かながわ資料ニュースレター第53号(2016年4月発行)

新着資料から

◆『臼田亜浪の光彩』
 加藤哲也著 東京四季出版 2015年 [K93/158]
    臼田亜浪は、1879(明治12)年に生まれ1951(昭和26)年に没した俳人です。少年期には俳句に親しんでいましたが、苦学の後「横浜貿易新聞」などの新聞社で記者や編集長を務める間は遠ざかっていました。35歳で腎臓病を患い新聞社の仕事を断念せざるを得なくなった時、俳句で立つ決心をして俳誌『石楠』を創刊。主宰として活動し、一時期は3000人を越す門下がありました。
  この本は、現在、評価が適正に行われていないといわれる臼田亜浪について、俳人である著者が論じたものとなっています。

◆『横須賀寫眞 ――エミール・ド・モンゴルフィエ関連資料―― 』
 横須賀市教育委員会 2015年 [K70.31/19/2015-10]
  こちらは昨年(2015)10月3日~12月13日に横須賀美術館で開催された「横須賀製鉄所(造船所)創設150周年記念特別展示」のカタログです。
  エミール・ド・モンゴルフィエ(1842-1896)はフランス人で、横須賀造船所建設等にたずさわった従兄ヴェルニーについて1866(慶応2)年に来日し、1873(明治6)年まで造船所の写真師や事務局長を務めました(1870.6-1871.12一時帰国)。
  ここに収載されている写真は、そのエミールが親族にもたらしたもので、造船所の建物はもちろん、従業員や伝習生といった人物、横須賀各所の風景や、遠くは富岡製糸場の写真まで収められています。
  同時期に横須賀市自然・人物博物館でも、記念展示「すべては製鉄所から始まった」が開催されていました。こちらのカタログも当室にあります([K55.31/57])ので、あわせてご覧ください。

新着のかながわ資料

新着資料の一部をご紹介します。

タイトル 著 者 出版者 出版年 請求記号
横溝コレクション・馬の資料目録 大磯町郷土資料館 2015 K05.61/1/15
日本の神社(93) 大山阿夫利神社・江島神社・平塚八幡宮 他 加藤美香子編 デアゴスティーニ・ジャパン 2015 K17/70
親鸞聖人と箱根権現 今井雅晴 自照社出版 2015 K17.85/43
やけあと闇市野毛の陽だまり 新米警官がみた横浜野毛の人びと 伊奈正司 ハーベスト社 2015 K26.13/21
北条氏康の子供たち 北条氏康生誕五百年記念論文集 黒田基樹、朝倉直美編 宮帯出版社 2015 K28.7/137
社会福祉法人春光学園七十年のあゆみ 春光学園 2015 K36.31/77/70
川崎教育史 第3輯 通史編 川崎市総合教育センター編 川崎市教育委員会 2016 K37.21/6-3/2
横浜米軍機墜落事件 齋藤眞弘編著 横浜米軍機墜落事故平和資料センター 2016 K39.1/42
空間を生きた。 「神奈川県立近代美術館鎌倉」の建築1951-2016 神奈川県立近代美術館、Echelle-1編 Echelle-1 2015 K52.4/25
JAさがみ20周年記念誌 さがみ農業協同組合 2015 K61.5/14/20
柳原良平の仕事 柳原良平 玄光社 2015 K70.1/66
浮世絵にみるモダン横須賀&神奈川 斎藤コレクションから 横須賀製鉄所(造船所)創設150周年記念事業 横須賀美術館 2015 K70.31/19/2015-11
鎌倉からはじまった。 「神奈川県立近代美術館鎌倉」の65年 神奈川県立近代美術館編 Echelle-1 2016 K70.4/71
虹の橋を渡りたい 画家・堀文子九十七歳の挑戦 中田整一 幻戯書房 2016 K72.61/21
鳥海青児絵を耕す 原田光 せりか書房 2015 K72.62/25
日本のジャズは横浜から始まった 瀬川昌久、柴田浩一 ジャズ喫茶ちぐさ・吉田衛記念館 2015 K76.1/127
神奈川県民ホール40周年記念誌 神奈川県民ホール 2015 K76/103/40
神奈川県体育協会七十五年史 神奈川県体育協会 2015 K78/120/75

