かながわ資料ニュースレター第62号(2017年10月発行)

新着資料から

◆『平成28年度考古学講座 扇谷上杉氏の城-戦国黎明期に築かれた城郭-』
 神奈川県考古学会編・刊 2017年 [K22/45/2016]
 神奈川県考古学会が本年2月4日に横浜市歴史博物館において開催した考古学講座の内容をまとめた冊子です。
 扇谷上杉氏といえば、太田道灌が伊勢原市糟屋の地で主君上杉定正に殺害されたことを想起します。この糟屋の地にあった「糟屋館・丸山城」や、扇谷上杉氏関連の城郭である茅ヶ崎城(横浜市都筑区)、大庭城(藤沢市大庭)の3城について、最近の発掘調査の成果をもとに発表がおこなわれました。
 また、特別講演2題、①「深大寺城*1~扇谷上杉氏が起死回生をかけた城~」、②「“大名系かわらけ”*2の可能性を探る」の要旨も収録されています。
 「日本100名城」や「続日本100名城」も素晴らしいのですが、私たちの身近な中世城郭も訪ねてみてはいかがでしょうか。

 *1 東京都調布市  *2 扇谷上杉氏や戦国大名後北条氏の城郭から出土した土器

◆『明治の東海道を歩いた宣教師 テストヴィド神父書簡集』
 中島昭子著 ドン・ボスコ社 2017年 [K19/38]
 キリシタン禁令が撤廃された1873(明治6)年、キリスト教各派の布教が活発になり、宣教師、神父等が日本に派遣されます。カトリック教会のテストヴィド神父もその一人でした。彼は、当初武相地域(現在の立川市・八王子市あたり)への布教を精力的に進め、信仰の拡大に尽力します*。
 次いで、神奈川から岐阜までの南部巡回担当となり、東海道を徒歩で岐阜まで巡り、福音を伝え、御殿場にハンセン病患者のための神山復生病院を創設します。テストヴィド神父の活動について、彼の書簡18通を日本語訳し、解説したのが本書です。
 当館では他の会派の伝道記録に関する図書資料も所蔵しています。

 *『山上卓樹・カクと武相のキリスト教―響きあう信仰と運動―』(民権ブックス19号) 9、48~57頁 町田市立自由民権資料館編 町田市教育委員会 2006年[K31.98/23/19]

新着の神奈川資料

新着資料の一部をご紹介します。

タイトル 著者名 出版者 出版年 請求記号
中世鎌倉寺社絵図の世界 鎌倉国宝館 鎌倉国宝館 2017 K18.4/360
写真アルバム 小田原・足柄の昭和 いき出版 2017 K26/125
斎藤昌三 書痴の肖像 川村伸秀 晶文社 2017 K28/481
明治天皇、横濱へ―宮内省文書が語る地域史― 横浜開港資料館・宮内庁宮内公文書館 横浜市ふるさと歴史財団 2016 K28.1/619
(中世武士選書第38巻)源頼朝 鎌倉幕府草創への道 菱沼一憲 戎光祥出版 2017 K28.4/144
ブラタモリ 8 (横浜、横須賀、高尾山ほか) NHK「ブラタモリ」制作班 KADOKAWA 2017 K291/859
丹沢の谷200ルート 後藤真一 山と溪谷社 2017 K291.61/128
妄信 相模原障害者殺傷事件 朝日新聞取材班 朝日新聞出版 2017 K36.54/48
学校改革請負人 横浜市立南高附属中が「公立の星」になった理由 高橋正尚 中央公論新社 2017 K37.14/116
日本初のジェット・エンジンは秦野で生まれた物語 幻のジェット戦闘機「橘花」誕生 松邨賀太 松邨賀太 2017 K39.63/2
相模湾産ウミウシ類 倉持卓司 葉山しおさい博物館 2017 K48/115
「ジャックの塔」100年物語 横浜市開港記念会館100周年記念誌 横浜市ふるさと歴史財団/監修 神奈川新聞社 2017 K52.1/138
拓北農兵隊 戦災集団疎開者が辿った苦闘の記録 石井次雄 旬報社 2017 K61/352
あおいでんしゃでいくからね 滝沢眞規子監修・絵 光文社 2017 K68/595
(KAWADE夢ムック 文藝別冊) かこさとし 人と地球の不思議と共に  河出書房新社 2017 K72/183
柳原良平のわが人生 柳原良平 如月出版 2017 K72.1/211A

うちのおたから自慢 『足柄新聞 第6號』
共同会社編 1873(明治6)年 [K07.8 / 1]

