かながわ資料ニュースレター第58号(2017年2月発行)

新着資料から

◆『東洋汽船と映画』
 松浦章・笹川慶子著 関西大学出版部 2016年 [K68.1/337]
    東洋汽船は、浅野セメントなどの創業者である実業家・浅野総一郎が外国航路進出を考えて明治29(1896)年に設立した会社です。明治31年にサンフランシスコ線の定期航路に就航、すでに営業していた日本郵船、大阪商船と競いながら航路を拡大していきましたが、アメリカの汽船会社に対抗できず、大正15(1926)年に航路権や汽船を日本郵船に譲渡しました。
  本書はその東洋汽船について、汽船会社としての活動と映画事業の2本立てで書かれたものです。「製品としての映画がどのように海を越えて運ばれてきたのか」という、従来の社史や映画史では見過ごされてきたような問題を取り上げています。

◆「かわさき市民アカデミー 川崎学双書シリーズ」
 (1)『武蔵国・橘樹官衙遺跡群の古代学 -国史跡・橘樹郡衙跡と影向寺遺跡-』
     村田文夫著 かわさき市民アカデミー 2016年 [K23.21/33]
 (2)『名刹王禅寺 -川崎市麻生区所在-』
     三輪修三著 かわさき市民アカデミー 2016年 [K18.21/55]
  「かわさき市民アカデミー」は市民が運営する学習講座で、平成5(1993)年に開学しました。国際関係や美術、日本史や社会福祉など多岐にわたる内容が開講されており、川崎市域の自然・歴史・民俗等を学ぶ地域学「川崎学」もあります。
  本シリーズは、かわさき市民アカデミーの講師が川崎に関係する特定のテーマについて、講座受講者だけでなく関心を持つ多くの人に向けて書いたもので、昨年11月に第一弾が出版されました。(1)は平成27(2015)年に国史跡に指定された橘樹官衙遺跡群について、(2)は禅子(寺)丸柿でも有名な市北部の古刹・王禅寺について書かれています。

新着のかながわ資料

新着資料の一部をご紹介します。

                                   
タイトル 著者 出版者 出版年 請求記号
藤沢市総合市民図書館30年のあゆみ 藤沢市生涯学習部総合市民図書館 藤沢市生涯学習部総合市民図書館 2016 K01.52/28/30
江戸時代の神奈川県域における絵図の出版状況および浮世絵との関係についての研究 (CD-ROM4枚付) 桑山童奈 [桑山童奈] 2016 K02/126
「坂田祐日記」を読む 関東学院大学キリスト教と文化研究所 関東学院大学キリスト教と文化研究所 2016 K19.1/201
芸術の海をゆく人 回想の土方定一 酒井忠康 みすず書房 2016 K28.4/140
東京戦後地図ヤミ市跡を歩く 藤木TDC 実業之日本社 2016 K291/847
東京湾諸島 加藤庸二 駒草出版 2016 K291/848
関東一円古城址ハイキング 内田栄一 新ハイキング社 2016 K291/849/1
中原街道と武蔵小杉 写真で綴る周辺の今昔 羽田猛 [羽田猛] 2015 K291.21/218
相模原Walker KADOKAWA 2016 K291.54/40
障害児者のための制度案内 平成28年10月 神奈川県保健福祉局福祉部障害福祉課編 神奈川県 2016 K36/849/2016
相模原事件とヘイトクライム (岩波ブックレットNo.959) 保坂展人 岩波書店 2016 K36.54/44
神奈川の人権教育  神奈川県人推協紀要9号 神奈川県人権教育推進協議会 神奈川県人権教育推進協議会 2016 K37/960/9
藤沢西の風 創立40周年記念誌 神奈川県立藤沢西高等学校 神奈川県立藤沢西高等学校 2015 K37.52/171/40
神馬の蹄跡 寒川神社流鏑馬神事復興50年記念 寒川神社社務所 寒川神社社務所 2016 K38.51/20
日本の謀略機関陸軍登戸研究所 木下健蔵 文芸社 2016 K39.21/31
ういらう 東洋神秘思想と共に二千年 外郎まちこ 東京図書出版 2016 K49.7/29
“幻の企業”相模工業物語 井上正美 シーエーピー出版 2016 K53.54/12
かながわ定食紀行(5) まだ食うの? 今柊二 神奈川新聞社 2016 K67/231/5
ジャポニカヒップホップ練習帳 横浜のハズレで学んできたこと。 サイプレス上野 双葉社 2016 K76.1/129

