かながわ資料室ニュースレター第45号(2014年12月発行)

新着資料から

◆『日本の蚕糸のものがたり 横浜開港後150年波乱万丈の歴史』 
高木賢編著 大成出版社 2014年 [K63.1/42]

  本書は平成26(2014)年、「富岡製糸場と絹産業遺産群」がユネスコの世界文化遺産に登録されたことを記念して出版されたものです。
 蚕糸業は横浜開港によって劇的な発展を遂げます。生糸は輸出品として最も重要視され、居留地には日本人の売込問屋ができました。そして全国から横浜に生糸を買い集めて、外国商館に売る「居留地貿易」が盛んに行われ、原善三郎などの商人が財を成したと伝えられます。横浜港は、関東大震災により一時的に神戸港にその地位を譲った他は、生糸の輸出港としてトップの地位を保ち続けました。明治29(1896)年には横浜に生糸検査所ができ、その後、氷川丸も生糸輸出に使われています。本書執筆に当たっても、財団法人シルクセンター国際貿易観光会館シルク博物館専門員より教示を受けたとあり、蚕糸業と横浜の関わりを概観できる一冊となっています。

◆『横浜中華街 街づくりはたたかいだ』
林兼正著 神奈川新聞社 2014年 [K67.13/53]

  著者は父親が中国・広東省出身で、疎開先の名古屋で生まれ、「萬珍樓」社長を務める傍ら、横浜中華街発展共同組合理事長を19年間務めました。
 横浜中華街は、開港時に通訳として華僑が移り住んだのが始まりで、関東大震災、第二次大戦の壊滅的被害を乗り越えて現在2千人程の華僑たちが住んでいます。戦後になると華僑は中国系と台湾系に分れて対立したので、著者は関帝廟再建などを通して両者の仲立ちをしました。また、マンション建設計画に対して用地の買戻しを行ったり、大型ビジョンの設置に関して街の雰囲気を壊すとして撤去させるなど、環境保全にも力を入れてきました。さらに中華街が犯罪の舞台になるような映画撮影を拒否したり、パチンコや風俗営業を禁止する街づくり協定を制定するなど、街のイメージアップにも努めてきました。本書は、こうした中華街を守るために奮闘する様子を紹介しています。

かながわ資料室の新着資料

かながわ資料室の新着資料の一部をご紹介します。

タイトル 著 者 出版者 出版年 請求記号
一遍と時衆の謎桜井哲夫平凡社2014K18.52/113
鎌倉府と相模武士 下巻湯山学戎光祥出版2014K24/484/2
Guide to Kamakura大野あけみかまくら春秋社出版事業部2014K291.4/428
鎌倉謎解き街歩き原田寛実業之日本社2014K291.4/429
あなたの子どもが「自立」した大人になるために平川理恵世界文化社2014K37.18/100
関東病院情報 2014年版医事日報2014K49/170/2014
東京&横浜の長寿建築 続川本明生深夜叢書社2014K52/117/2
小田急通勤型電車のあゆみ生方良雄JTBパブリッシング2014K68/531
京急電鉄の世界交通新聞社2014K68/532
たいせつなわすれもの森村泰昌平凡社2014K70.1/60
いろいろ、そうそう田中岑求龍堂2014K70.21/24
一段一段ずつ塚田とみ子ブレーン2014K72.1/201
『当たり前』の積み重ねが、本物になる荒井直樹カンゼン2014K78/291
高校野球を変えた男原貢のケンカ野球一代松下茂典マガジンハウス2014K78/293
用具係入来祐作 入来祐作入来祐作講談社2014K78.1/174
横浜グラフィティ菅淳一幻冬舎2014K97.1/239

コラム・かながわ・フォーカス

[神奈川の祭り ~昭和の記録写真から~]

≪貴船神社の船祭≫…足柄下郡真鶴町(貴船神社)
  国指定重要無形民俗文化財

 ◆写真撮影日:昭和39年7月27日 [請求記号:K51]

【解説】
  貴船神社の船祭は、7月27日に神霊(神輿)を船に移して海上を渡御し、御旅所に奉安して祭祀を行ない、28日に神社に戻る神幸祭です。『神奈川県文化財図鑑 無形文化財・民俗資料篇』によれば、寛文12 (1672)年の「相州真鶴村書上げ帳」に、舟に神輿を乗せて湾内を祈祷して廻る、中世を起源とした祭礼 の記述があることから、この祭礼が船祭の原型と考えられる、としています。
 当祭は御座船形式をとります。御座船とは船上に屋形を組み、前後に破風の屋根・毛槍・吹流し・花幣 などを立てたもので、船腹を波と千鳥の幕で覆います。元は石材を江戸へ回漕した船で小早船(こばやぶね)といい、全 長約11m、幅約2mあります。船は2隻あり、東地区が東明丸、西地区が貴宮丸といい、前者は装飾を白、 後者は赤を基調とします。屋形内には歌之助と称する長老が3人いて、「皇帝」「四季の歌」という船唄を 歌います。「皇帝」は江戸時代に新造船の進水時に歌われたものです。舳には舳乗(への)りと称する陣笠・裃姿の 長老が腰掛けており、艫(とも)には船頭・櫂使い・水夫10人位が乗っています。神輿船は別に仕立てます。 小早船と神輿船を曳航する船は櫂伝馬(かいてんま)といい、全長約10m、幅約1.8mあります。両舷と艫に15~17 人の漕手が乗って櫂を握ります。漕手は五色の襷(たすき)をかけますが、往時は縮緬(ちりめん)を用いたことから、櫂伝馬は 花漕(はなこぎ)とも呼ばれました。また、この襷を妊婦が腹巻にするとお産が軽いといわれます。
 陸上では、万灯(まんどう)型で造花の牡丹と蝶を飾った花山車(はなだし)と、竹製で屋根に幕を張り造花を飾って担ぐ「きり ぎりす籠」という山車の代用品が出ます。さらに神社前や御旅所前で鹿島踊りが行われます。

