かながわ資料ニュースレター第56号(2016年10月発行)

新着資料から

◆『国宝 一遍聖繪』
 神奈川県立歴史博物館編 遊行寺宝物館 2015年 [K06/57/2015-11]
    「一遍聖絵」は、時宗の開祖・一遍上人智真(1239-1289)が全国を遊行し布教する様子を表した全12巻の絵巻で、鎌倉時代に成立しました。
  本書は、国宝「一遍聖絵」を所蔵する遊行寺(時宗総本山清浄光寺)宝物館のリニューアルオープン記念事業として、平成27(2015)年10~12月に行われた同館・神奈川県立歴史博物館・神奈川県立金沢文庫の三館共同展示の図録です。実際の展示は、「聖絵」本体はもちろんそれに関する所蔵品展示の部分も、それぞれの特色が表れていておもしろいものでしたが、本書では特に「聖絵」について、豊富な図版と詳細な解説が掲載されています。

◆『明治初期日本の原風景と謎の少年写真家 ミヒャエル・モーザーの「古写真アルバム」と世界旅行』
 アルフレッド・モーザー著 宮田奈奈訳 洋泉社 2016年 [K74/108]
  「ミヒャエル・モーザー」という名前を聞いたことがあるでしょうか。明治2(1869)年に写真家の助手として来日、横浜で発行された英字新聞『ザ・ファー・イースト』の専属カメラマンとして活動し、ウィーンなどの万博にも日本側随員として加わりました。明治9(1876)年に離日、オーストリアに帰郷後は自宅にアトリエを構え、アトリエ写真家として活動しました。
  これまで『ザ・ファー・イースト』掲載写真を撮った人物として名前は知られていたものの経歴等が不明だったそうですが、東京大学史料編纂所の「古写真研究プロジェクト」が、モーザーの孫である本書の著者の手元に残されていた写真や史料を調査し、デジタル化を行ったことが、本書執筆の一助となりました。
  本書はこのモーザーの“冒険譚”で、13歳で故郷を旅立ってから24歳で再び故郷に戻るまでの日々が、本人の日記や書簡を引用しながら描かれています。何よりも驚くのは、来日した時の彼の年齢が16歳だったということ。今まで“大人”の写真家と考えられていた彼の人生が明らかになったことで、残された撮影写真も「また新たな視点からの分析が必要となるにちがいない」ということです。

新着のかながわ資料

新着資料の一部をご紹介します。

タイトル 著者 出版者 出版年 請求記号
小田原の神社巡り 上・下 神社探訪会 神社探訪会 2016 K17.7/17/1・2
相模野台地の開拓と発展調査報告書 座間ふるさとガイドの会編 座間市教育委員会 2016 K21.56/16
鎌倉文化の思想と芸術 田中英道 勉誠出版 2016 K24/517
「ういろう」にみる小田原 深野彰 新評論 2016 K24.7/169
太平洋戦争下における南足柄の状況調査 足柄史談会編 足柄史談会 2016 K26.81/12
葉山町古文書資料整理目録 1 「葉山郷土史研究会」古文書部会 「葉山郷土史研究会」古文書部会 2016 K27.34/13/1
歴史をひもとく藤沢の資料 1 御所見地区(付:電子媒体) 藤沢市文書館編 藤沢市文書館 2016 K27.52/20/1
上杉憲政 (中世武士選書34) 久保田順一 戎光祥出版 2016 K28/467
江戸城大奥をめざす村の娘 生麦村関口千恵の生涯 大口勇次郎 山川出版社 2016 K28.1/613
相州浦賀湊のヒーロー 中島三郎助 齋藤秀一 湘南海援隊 2016 K28.3/20/7
さかなクンの一魚(ギョ)一会 さかなクン 講談社 2016 K28.57/12
ジョージ・カックルの鎌倉ガイド ジョージ・カックル パルコエンタテインメント事業部 2016 K291.4/455
こどもの国50年史 こどもの国協会 2016 K36.18/15/50
「川崎文化会議」50年のあゆみ 川崎文化会議 2016 K36.21/203/50
〔写真集〕里のいごこち 松橋利光 新日本出版社 2016 K46.54/14
動物たちの命の灯を守れ! 夜間動物病院奮闘ドキュメント 細田孝充 緑書房 2016 K64.1/21
川崎貨物駅・神奈川臨海鉄道配線略図 きたまと 配線略図.net 2016 K68.21/61
富士屋ホテル伝統のレシピ 富士屋ホテル 河出書房新社 2016 K68.85/161
鏑木清方と珊々会 鎌倉市鏑木清方記念美術館 2016 K72.4/97/18
1966年の「湘南ポップス」グラフィティ 松生恒夫 彩流社 2016 K77.53/17
明日への疾走 7人制女子ラグビー山口真理恵自伝 山口真理恵 実業之日本社 2016 K78.1/193
寂しさが歌の源だから 穂村弘が聞く馬場あき子の波瀾万丈 馬場あき子 角川文化振興財団 2016 K91.21/47

