かながわ資料ニュースレター第50号(2015年10月発行)

新着資料から

◆『戦犯を救え BC級「横浜裁判」秘録』
 清永聡著 新潮社 2015年 [K32.1/94]
   この本は、アジア・太平洋戦争敗戦後、米第八軍司令部がおかれた横浜地方裁判所で行われたBC級戦犯の裁判(「横浜裁判」)に関わった弁護士の活動を横浜弁護士会(神奈川県内に事務所を持つ弁護士の団体)を中心に書いているものです。
 第一号の弁護人が決まったのは初公判の3日前だったこと、日本政府が弁護活動に関わろうとしなかったために弁護士費用がアメリカから支払われていたこと、足りない分は寄付を募っていたことなど、弁護活動がどれほど苦労しながら行われたかがよくわかります。
 なお、横浜裁判で使用された法廷は桐蔭学園に移築・復元され、現在は一般にも公開されています。
(詳細は桐蔭学園HP http://toin.ac.jp/ma/enter/をご覧ください。)

◆①『京急電鉄各駅停車』
 矢嶋秀一著 洋泉社 2015年 [K68/545]
 ②『THE京急電鉄』
 広岡友紀著 彩流社 2015年 [K68/548]
 ③『京急沿線の不思議と謎』
 岡田直著 実業之日本社 2015年 [K68/549]
 これらの装丁を見て、「あぁやっぱり京急は“赤”だなぁ」と思われる方も少なくないのではないでしょうか。 各電車にはイメージカラーがありますが、京急といえば“赤”。「赤い電車」というタイトルの歌*もありました。
 京浜急行電鉄(京急)は、川崎大師の参詣電車として開業した大師電気鉄道から始まり、今では東京から川崎・横浜を経由して三浦半島までを結ぶ一大交通機関となっています。
 この3冊は、今年の7~8月に立て続けに出版されたものです。①がフリーライター、②が鉄道・航空評論家、③が学芸員と異なる専門家によるもののため、同じ“京急”を扱っていても少しずつ違う内容になっています。

新着のかながわ資料

新着資料の一部をご紹介します。

タイトル 著者 出版者 出版年 請求記号
こんな博物館もあった! 大学生の視点による神奈川県博物館ガイド佐藤茂樹ゼミナール編関東学院大学国際文化学部比較文化学科2015K06/135
昭和残影 父のこと目黒考二角川書店2015K28.21/82
三浦半島さんぽ 散歩の達人mook交通新聞社2015K291.3/93
湘南ふじさわ歴史文化めぐり湘南藤沢文化ネットワーク2015K291.52/69
港南区小字名の由来港南歴史協議会2015K292.14/17/2
証拠は天から地から岡田尚新日本出版社2015K32/90
『舎監』せんせい 集団就職の少女たちと私鈴木政子本の泉社2015K36.21/195
ネット私刑安田浩一扶桑社2015K36.21/196
川崎教育史 第3輯川崎市教育委員会川崎市総合教育センター 2014 K37.21/6/3
資料集 神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科20年の歩み神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科2014K38.1/63/20
鶴見川流域フィールドワーク調査報告横浜市歴史博物館民俗に親しむ会横浜市歴史博物館2015K38.11/15
鎌倉広町緑地保全運動史 鎌倉の自然を守る連合会 2015 K51.4/24
知っていますか?横須賀製鉄所 山本詔一 横須賀市 2015 K55.31/55
ぴあ大船食本 ぴあ 2015 K67.4/30
江ノ電10kmの奇跡 深谷研二 東洋経済新報社 2015 K68.4/55
鍵のない館長の抽斗 酒井忠康 求龍堂 2015 K70.4/70
ブルーダルの日曜日 中川憲造ほか 光画コミュニケーション・プロダクツ 2015 K72.1/208
高校野球神奈川グラフ 2015 神奈川新聞社 2015 K78/38/2015
参謀の甲子園 横浜高校常勝の「虎ノ巻」 小倉清一郎 講談社 2015 K78.17/15
神奈川ゆかりの作家たち 最賀進 春風社 2015 K91/116

うちのおたから自慢 『大山名勝八景』
松岡岩次郎作成、松岡印刷所、1899 [K291.64/36]

