かながわ資料ニュースレター第49号(2015年8月発行)

新着資料から

◆『神奈川県における関東大震災の慰霊碑・記念碑・遺構(その2 県西部編)』
 武村雅之、都築充雄、虎谷健司著 名古屋大学減災連携研究センター 2015 年[K45/281/2]
   9 月1 日はご存じのとおり、大正12(1923)年に関東大震災が発生した日です。その甚大な被害や復興に関する記念碑などの石造物や遺構は、文書資料に比べて当時の人々の気持ちを直接的にくみ取ることのできる資料として価値の高いものですが、これまでまとまった調査報告はされていませんでした。本報告は東京都23 区内の調査に続いて昨年度からの3 年計画で進められている神奈川県域(静岡県伊豆地方含む)を対象とした調査の結果で、昨年度刊行された「県中部編」に次ぐ2 冊目です。
 各地域の被害の概要や、個々の碑の場所・写真・碑文・碑に関する情報が盛り込まれ、参考文献も充実しています。

◆『ここが変だよ地方議員』
 小田りえ子著・画 萌書房 2015 年 [K31.21/103]
 著者は現在、川崎市議会議員として活動中の人で、自身のホームページ上でも「4 コマ漫画:ここが変だよ地方議会 1 分でわかる地方議員の実態」を発信しています。この本も、「まずは皆さんに、地方議会の実態を理解して貰う必要があると考えて」作られたものです。
 「それってどこ目線?」「ホントは怖い答弁調整」など、著者がおかしいと感じたことを4 コマ漫画と文章でわかりやすく、見開き2 頁でコンパクトに指摘しています。手軽に読めて笑いながらも、地方議会や議員、国と地方自治体の関係など、地方政治に関心を向けるきっかけを作ってくれそうな内容です。

新着のかながわ資料

新着資料の一部をご紹介します。

タイトル 著 者 出版者 出版年 請求記号
"新しい男女共同参画社会を拓く かながわ女性センター32年の軌跡と提言" 神奈川県立かながわ女性センター2015K36/1174
"ゼロの残照 終焉の日本陸海軍軍用機写真集"J.P.ギャラガーイカロス出版2014K39.5/5
絵図で読み解く天災の日本史磯田道史宝島社2015K45/283
民間活力で生まれた街 東戸塚。 東戸塚=福原政二郎の軌跡新一開発興業2010K51.19/19
横須賀軍港水道 半原系統水道みち 関連遺構分布図横須賀建築探偵団2015K51.31/35
ミシュランガイド横浜・川崎・湘南 2015日本ミシュランタイヤ2015K67/272
氏家浮世絵コレクション氏家浮世絵コレクション2014K72.4/110

うちのおたから自慢 『箱根報國寮繪葉書』
箱根報國寮 作成年不明 [K37.85/80]

 報國寮とは、「森林治水事業ノ奉仕勤労ヲ通シテ心身ヲ鍛錬シ献身奉公質実剛健ナル中堅国民ヲ養成スル」のを目的に、昭和12(1937)年からアジア・太平洋戦争終戦まで、神奈川県が運営していた施設です。このうち箱根報国寮は、県内の中等学校以上の男子学生・生徒を対象として昭和13年7月に開寮しました。場所は「畑宿の集落の西はずれに当たり、畑宿バス停から金指寄せ木工芸館の前を芦ノ湖方面に少しのぼった右手」だったそうで、昭和40年代の箱根町明細地図には、該当箇所にそれらしい“空家”が描かれています(現在は残っていません)。
 報国寮では学校単位またはいくつかの学校合同で1回あたり50名程度が、5~7日間の合宿生活のなかで右の写真のような砂利採集や下草刈り、セメント運搬などかなり体力が必要な作業を行いました。参加には校内選抜があったので、参加できた人は、帰ってから寮の記念バッチを誇らしげにつけたということです。高松宮視察記念に作成された『修養録』に掲載されている入寮生の感想には「忠義とは陛下の為に死ぬことだ」などの訓示を受けて感激したことが記されており、参加した同級生50人中32人が在学中に志願して入隊したという別の談話もあります。荒廃した山林の手入れといういつの時代でも必要な作業でさえ、戦争動員の雰囲気を盛り上げる方向に利用されたのです。

箱根報國寮繪葉書2枚
『絵葉書』より、上: 寮の全景 下:蓑笠をつけて雨中の作業

【参考文献】
『修養録』箱根報国寮,1942年[K37.85/34]
『戦争と民衆』38号,戦時下の小田原地方を記録する会,1997年[ZC1234]
『戦時下の箱根 小田原ライブラリー15』井上弘/矢野慎一著,夢工房,2005年[請求記号:K26.85/21]

100年前の“観光地”  横浜貿易新報社選「新避暑地十二勝」より
【新避暑地十二勝 第2位 半原】
――「横浜貿易新報」大正3年7月15日(水)7面

 愛川村半原(現・愛川町)は幕末期より絹撚糸業で栄えた村で、今でも立派な蔵がある家を見かけます。記事には半原の産業の隆盛が次のように紹介されていて、「緑滴る山々に取囲まれた擂鉢の底のような土地」半原が、“糸の町”として活気に満ちた場所だったことがうかがえます。

蚕業組合が半原と田代とに夫々一ヶ所宛設けられてゐる、繭の乾燥場が二ヶ所、撚糸工場数が村全体で三百五ヶ所からある、八丁台の数は五百十三台、産額は昨年の調査で五万二千八百貫、価格は二百七十七万八千三百七十三円に上つてゐる 織物業の方面では機業戸数が二十八戸、機数が二十九台、産額は絹織物が三百九十反である、而して半原には県下唯一の半原撚糸同業組合なるものがある、銀行及び其他の会社としては半原に小島駒吉氏を代表社員としてゐる合名会社小島商店がある 資本金は二万円で既に払込済みになつてゐる、其他資本一万円の井上貯金合資会社、資本金一千円の合資会社協働貯金組合といふものもある>
〈原文表記のまま〉

 半原を流れる中津川の渓谷には巨石が多く、景観の妙と川水の清涼さは生糸商売に訪れた人々に愛され、明治の頃に外国人が遊覧に来たという「唐人河原」と呼ばれる場所もありました。なかでも一番の名所は“石小屋”と呼ばれる大きな積み石(右写真)。その後もさまざまな名勝選の常連でしたが、昭和50年代に始まった宮ケ瀬ダムの工事によって、風景は一変してしまいました。
 石小屋などがあった中津渓谷は、宮ケ瀬ダムの副ダムである石小屋ダムに沈んでしまったのですが、現在その周辺は県立あいかわ公園として整備され、子ども広場や遊歩道、町の郷土資料館や工芸工房村があり、宮ケ瀬ダムからの豪快な観光放水も見られるスポットとなって家族連れでにぎわっています。またダム下流の中津川の河原では、大勢の人がバーベキューや水遊び、鮎釣りを楽しんでいます。 渓谷の様相は変わりましたが、涼風と豊かな緑は今でも人を惹きつけています。

昔の石古屋
石小屋風景(下記絵葉書より)
石古屋ダム)
石小屋ダム *撮影は2015.7

【参考文献】
『県下の名勝 半原八景(並石小屋附近)』(絵葉書)刊行者・年不明[K291.91/11]
『愛川町郷土誌』愛川町教育委員会・郷土誌編纂委員会編,愛川町,1982[K291.91/8]