うちのおたから自慢 『北條武田三増(みませ)合戰對陣之図』※部分
制作者・制作年不明[K292/28A]

 これもまた、当館で所蔵する来歴不明の貴重な資料です。(元図も所蔵していますが、劣化が激しいため今回は複製でご紹介します。)
 絵図自体には何の図かの説明はありません。「東」という文字を右にして置くと、その下部には縦に「永禄十二年己巳十月八日」という日にち、左下には「小田原」城、上部には「ツクイ」城、左上には「甲州道」が書かれています。――と、詳しい方ならこれだけでピンとくるかもしれません。永禄12(1569)年、現在の愛川町三増において北条軍(北条氏照)と武田信玄の間で戦われた三増合戦の布陣の絵図と思われます。北条方から3,000人以上の戦死者を出したといわれるほどの激戦で、付近の志田沢は、死傷者の血が流れて沢となったから「チダサワ」だという伝承も残っているほどです。この敗戦後、北条方が復興と小田原の守りを固めることに専念したため、武田方は念願の駿河攻略に乗り出していくことになります。

三増合戦図1

『北條武田三増合戰對陣之図』部分

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【参考文献】
『三増合戦 四百年を記念して』愛川町教育委員会,1969年[K24.91/2]

100年前の“観光地”  横浜貿易新報社選「新避暑地十二勝」より
【新避暑地十二勝 第9位 長井沿岸】
――「横浜貿易新報」大正3年7月24日(金)7面

 今回の記事は趣向が変わっていて、家族で避暑に来ている少年(三郎君)から友人にあてたはがきという形をとっています。
 今日僕の送つた絵葉書とスケツチにある景色ね、随分宜いだらう?!(中略)ホラ荒崎の怒涛と書てあるだらう?!実際写真よりも宜いよ、真青な水が其処へ来ると岩に打付(ぶつか)つてねパツと雪のやうに白くななるんだ、何時迄見て居ても飽きないや。
 其松山はね、今海軍の御用地なんだとさ、海軍は宜い所許り取つちまふね、其山からの見晴しツてないよ 実に好いぜ。眼の下を見ると直ぐ今の波だらう、何とも言へないや。それにね、潮が引いて了ふとね板のやうな岩と岩が出ちやつて、其間が丸で谷底のやうになるんだつてさ。岩と岩と飛び越て何処迄も行く事も出来るんだツて。中にや釣をする人もあるんだとさ、暢気だね。
 このように、長井の名所旧跡や海のよさを書き送るうちに、房総へ行く予定だった友人も長井に来ることになる、というところで記事はおしまいです。文末に、三郎君の父親からの追伸という形で、交通の便や旅館・食事などの詳細が加えられています。
 長井は、江戸時代は三崎・浦賀と並ぶ繁盛の港といわれたそうですが、汽船の航路からはずれたことや大火によって一時期衰微し、明治43(1910)年からの汽船の寄港と、同時期に始まった馬車の運行により盛り返しました。その後、関東大震災(1923年)や埋立工事によって海岸線は変わり、アジア・太平洋戦争中には海軍の砲台や飛行場などが置かれ、戦後は一部が米軍基地として使用されるなどしましたが、“荒崎の怒涛”は今も同じ迫力です。

「海に名のある景勝の長井町」部分
『長井町々勢要覧 昭和9年版』より(長井町役場,1934 [K35/3.1/8/34])
*図では切れているが左下に「三浦半島一帯ハ要塞地帯デアリマスカラ」、許可なく測量・撮影等は出来ないという注意書きがある。左上には冨士。

荒崎海岸 *2016.9撮影

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【参考文献】 『長井のあゆみ 創立90周年記念誌』横須賀市立長井小学校,1979年 [K37.31/65/90]