かながわ資料ニュースレター第51号(2015年12月発行)

新着資料から

◆『神奈川県のことば(日本のことばシリーズ14)』
 平山輝男編集代表・田中ゆかり編 明治書院 2015年 [K81/52]
   この「日本のことばシリーズ」は、1992~4年に刊行された『現代日本語方言大辞典』(明治書院刊、全8巻+補巻)を基礎に、さらに各地域の「生きたことば」をとらえることを目指して作られているものです。
 「Ⅰ総論」で「東京都に隣接する地理・経済・文化的特色などから、伝統方言的要素は消失傾向にあり、(中略)県内方言区画による地域差も縮小しつつある」ということですが、もとは神奈川県内の方言は横浜・川崎、北部、南部(相模川東部、相模川西部、相模湾沿岸部)と分けられるそうです。それほどの違いはないのでは?と思っていましたが、「Ⅳ俚言」の章で、たとえば「嘘」には「ホラ」「ポラ」「ウダ」「ソラ」などの用例があると読むと、県内のことばの多様性を実感しました。
 研究史もまとまっており、神奈川県の方言について知るには最適です。

◆『港北区のまちと新横浜駅開業50周年』
 横浜市港北区役所総務部区政推進課 2015年 [K68.18/16]
 2014年10月1日に、東海道新幹線は開業50周年を迎えました。新幹線開業と同時にできた新横浜駅も開業50周年を迎え、昨年9月に記念シンポジウムが行われました。それをまとめたものがこの資料です。
 「第1部 スライドショー」に掲載されている写真を、町をよく知る新横浜町内会の方の解説とともに見ていくと、「水田しかなかった」といわれた景色に新幹線の高架が通り、駅前広場がアスファルトで整地され、高速道路などが開通して車の通行量が増え、横浜国際総合競技場(現・日産スタジアム)もでき…と、新横浜の町が変化していく様子がたいへんよくわかります。

新着のかながわ資料

新着資料の一部をご紹介します。

          
タイトル 著者 出版者 出版年 請求記号
日本史のなかの横浜(有隣新書) 五味文彦 有隣堂 2015 K21.1/64
大庭御厨に生きる人々(藤沢市史ブックレット6) 伊藤一美 藤沢市文書館 2015 K21.52/31/6
中世の国土高権と天皇・武家 保立道久 校倉書房 2015 K24/508
東国武将たちの戦国史 西股総生 河出書房新社 2015 K24/510
知られざる小田原地方の戦争(小田原ライブラリー23) 井上弘 夢工房 2015 K26.7/28
横浜ヤンキー レスリー・ヘルム 明石書店 2015 K28.13/29
泥亀永島家の歴史 永島加年男 永島加年男遺稿集刊行会 2015 K28.17/22
東京周辺トレイルランニングコースガイド 山と溪谷社 2015 K291/829
鎌倉江ノ島金澤名所之柴折(再版) 堀内立雄 堀内立雄 1890 K291.4/16
路線価図 平成27年分*神奈川県内4分冊 東京国税局 全国官報販売協同組合 2015 K34/37/2015
市民が探る平塚空襲 通史編1 平塚の空襲と戦災を記録する会 平塚市博物館 2015 K36.62/31/3-1
神奈川の怖い話 菊実仔 TOブックス 2015 K38/249
神奈川県立境川遊水地公園の野鳥 神奈川県公園協会 2015 K48.19/1
相模湖〔ダム〕の歴史 強制連行の証言記録 相模湖〔ダム〕の歴史を記録する会 〔不明〕 K51.95/40
株式会社横須賀さいか屋社史 〔横須賀さいか屋〕 〔不明〕 K67.31/7
鶴見臨港鐵道要覧 鶴見臨港鉄道 1931 K68.11/21
大山ケーブルカー50年のあゆみ 〔不明〕 K68.64/15/50
五姓田義松史料集 角田拓朗 中央公論美術出版 2015 K72.1/210
厚木の風景再発見 森義晴 PASSWORDクリエイティブメディア出版 2015 K74.92/13
太陽がくれた歌声 ひばり児童合唱団物語・皆川和子の生涯 皆川おさむ 主婦と生活社 2015 K76/100
躍動の10年(開館10周年記念誌)*CD-ROM付 ミューザ川崎シンフォニーホール 2015 K76.21/33/10
時代小説で旅する東海道五十三次 江戸・日本橋~浜松編 岡村直樹 講談社 2015 K91/117

うちのおたから自慢 『神奈川縣神社寫眞帖』
長谷川信治編 萬朝報横濱支局 1938.7/1938.11/1939年 [K17/1]