 大山は丹沢山地の東端にある山で、県内のどこからでも(もちろん当室からも)その美しい姿を見ることができます。今年、有名なフランスの旅行ガイド『ミシュランガイド』に観光地として紹介されましたが、古く奈良時代から修験道場として発展してきた山です。江戸時代には庶民の間で寺社参詣を兼ねた物見遊山の旅として大山詣が盛んになり、最盛期には年間20万人が訪れたとか。
 明治期に刊行された『大山名勝図誌』では、「倉見(くらみ)坂・二重瀑(だき)・八段ノ瀑・良弁(ろうべん)瀑・新瀑・大瀧」が大山の名所として挙げられています。滝は大山登拝前の禊の場でした。今回ご紹介した『大山名勝八景』は、参詣者の土産用に作られたものでしょうか。倉見坂をのぞいた上記名所に加えて大山神社、不動尊境内、元瀧の計8ヶ所が描かれています。

大山名勝八景雨降山絶頂 大山名勝八景不動尊境内 大山名勝八景元瀧 大山名勝八景良弁瀧
『大山名勝八景』より、左から 雨降山絶頂、不動尊境内、元瀧、良弁瀧

【参考文献】
『大山名勝図誌』安田米斎編,安田義明,1886年[K17.64/16]
伊勢原市ホームページ
『概説「大山の歴史」相州大山まちづくり 増補版』産業能率大学地域マネジメント研究所,2015[K291.64/66]

100年前の“観光地”  横浜貿易新報社選「新避暑地十二勝」より
【新避暑地十二勝 第4位 神澤江岸(かんざわごうがん)】
――「横浜貿易新報」大正3年7月17日(金)7面

 「神澤江岸」と聞いて、それがどこかすぐにわかる人は少ないのではないでしょうか。神奈川県の地名事典を引いてもインターネットで検索しても出てきません。しかし、大正時代には避暑地十二勝に選ばれるほどのところだったのです。ミステリアスではありませんか。
   神澤江岸とは高座郡大沢村の相模川に沿うた一帯の断崖を指すのであります、対岸には緑葉に蔽はれた葉山といふ高台があります
〈原文表記のまま、以下同じ〉
 これで謎が解けました、場所は現在の相模原市緑区大島です(「神沢」は小字名でした)。相模川の中流域で、同じく十二勝の11位に選ばれた「相模田名」の上流にあたります。地図を見ると、神沢不動尊、神沢坂といった名前が見つかりました。『さがみはらの地名』によると、昭和37年頃までは渡し場(神沢の渡し)もあったそうです。紹介記事に添えられた大正3年の写真には、川に浮かぶ手漕ぎ舟を近景に、石の川原、鬱蒼と茂る木々の間に民家が点在する様子が写っています。
   夕靄が河面を閉じ罩(こ)めた時分、平塚や厚木の方から溯(さかのぼ)つて来る真帆(まほ)、片帆が音もなくこの川の面を辷(すべ)つて行く一幅の活画図は近江八景の矢走(やはせ)の帰帆に優(まさ)るとも劣るやうなことは決してないと土地の人は誇つて居ります、
 このような情景が、さて現在は―― 急な神沢坂を下っていくと、右手に「3月の大祭には雑踏を極める」と記事に書かれた神沢不動尊があります。小さなお堂ですが境内には桜の木が多く、花の季節はさぞ、と思われます。そのまま道なりに歩いていくと平坦地に出ますが、そこから川縁までが案外遠いのです。昔は坂のすぐ下が川だったといいますが、川上にダムができて水量が減ったせいなのでしょうか、草の生い茂る丸石の道を10分ほどたどってようやく川面が見えてきます。もう水運の時代ではないので舟影はありません。ひとけのない河原…でも、堤防のないこのような河原が実は、近年では失われつつある「自然度が高い本来の」風景なのだそうです。
 「別荘地には持って来いの土地柄」と書かれた崖上の台地は、今は住宅街となっています。観光地としては発展しませんでしたが、かえって自然の姿を感じられる情景が残りました。

神沢河原

神沢河原 *撮影は2015.10

【参考文献】
『さがみはらの地名』相模原市教育委員会,1990 [K291.54/11/2]
「母なる川再生へ 心落ち着ける風景「自然度高い」神沢河原」神奈川新聞,2015.1.1,13面