かながわ資料ニュースレター第54号(2016年6月発行)

新着資料から

◆『戦国争乱と巨大津波 北条早雲と明応津波』
 金子浩之著 雄山閣 2016年 [K24/512]
    「従来の歴史研究では、飢饉・台風・洪水・大火・大地震等の災害が社会に及ぼす影響を正しくとらえることができておらず、むしろ、災害の存在をほとんど視野に入れないまま政治的変動結果だけが語られてきたきらいがある。歴史の展開をみるうえで、災害が社会に与えた影は正しく評価されるべきである」という問題意識のもと、戦国時代における北条早雲(伊勢宗瑞)の伊豆進攻の経緯と、明応地震とそれに伴う津波による災害との関係を解き明かした本です。
  史料が少なく文献調査では判明しない部分を、発掘調査の結果や民間伝承を活用して立体的に描き出しています。

◆『西洋スポーツ事始め 横浜外国人居留地での誕生から150年の歩み』
 柳下芳史著 2016年 [K78.1/190]
  日本のスポーツの発展を、オリンピックなどの競技大会や各競技団体の沿革を中心にまとめている労作です。第4章は70頁にも及ぶスポーツ史年表(1853~2014年)となっています。「外国人居留地の誕生とスポーツの伝来」と題された第1章が、特に横浜と関わりの深い内容です。
  たとえば、今の日本ではあまり競技されることのない「クリケット」というスポーツは、幕末の開港当初に真っ先にスポーツクラブが創設された競技の一つでした。1876(明治9)年には現在の横浜公園に、イギリスから取り寄せた洋芝を敷きつめた「クリケットグラウンド」が整備され、明治時代を通じて多くのスポーツが行われたそうです。

新着のかながわ資料

新着資料の一部をご紹介します。

タイトル 著者 出版者 出版年 請求記号
いつでも行ける学校図書館づくり 学校図書館ボランティアハンドブック 神奈川県教育委員会 2016 K01/162A
神奈川県遺跡分布地図[DVD-ROM版] 平成28年度 [神奈川県教育局生涯学習部文化遺産課] 2016 K06/75/2016
鎌倉時代政治構造の研究 近藤成一 校倉書房 2016 K24/513
戦国期地域権力と起請文 地域の中世17 月井剛 岩田書院 2016 K24.7/167
不屈の男 Unbroken L.ヒレンブランド KADOKAWA 2016 K26.4/22
「願書・訴書、御触書控、御用留」史料集 第2集 逗子市桜山石渡滋家文書 石渡滋家文書研究同人会 2016 K27.32/13/2
神奈川歴史探訪ルートガイド 横浜歴史研究会 メイツ出版 2016 K291/840
鳩サブローの春夏秋冬鎌倉の歩き方 鳩サブロー 毎日新聞出版 2016 K291.4/452
多摩地域の歴史地誌 古田悦造 之潮 2016 K291.98/209
風土と市民とまちづくり ちいさなマチ逗子のものがたり 長島孝一 鹿島出版会 2016 K31.32/41
県立高校が変わります! 県立高校改革実施計画1期(平成28~31年度)の取組み 神奈川県教育委員会 2016 K37/976-2/1-2
横須賀、基地の街を歩きつづけて 新倉裕史 七つ森書館 2016 K39.31/110
神奈川県地震防災戦略 平成28年3月 県民総ぐるみアクションプラン 神奈川県安全防災局編 神奈川県防災会議 2016 K45/265/2016
神奈川県における関東大震災の慰霊碑・記念碑・遺構 その3 県東部編 武村雅之ほか 名古屋大学減災連携研究センター 2016 K45/281/3
川崎の環境 今・昔 第2巻 大気汚染・自動車対策編 環境研究会かわさき 2016 K51.21/105/2
県立大野山乳牛育成牧場閉場記念誌 大野山乳牛育成牧場48年の軌跡 神奈川県環境農政局農政部畜産課 2016 K64/44
あなたのまちの、いいお店。2015 神奈川県優良小売店舗表彰 神奈川県産業労働局産業部商業流通課ほか 2016 K67/284
神奈川駅尽くし 神奈川県内の停車場・バス駅・宿駅のすべて 渡邊喜治 東京図書出版 2016 K68/563
地形で謎解き!「東海道本線」の秘密 竹内正浩 中央公論新社 2016 K68/564
鉄道史の仁義なき闘い 鉄道会社ガチンコ勝負列伝 所澤秀樹 創元社 2016 K68/565
小田急沿線の近現代史 永江雅和 クロスカルチャー出版 2016 K68/566
記録にみる道と人々の暮らし 横浜IZUMI風土記 有馬純律 有馬純律 2016 K68.19/13
写真集 日本近代化へのまなざし 韮山代官江川家コレクション 江川文庫編 吉川弘文館 2016 K74/105
原節子の真実 石井妙子 新潮社 2016 K77.4/45
白井健三 体操ニッポンの新星 本郷陽二編 汐文社 2016 K78.1/192
コロボックルに出会うまで 自伝小説サットルと『豆の木』 佐藤さとる 偕成社 2016 K91.1/101