 この写真帖は「萬朝報」という新聞を発行していた会社の横浜支局が編集発行したものですが、県知事(半井清)、横浜市長(青木周三)等から序文をもらっています。
 当館では3冊を所蔵していますが、内容・装丁等が少しずつ異なっています。まず最初に刊行された昭和13(1938)年7月版は、横浜・川崎両市内の神社に限っての掲載となっています(社格の高い鶴ヶ岡八幡宮など9社が、例外的に市外ですが巻頭に掲載されています)。定価は「金弐拾圓」で、1神社につき所在地・由緒等の文章1頁と写真1頁の計2頁で構成されています(社殿復興中などで写真が撮れないものは由緒のみ掲載したと断っています)。同年11月版は、奥付に「増補版」とあるとおり7月版に県内他地域の神社(三浦の走水神社や真鶴の貴船神社など)が50社余り追加されています。頁構成・装丁は変わりませんが、定価は「金参拾圓」と10円ほど値上がりしています。
 3冊目の昭和14(1939)年刊のものは、写真と文章を1頁に収めていたり紙質や判型も異なるなど前2冊に比べるとずいぶんコンパクトですが、掲載神社数は一番多くなっています。こちらは国立国会図書館所蔵本の奥付によると、「定価金拾五圓」(当館所蔵本は奥付欠)。当時の20円や30円は大変高額で購入できる人も少なかったと思われるので、普及版を出したというところでしょうか。
 写真によって、今と変わらぬたたずまいの神社、周囲の景色が変化した神社などがわかります。
 なお、国立国会図書館デジタルコレクションでは1938.7版と1939版が公開されていますので、この2点についてはどなたでもインターネット上でご覧になることができます。

写真帖1938.7
写真帖1939
『神奈川縣神社写眞帖』より「縣社 阿夫利神社」の頁 上1938.7版、下1939版(どちらも写真は同じ)

〔参考〕
国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/

100年前の“観光地”  横浜貿易新報社選「新避暑地十二勝」より
【新避暑地十二勝 第3位 平山】
――「横浜貿易新報」大正3年7月16日(木)7面

 平山は、JR御殿場線山北駅が最寄り駅で、今も昔も洒水の滝が有名です。 大正3(1914)年のこの記事には、洒水の滝へは「東海道山北停車場から十五町」(原文表記のまま、以下同じ)と書いてあります。明治22(1889)年に神戸までの全線が開通(山北駅も同年開業)した東海道線が、熱海経由の現在のルートになるのは昭和9(1934)年のことですから、記事の当時は現在の御殿場線が東海道線だったのです。滝を見に行く人のための道案内は、次のように書かれています。
  道は非常にいゝから歩るいた方が面白い、俥を雇つた所が二十銭内外である、駅前から左に折れて鉄路に沿うて四五町行くと踏切がある、踏切を越えて暫時(しばらく)すると樋口(とよぐち)橋がある、橋の少し先から街道を離れて勾配の緩やかな坂を下ると、繰り渡船(わたし)へ出る この渡船場には川の上に竹で編んだ綱が架してあつて、通ひ舟が綱に括り付けてある、船頭さんはこの竹の綱を手繰って舟を進めるのである、(中略)繰り渡船から向ふはもう平山で草葺屋根が漸々(だんだん)多くなつて来る、暫時すると道は杉林の彼方から?々(とうとう)と響いて来る瀧津瀬の音が遊覧客の耳朶を襲ふであらう、一の瀧へはもう一息である。
 洒水の滝へは、山北駅から今でもこの案内のように線路沿いを歩き始めて40分ほどで着きます。(時間に余裕があるなら「美しい日本の歩きたくなるみち500選」にも選ばれた、河村城址公園を経由する2時間弱のルートがおすすめです。)
 その間、記事に書かれた踏切はありませんが、樋口橋はあります。“繰り渡船”なるものはないので、足柄橋という巨大な鉄橋を渡ります。現在の足柄橋は平成11(1999)年に架替工事が完了した新しい橋ですが、初代は木造の吊り橋でした。大正3年12月に運用が開始された山北発電所の水利権等の代替として、大正9(1920)年に電力会社が建設しました。記事に書かれている渡船(屋久野の渡し)は、橋の完成とともに消えてしまったようです。
  さて、今では草葺屋根はほぼない平山の町を抜け、整備された遊歩道の先で目にした洒水の滝は、実に美しい滝でした。春は新緑、秋は紅葉、夏は涼感を誘い、四季折々に楽しめる名所です。

洒水の滝

洒水の滝 *撮影は2015.11

【参考文献】
山北町ホームページ
『山北町史 別編 民俗』山北町,2001 [K21.81/28/3-1]
『山北町史 通史編』山北町,2006 [K21.81/28/2]
『松田土木事務所100年のあゆみ』神奈川県松田土木事務所,1999 [K51.81/21]