うちのおたから自慢 『横須賀市明細地図』※部分
東京交通社 1921年 [K292.31/21]

 「商工地図」と称される民間作成の都市地図が、明治末から昭和期にかけて、全国各地で作成・発行されました。この「横須賀市明細地図」は、現存する東京交通社発行「職業別明細図」シリーズ中、最も古い発行のものということです。縮尺の記載はありませんし番地も入っていませんが、大正期の商店などの情報がわかる資料としては希少なもので、参考文献①にも復刻で収載されています。
 これは右側に明治29年の略暦が刷られているので、28年中に印刷して29年の年賀のあいさつに配られたものと思われます。
 今回は、その明細地図の右上部分と、発行情報の部分を載せました。地図最上部は、まだ海に面していた「米ヶ濱」。地図下部には「東京湾要塞司令部」、「海軍病院」などの文字が見え、軍関係施設があったことがわかります。明細地図自体の左上には、水雷学校などがあった長浦湾を抱える「田浦町」の地図が囲みであり、裏面は「横須賀案内・田浦町案内」、「営業別索引(イロハ順)」などの文字情報と、店の写真で構成されています。

横須賀市明細地図

『横須賀市明細地図』

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【参考文献】
①『昭和前期・日本商工地図集成 大日本職業別信用案内明細地図 東京・神奈川・千葉・埼玉』地図資料編纂会編,柏書房,1987年[K292/127]
②岡島建「近代の商工地図とその利用-神奈川県の例を中心に-」国士舘大学文学部人文学会紀要,第34号,2001年 *当館未所蔵

100年前の“観光地”  横浜貿易新報社選「新避暑地十二勝」より
【新避暑地十二勝 第11位 相模河畔田名】
――「横浜貿易新報」大正3年7月26日(日)7面

 △イヤ此奴ア御挨拶だ、田名へ避暑に行つてゐたのさ、用が有つて一寸帰つたんだがまたすぐ行くよ
 □田名?田名つて一体何処だい
 △田名は高座郡の北部相模川の沿岸に在りさ
 □フーン、其処ア涼しいのかい
 △当然(あたりまへ)さ、避暑地が暑くつて堪るもんか、平均温度が此頃ぢやア先づ八十四度位だね、朝夕は 殊に涼しいよ、併し不思議なことには田名は冬になると又恐しく暖いんだとさ何しろ東と南が開けてゐて北と西が山で障子を閉てたやうになつてるんだからな、僕の泊つてる家の主人が養蚕をやつてるんで、温度に就ては特別の注意を払つてるらしいが八王子から較べると華氏で五度は暖かいと云つてたよ、降霜は十二月中旬で年内に結氷することは稀ださうだ
 □オイオイそれぢやア避寒地の能書になつちまうよ
 △イヤ多くの場合に於て避暑地は同時に避寒地であり得るのさ、それは人工的設備の上からばかり言ふのぢやないぜ、其の土地の地勢が又然(しか)らしむるんだからね
〈原文表記のまま、以下同〉
 今回は、田名通の男性が友人を避暑に誘う会話が、そのまま紹介記事となっています。上記に「僕の泊つてる家」という台詞がありますが、このあとに「宿屋へ泊ると一日五六十銭乃至一円」「素人家の間貸しへでも泊ればもつと安く上る、一日三四十銭で済むよ」というくだりもあり、今話題の“民泊”がふつうにあった様子です。
 「何か面白いところはないか」という問いには、田名八幡宮にある石の話をしています。
八幡様の社の後に爺石(ぢんぢいし)ツていふ石と婆石(ばんばいし)ツていふ石があるのだよ、所で日照続で田が罅(ひび)割れるといふやうな時には婆石を相模川へ持て行つて投(ほう)り込んでしまんださうだ、すると可哀想に爺石がオイオイ哭んださうだ 乃(そこ)で雨がさアツと降つて来るといふ訳さ、面白いぢやないか、併し爺石こそ災難だ。雨が降れば婆石は直ぐ救ひ上げられる、でも亦旱魃になりやア直ぐ又水雑炊を食はされるんだから婆石もいゝ面の皮さ。
 この石は今でも境内裏手に見ることができますが、石を投げる習慣は戦後途絶えてしまったそうです。

大山街道より見下ろす田名(山の手前に相模川が流れている)*2017.2撮影

(田名八幡宮境内)左から、ばんばあ石、じんじい石、代理石 *2017.2撮影

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【参考文献】
『田名を訪ねて』篠崎芳治著,田名歴史研究会,1978年[K38.54/5/1]