かながわ資料ニュースレター第63号(2017年12月発行)

新着資料から

◆『明王太郎(みょうおうたろう)日記 上 -堂宮(どうみや)大工が見た幕末維新-』
 手中正・小沢朝江 編著 東海大学出版部 2017年 [K25/235/1]
 相模国の堂宮大工の棟梁として知られた手中明王太郎景元(1855-1910)が書き記した日記の翻刻・刊行が始まりました。伊勢原市大山の手中明王太郎家は『新編相模国風土記稿』(第3巻、K291/1D/3)にも取り上げられる旧家です。日記からは、大工棟梁としての周到な下準備や作業の裏話など仕事上の記録をはじめ、日常生活や幕末・維新期の大山をはじめとする社会の出来事及び風聞など各種の情報が得られます。今回の上巻には、嘉永7(1854)年から明治2(1869)年までの記録が収められています。
 当館では手中家以外にも愛川町半原の宮大工の家、矢内家についての図書も所蔵しています*。

 *『幕府作事方 柏木、矢内匠家 半原宮大工矢内匠家匠歴譜』鈴木光雄著 神奈川新聞社営業出版部 2009年[K52.91/1]

◆『新編 鎌倉震災志』
 NAMAZUの会編 冬花社 2017年 [K45.4/1B]
 関東大震災から7年後の1930年に当時の鎌倉町役場が発行した『鎌倉震災誌』は、大震災の被害や復興の状況を詳しく載せた貴重な資料です。鎌倉市役所職員の自主研究グループ「NAMAZUの会」は2004年に結成され、2008年に最初の現代語訳『新版 鎌倉震災誌』を刊行しました。原本の四六判縦書きを、およそ2倍のA4判で横書きとし、簡易な製本の仕立てでした。
 本書は、東日本大震災後、『鎌倉震災誌』の存在をあらためて知らしめるべきとの声が高まったこともあり、単なる再録ではなく、新たな視点や知見を加え、内容の充実を図りました。「新編」では、原本の読みにくさを平易な表現に改め、当時の地名もできる限り場所が特定できるようにし、また当初の縦書きに戻しました。関東大震災体験者の手記や回想を章立てにし、鎌倉を襲った地震の年表や、江戸時代の地震に関する記述も載せています。

新着の神奈川資料

新着資料の一部をご紹介します。

タイトル 著者名 出版者 出版年 請求記号
海外新聞総索引 山口豊 編 武蔵野書院 2017 K07.1/57
相模武士団 関幸彦 吉川弘文館 2017 K24/525
北條五代を支えた女性たち-小田原北條氏は平和外交を目指したのか- 石井啓文 夢工房 2017 K24.7/173
堤家文書で読み解く江戸期磯子村 村びとの生活と心情 古文書一九会 古文書一九会 2017 K25.16/1
(日本史リブレット人042)北条早雲 新しい時代の扉を押し開けた人 池上裕子 山川出版社 2017 K28.7/139
武相民権家列伝(民権ブックス30号) 町田市立自由民権資料館 町田市教育委員会 2017 K31.98/23/30
社会福祉法人川崎市社会福祉事業団設立30周年記念誌 川崎市社会福祉事業団 2016 K36.21/214
私たちの津久井やまゆり園事件 堀利和 編 社会評論社 2017 K36.54/49
「生活保護なめんな」ジャンパー事件から考える 生活保護問題対策全国会議 編 あけび書房 2017 K36.7/50
学校法人神奈川歯科大学100年史 神奈川歯科大学100年史作成委員会 神奈川歯科大学 2017 K37.31/98/100
復興百年誌 石碑が語る関東大震災 武村雅之 鹿島出版会 2017 K45/289
鎌倉震災手記(98人が綴る鎌倉の関東大震災記録) 鎌倉市中央図書館近代史資料室 鎌倉市中央図書館近代史資料室 2017 K45.4/16
平瀬川の研究 中原堰百周年記念誌 旧平瀬川・中原堰研究会 2017 K51.21/117
自然保護と開発(箱根を守る会50周年記念) 箱根を守る会 箱根を守る会 2016 K51.8/26

うちのおたから自慢 『堤石鹸商標集』
堤石鹸製造所 〔明治前期〕 (27枚) [K57.1/19/1]

