな分野から人材が集められていました。この記事はその中の一人、作家安岡章太郎によって書かれています。人間を表現することを重視し、ストーリー性を持った『東京オリンピック』は、当初記録映画ではないと論争を呼びましたが、結果的には空前のヒットを記録します。安岡章太郎は臨場感溢れる描写で、この映画がどう作られたのか語っています。

「五輪サヨナラ大安売り”青空市”は超満員」
『週刊朝日』朝日新聞社 2384号 1964年12月25日 p7-12 請求記号:Z051-47

 12月10日、オリンピック選手村で使用された備品を特売する”青空市”が、代々木の元選手村広場に立ちました。1人1点が原則の電気ストーブ1,500円をはじめ、洗濯機7,500円、応接3点セット3,500~4,500円などなど。会場にはおよそ6千人が押しかけ、特に家庭用小物売り場では制限時間30分が設けられたほどでした。3日続けて開かれるはずが初日でほとんど全部が売れ切れた様子を、グラビアページで伝えています。

新聞のとびら ~文学者たちが語る東京オリンピック~

東洋と西洋を結ぶ火 /三島由紀夫
『毎日新聞』 1964年10月11日 朝刊p7
 時期早尚など反対も多かった東京オリンピック。開会式を見て、三島由紀夫は「やっぱりこれをやってよかった。これをやらなかったら日本人は病気になる」と言っています。地球を半周した聖火が聖火台に移され青空を背に揺れる様子を、美しい文章が綴っています。

孤独な娘たち /曾野 綾子
『毎日新聞』 1964年10月15日 夕刊p9
 女子背泳ぎ100m決勝の様子を伝える記事です。イギリスのラドグローブ、フランスのキャロン、日本の田中聡子といった若い選手が繰り広げたレースを、それぞれの表情、しぐさに注目して丁寧に描いていいます。レース直後、メダルを逃し一人だけ10mほどゆっくり泳いでいた田中選手。その姿をじっと見つめています。

オリンピック断章 テレビの中の苦しむ顔 /大江健三郎
『読売新聞』 1964年10月23日 朝刊p17
 男子マラソンを観戦するために初めて二時間以上テレビの前に座った大江健三郎が、スポーツ大会にテレビがもたらした変化を語っています。テレビ画面は選手の人間らしい感情をたたえた表情を映し出し、われわれと選手との間の距離を縮めたと。東京オリンピックでは日本中の人々が、テレビを通して選手との一体感を味わいました。

解放と別離の陶酔 /松本清張
『朝日新聞』 1964年10月25日 朝刊第二部p17
 競技場全体が一つの野外劇場となった閉会式。松本清張はそこに万事が終わったという解放感と別離の陶酔を感じたと記すと共に、開会式後に起きたフルシチョフの失脚と中国核実験の爆死についても言及します。スポーツによる世界統一という理想は錯覚にすぎない、それでもメキシコ大会に向け何事もなく時が流れるのを念じると結んでいます。

視聴覚資料のとびら ~テーマソング~

『黒船以来~日本の吹奏楽150年の歩み~』
演奏:陸上自衛隊中央楽団ほか ヘイル・コロンビア,東京オリンピック・ファンファーレ,オリンピック・マーチ、万国博マーチほか キングレコード 2003年 請求記号:CD46 クロフ(41311002)視聴覚資料室公開CD
 東京オリンピックでは、公式非公式を含め多くの関連楽曲やテーマソングというべき歌が製作されました。このCDには「東京オリンピック・ファンファーレ」・「オリンピック・マーチ」が収録されています。ファンファーレは当時の諏訪交響楽団の指揮者今井光也による作品で、開会宣言の際演奏されました。開会式、閉会式両方の選手入場に使われたのが「オリンピック・マーチ」で、古関裕而による作品です。

『WELCOME TO TOKYO 日本の印象』
演奏:テイチク和洋合奏団 越後獅子,六段,お江戸日本橋,東京五輪音頭ほか 請求記号:CLP35 95(42221440)視書庫1レコード
 「東京五輪音頭」はNHKが独自に製作したものです。歌詞は公募、作曲は数々のヒット曲を手がけていた古賀政男で、三波春夫が歌った版が最も人気を博しました。このレコードでは、和洋合奏用に編曲されたバージョンを聴くことができます。