うちのおたから自慢 『ララ救援物資写真帖』
作成者・作成年不明 [K36/1179]

 「ララ物資」をご存じでしょうか。「ララ」とは「Licensed Agencies for Relief in Asia(アジア救援公認団体)」の頭文字をとった略称です。この団体がアジア・太平洋戦争終戦後の困窮していた日本・朝鮮・沖縄で救援事業を行った際に贈られた、食糧をはじめとする生活必需品が「ララ物資」です。事業は日本では1946(昭和21)年11月から1952(昭和27)年6月まで行われました。その支援には全米の各種宗教団体だけでなく在北米・カナダ・中南米の日系人も関わっており、彼ら日系人による援助が2割を占めていたそうです。
 当館で所蔵している写真帖には、説明書きはいっさいありません。見返しに鉛筆書きでタイトルがあるほかは、白黒写真が50枚貼付されているだけです。アルミの器を持った笑顔の子どもたちの集合写真から始まり、子どもたちが見守る人形劇の写真で終わっています。中には、ララ物資を積んできたらしき大型貨物船、トラックからの荷下ろしを手伝う子どもたち、「山羊の家」と書かれた看板が写っているものなどもあって、文字だけでは伝わりにくい当時の情景もわかる、貴重な写真資料です。 

『ララ救援物資写真帖』より
左上:会議か説明会であろうか
中上:どこかの施設に物資を届けている様子
右上:「神奈川県ララミルクステーション」という看板がかかる建物と、物資を積んだトラック

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【参考文献】
『郷土神奈川』54号,神奈川県立図書館,2016年[K097/3/54]奥須磨子「ララ物資と神奈川県」p1-15,「ララ物資関係資料について」p40-41
「横浜みなと新聞 第9号 ララ物資の到着地」神奈川新聞,2016.4.4,19面

100年前の“観光地”  横浜貿易新報社選「新避暑地十二勝」より
【新避暑地十二勝 第6位 富岡海岸】
――「横浜貿易新報」大正3年7月20日(月)3面、同21日(火)7面

 富岡海岸は、明治の早い時期から外国人たちが避暑や海水浴に訪れ、ついで横浜の日本人商人や東京の政財界人が別荘を置くようになりました。記事にもそのにぎわいが次のように書かれています。
「明治十六年七月には当時の参議山形有朋、伊藤博文、井上馨の諸氏を始めとした田中不二麿、山田彰義、三条実美、大鳥圭介、島津公爵、鷹司侍従長、小松宮殿下、閑院宮妃殿下、渋沢栄一、高島嘉右衛門、下田歌子、其他貴顕紳士が大勢遊びに来たものださうです。(中略)村でも株金を募つて料理店兼旅館として金宝楼といふのを建築しました、(中略)何れも大繁盛(おおはやり)で何時も客が八切(はちき)れさうに詰つてゐました、それでも客の大部分は溢れて百姓家を借りる者が多かつたのです。」〈原文表記のまま、以下同じ〉
 これほど隆盛を極めた富岡海岸でしたが、1887(明治20)年に東海道線が通じると、交通の便の良い大磯や鎌倉に避暑客を取られてしまいました。地元では、人を呼び戻そうと横浜・金沢間の道路を改修し、さらに「今度十二勝の中に当選したのを幸ひ」「海中に突出した眺望のいゝ」富岡八幡宮の社地である八幡山の林を切り開いて遊園地とすべく工事を始めたと、記事にありました。
 現在、1963(昭和38)年からの埋立工事のために海が遠くなり、八幡山は陸に浮かんだ島のようです。八幡宮の社叢林は横浜市の指定天然記念物で、その周辺は「富岡八幡公園」となっています。

「2万5千分の1地形図・本牧」の富岡八幡宮付近(矢印部分)
左:明治39(1906)年測図、昭和14(1939)年改測、昭和20(1945)年部分修正
右:同平成18(2006)年修正

京急富岡駅から見た八幡山(2016.4撮影)

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【参考文献】 『区制施行四十周年 太陽と潮騒と緑の丘 翔べ金沢』金沢区・市政100周年・区制40周年記念事業実行委員会、1989 [K26.17/1]