 「横浜もののはじめ」の一つに数えられる石鹸製造の商標(ラベル)を紹介します。1873(明治6)年、横浜の堤磯右衛門(1833-1891)が三吉町(横浜市南区万世町)に製造所を設けたのが、わが国の石鹸工業の初めといわれています。磯右衛門の生家は、磯子村(横浜市磯子区)有数の網元で、堤家の当主として台場建設など江戸湾の警備にかかわる仕事をしていました。横須賀製鉄所(造船所)建築請負人の代理を務めた時、フランス人の舎密(せいみ=化学)工ボイルから石鹸製造法の話を聞いたのが契機となり、試行錯誤しながら、ようやく製品化に漕ぎつけました。
 堤石鹸の経営が安定するのは明治10年代(1878~85年)で、この頃から各地で開催される博覧会で優秀な成績を収め、堤磯右衛門の名は全国に知られることになりました。その後は、中国・東南アジア方面など広く海外へも輸出されます。
 堤石鹸の商標は、国内向けと海外向けに大別されます。写真(左)は国内向けのラベル(176×79mm)で、絵柄のある多色刷りで、形状は縦長が多いのが特徴です。写真(右上)は海外向けのラベル(141×281mm)で、単色刷が多く、英文表記のため横長形が多いのが特徴です。
 また、写真(右下)は「横浜諸会社諸商店之図」*に掲載の銅版画「石鹸製造所 堤磯右衛門」で、最盛期の様子を表わしています。図中、右上のメダルは博覧会で優秀作となった記念の賞牌です。
 しかし、政府が実施したデフレ政策と競争企業の増加の影響を受け、堤石鹸製造所は1890年で製造を停止し、翌年磯右衛門も波乱の人生を終えました。

写真(左)国内向けのラベル
写真(右上)海外向けのラベル
写真(右下)銅版画「石鹸製造所 堤磯右衛門」

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*『横濱銅版畫』神奈川県立博物館編 有隣堂 1982年 [K72.1/104]に復刻版が収載されています。

コラム・かながわ・フォーカス

[神奈川の祭り ~昭和の記録写真から~]

≪下九沢(しもくざわ)の獅子舞≫…相模原市緑区下九沢(御嶽神社)
  神奈川県指定無形民俗文化財(昭和36年7月4日神奈川県指定無形文化財となり、昭和51年10月19日改称)

 ◆写真撮影日:昭和38年8月26日 [請求記号:(視聴覚移管写真)K42]

【解説】
  前号の「大島の獅子舞」に続いて、今回は明治期まで隣村であった「下九沢の獅子舞」です。各々の舞場である大島の諏訪神社から下九沢の御嶽神社までは、直線で3.5キロたらずです。また、第24号(2011年6月)で取り上げた「鳥屋(とや)の獅子舞(鳥屋諏訪神社)」とも直線で11.2キロ程の距離に位置しています。この3ヶ所の獅子舞は一人立ち三頭獅子舞の代表的なものです。
 下九沢への伝来時期は、獅子舞保存会所蔵の秘巻「日本獅子舞来由」の写しに記された「文政4年(1821)」の年号、獅子の太鼓の内側に記された「文政元年(1818)」の年号などから推定できます。文化文政の頃は、農民や町民による新たな町人文化が生まれ、地方にも多くの文化圏が形成された時代で、下九沢の獅子舞も当時のこうした時代背景を表現した舞と言われています。
 御嶽神社で獅子舞が演じられる際、境内にしめ縄を張り設けた舞場(土俵)の中央には盛砂をします。獅子に付き添う赤色鬼面を被った道化役の「岡崎」がその盛砂を足で蹴散らかしてから、獅子舞が始まります。
 写真は、向かい合った見物人同士の距離が近いことや、舞場(土俵)に張られる“しめ縄”が見られないことから、舞場以外で撮影されたようです。獅子頭の特徴から、左端横向きの獅子は「玉獅子」、中央の横向きの獅子は「剣獅子」、右端でカメラに向いているのが「巻獅子」です。
 腰を落とさない足さばきは地鎮の作法を想わせ、この腰高の姿勢から跳ぶようにして太鼓を打ったり、口元でバチを持つ手首を返す所作をはじめとして、下九沢の獅子舞は優雅に映える細やかな所作が特徴です。「一人立ちの三頭獅子舞の中でも洗練された江戸情緒の濃い格調があるもの」と言われています。

下九沢獅子舞
写真

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【参考文献】
『獅子舞調査報告書 第4集 下九沢の獅子舞』相模原市教育委員会 1994年 [請求記号:K38.54/38/4]
『獅子の里を訪ねて―神奈川県の一人立ち三頭獅子舞』吉村俊介著 宮の橋社 1992年 [請求記号:K38/116]

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