うちのおたから自慢 『本牧』&
鐵楼著・発行、〔1924年〕[K291.13/2]

100年前の“観光地”  横浜貿易新報社選「新避暑地十二勝」より
【新避暑地十二勝 第7位 本牧三の谷】
――「横浜貿易新報」大正3年7月22日(水)7面
(いつもの連載2本を、今号は”本牧”でまとめてみました。)

 横浜市中区「本牧」といえば、実業家 原富太郎(三渓)が造った三渓園が有名で、「新避暑地十二勝」の記事にも大きく扱われています。原三渓と三渓園は、本牧の発展には欠かせないのですが、今回はあえて“三渓園ぬきの本牧”を記してみます。
 当館に、『本牧』という図書があります。著者情報は背表紙に「鐵楼」と書いてあるのみ、奥付はありません。緒言に「大正拾参年拾月」とあるのでそのころの発行と推測できます。これは関東大震災の翌年となりますが、本編は「震災前に書いたもの」と断ってあり、大震災前の町の様子や寺社・名所をスケッチした好エッセイです。表紙・挿絵はともに「川村信雄画伯」の手によるものとのこと。川村信雄(1892-1968)は、横浜美術協会創立(1919年)に参加したり弘明寺(横浜市)に画塾を開くなど、横浜を拠点に活躍した洋画家でした。では、この著名な人物に自費出版本の挿絵を描いてもらっている「鐵楼」とは?――大正・昭和期の実業家 小野哲郎です。哲郎の父 光景〈ミツカゲ〉は、横浜正金銀行頭取や横浜商業会議所会頭などを務め、「小野商店」という生糸売込事業を行うなどした明治・大正期の横浜の大実業家の一人で、本牧地区に広大な土地を入手して別邸として使うかたわら、一部を「小野公園」として一般に開放していたそうです。その敷地の一部が現在、本牧市民・臨海公園となっており、記念碑が建っています。公園内の高台からは、当時は本牧海岸一帯が見晴らせたことでしょう、今は横浜臨海部に広がる工場風景を見渡すことができます。
 海水浴ができる格好の避暑地として外国人にも愛された本牧地区ですが、明治44(1911)年に横浜電気鉄道(後の横浜市電)が元町から本牧まで線路を延伸させると、一気に開発が進んでいきました。「新避暑地十二勝」入選は、その鉄道開通からわずか3年後。農漁業を生業とするのどかな土地が、市街地から気楽に行ける行楽地に変わってゆく様子が記事にも描かれています。
   好避暑地たる本牧を記述する序手(ついで)を以て夜の歓楽境たる探涼(?)の巷をザツト紹介し様、本牧原の終点に電車を降ると明るい天地が展べられる路の両側は飲食店が七分通りを締め、まだ木の香の抜けぬ新らしい上り框には紅白粉に派手な浴衣を着澄ました女達が杖を曳く散歩の人を打ち眺めて物欲しげに控へてゐる家もある、三味線太鼓の陽気な空気を狭い通りに迄響かしてブラブラ歩く涼みの人に男女の声の打ち交る頓狂な音波を浴(あび)せ掛ける。
   〈原文表記のまま〉
「まだ木の香の抜けぬ」という表現に、新興の町の雰囲気がよく表れているではありませんか。
 この後、本牧地区はアジア・太平洋戦争終戦後に米軍に土地を接収されて36年間にわたり“日本人立入禁止”地区を抱えることになり、また昭和42(1967)年からの本牧地先海面の埋立工事によって広大な工場団地が出現して、その景色は一変していきました。

左上:『本牧』より「本牧海岸」(川村信雄画)
右上:「本牧海水浴場」参考文献①より
下:本牧市民・臨海公園からの景色 *撮影は2016.5

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【参考文献】
①『本牧三ノ渓』本牧三ノ谷青年会発行、1923 <K291.13/5>
②『神奈川県史 別編1 人物』神奈川県、1983 <K21/16-4/1>
③『横浜中区史』中区制五〇周年記念事業実行委員会、1985 <21.13/7>
④吉良芳恵「横浜新風土記稿(14)本牧の「小野公園」-小野光景別荘-」『横浜開港資料館館報 開港のひろば 復刻版1』横浜開港資料館、1992、p288-290(=第34号p8-10)<K01.13/7/1>