 足柄新聞は1872(明治5)年11月、足柄県において発刊されました。足柄県は前年7月の廃藩置県によって、後の神奈川県域西半分及び伊豆国にわたる地域に設置されました。これまで神奈川県下で発行された新聞は、ことごとく横浜が舞台でしたが、小田原を中心とする足柄県に、独自の新聞が誕生したことは、特に注目されます。その記事の内容は、足柄県政から、県下の状況一般にわたっており、足柄県域の歴史を窺い知る貴重な記録といえます。1872年第1号及び第2号を発行し、翌1873年には改めて同年の第1号を発行し、現在、第8号まで確認されていますが、当館は第6号しか所蔵していません(写真(右))。1960(昭和35)年に東京・本郷の木内書店から650円で購入しました。
 第6号には福沢諭吉(写真(左)*)が箱根・塔ノ沢に逗留中に執筆した「箱根道普請の相談」を掲載しています。「…箱根の湯本より塔の沢まで東南の山の麓を廻りて新道を造らハ、往来を便利にして自然ニ土地の繁昌を致し…」と、箱根の湯本から塔之沢への新道建設を湯場の人たちに提案する一文です(写真(中))。福沢が逗留中に新道建設に着手すれば、福沢自身も10両を寄付するとも提案しています。この新道建設は1881(明治14)年に完成したといいます。
 その後も福沢と西相模の交流は続きます。懇意にしていた足柄上郡千津島村の天福寺住職大島仁宗をしばしば訪ね村人から景仰の的になり、1889(明治22)年の合併では村名を「福沢村」にしたといいます。1955(昭和30)年に南足柄町になるまで、その村名は70年近く存続しました。

写真(左)福沢諭吉肖像写真
写真(中)足柄新聞 第6号 「箱根道普請の相談」冒頭部分
写真(右)足柄新聞 第6号 表紙

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*明治3(1870)年の肖像写真(『福澤諭吉全集 第11巻』慶応義塾編 岩波書店 1960年[081.8/9/11]より)

コラム・かながわ・フォーカス

[神奈川の祭り ~昭和の記録写真から~]

≪大島の獅子舞≫…相模原市緑区大島(諏訪神社)
  神奈川県指定無形民俗文化財(昭和36年7月4日神奈川県指定無形文化財となり、昭和51年10月19日改称)

 ◆写真撮影日:昭和38年8月27日 [請求記号:(視聴覚移管写真)K43]

 ※「大島の獅子舞」は、撮影時も含めて「上大島の獅子舞」と呼んでいた時期があります。

【解説】
  前回の「神奈川の祭り」の連載では、①鳥屋の獅子舞(第24号、2011年6月)、②鉄神社の獅子舞(第31号、2012年8月)、③毘沙門・大乗の獅子舞(第39号、2013年12月)、④仙石原の湯立獅子舞(第46号、2015年2月)を紹介しました。神奈川県域の獅子舞は大別すると、「三匹獅子舞」と「二人立獅子舞」の二つに分けられます。「三匹獅子舞」は神奈川県を南限として東日本に広く分布していて、県内では①、②をはじめ10か所でみることができます。
 今回紹介する大島の獅子舞も、角兵衛流の一人立三匹獅子舞です。獅子頭は「剣獅子」、「玉獅子」、「巻獅子」の3頭で、いずれも朱塗で古風、優雅なものです。用いている太鼓は黒縁の胴で、皮に三つ巴が描かれています。各獅子の他、「岡崎」は烏帽子を被って簓(ささら)を持ち、「天狗」は左手に団扇、右手に杖となる青竹を持ち、「鬼」は両手に榊の枝を持っています。
 写真は、諏訪神社拝殿前に設けられた舞場です。舞場は四隅にその日に切った竹を立てて、上下二重に注連縄を巡らし、3間(約5.5m)四方に結界したもので、“土俵”と呼んでいます。
 土俵中央の獅子たちですが、右端は「剣獅子」で身を反らしてバチを持つ手で空を仰いでいます。その左は「玉獅子」でしょうか。その左隣の手前にはやはり空を仰いでいる「巻獅子」がいます。左端にいて空を仰いでいるのは「鬼」でしょうか。
 土俵の手前右側の隅には「天狗」が直立していて獅子たちを見守っています。土俵の外の拝殿側椅子席には、浴衣姿の「笛吹き」と「唄歌い」の演奏者達が控えています。

大島獅子舞
写真

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【参考文献】
『獅子舞調査報告書 第5集 大島の獅子舞』相模原市教育委員会社会教育部編・刊 1995年 [請求記号:K38.54/38/5]
『獅子の里を訪ねて―神奈川県の一人立ち三頭獅子舞』吉村俊介著 宮の橋社 1992年 [請求記号:K38/116]

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