小早船の写真
写真1
早朝、満潮時に小早船が進水する。東明丸を先に貴宮丸が続
く。真鶴町東海岸の仮宮前の海上に、舳を仮宮に向けて並ぶ。
囃子船の写真
写真2
囃子船と櫂伝馬が各小早船の舷側に附く。囃子船
は装飾をほどこした小舟で、笛や太鼓が乗る。
櫂伝馬の写真
写真3
神輿船と小早船が櫂伝馬に曳航されて神社前海辺
まで来ると、2隻の櫂伝馬が競漕する
神輿船の写真
写真4
神輿船には神官、氏子総代、鹿島踊りの踊り手などが乗
り、神社で御霊移しを行った後、神輿が船に移される。

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【参考文献】
『神奈川県文化財図鑑 無形文化財・民俗資料篇』 神奈川県教育庁社会教育部文化財保護課編 神奈川県教育委員会 1973年 [請求記号:K06/29/3]
『貴船神社船祭概要 神奈川県無形文化財』 貴船神社 1981年 [請求記号:K17.85/16]
『神奈川県民俗芸能誌 増補改訂版』 永田衡吉著 錦正社 1987年 [請求記号:K38/15A]

(兼松 記)

コラム・かながわ あの人・この人

剣持 広吉【けんもち ひろきち(※)】 寛政10(1798)年―没年未詳(※)
       ※一説には「劔持 広吉(けんもつ こうきち)」          ※一説には明治3(1870)年

  江戸後期の足柄上郡曾比村(小田原市)の名主。
 広吉は足柄上郡牛島村(開成町)の組頭、草柳善右衛門の子として生まれました。 文政2(1819)年に曾比村の名主、剣持与右衛門の養子となります。幼少より学問 を学び、漢詩を牛島村成徳寺の慧門和尚に、和歌を京都の清水谷右近衛権中納言公 正に、俳諧を天保三大家の阿徳和尚に習ったとされます。『御殿場市史』に嘉永5 (1852)年に刊行された、御殿場の景勝地を選んで詩句俳句を募った「御厨(みくりや)八景集」 が一部掲載されていますが、広吉の和歌が経広の名で紹介されています。
 家が酒造業を営んでおり、広吉は22歳の頃、商用で小田原に行き、その帰路に 当時、製粉業を営んでいた尊徳と道連れになります。後に「ワシは稽古した学者で、 二宮翁は天然の学者だ、ワシは師匠に学んだ学者で、翁は自然の学者だから詰り叶 わなんだ。」と感心して語っています。けれども剛直で負けず嫌いの性格から、 尊徳の指導を受けた義弟の竹松村(南足柄市)名主河野幸内に、尊徳に教えを請う よう度々勧められても断っていました。しかし天保8(1837)年の飢饉で村が疲弊 し、やむなく箱根宮の下の藤屋に滞在中の尊徳を訪ねます。尊徳は入浴中で、広吉が浴室に入って行くと、無視する態度を取りました。広吉は立腹して帰りますが、 その後、報徳役所を担当する代官の鵜沢作右衛門に、塔之澤の福住旅館にいる尊徳を訪ねるよう勧められ、渋々行くと、尊徳は今度は非常に喜んで広吉を出迎えました。そして夜更けまで語り合い、広吉は尊徳の 見識の高さに驚いて、以後、門下に入ります。
 天保10(1839)年より、曾比村の当時の名主である庄左衛門と、後に名主格となる剣持与右衛門の3人で、村の借金6,248両を処 理するため報徳仕法を進めました。農業用水堀(報徳堀)の復旧 などを行い、7年後に借金は735両に激減します。この成功は小 田原藩(足柄上・下郡)、駿河御厨領(静岡県)に報徳仕法が拡大 する一因となりました。天保13(1842)年、尊徳が印旛沼調査に 出発した折には、広吉も参加しています。弘化3(1846)年に藩 が仕法を中止した後も、広吉らは仕法を継続しました。嘉永年間 (1850年頃)に藩は広吉に脇差を免許し、万延元(1860)年に名 主に任じます。しかし翌年に村中81名が広吉の厳格さに不満を持 ち、他村名主に訴えており、晩年は不遇であったともいわれています。

二宮尊徳と剣持広吉
『二宮尊徳と剣持広吉』 留岡幸助編
警醒社書店 1907年
[請求記号: K157/ 328 ]

足柄上郡誌
『足柄上郡誌』 足柄上郡役所編
足柄上郡教育會 1923年
[請求記号:K291.81/2]
第六章第ニ節より「六、劒持廣吉」

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【参考文献】
『報徳に生きた人びと』 八木繁樹編著 総和社 1994年 [請求記号:K157/457]
『南足柄市史 6 通史編1』 南足柄市編・発行 1999年 [請求記号:K21.81/10/6]
『御殿場市史 第4巻』 御殿場市史編さん委員会編 御殿場市役所 1978年 [請求記号:K21.89/8/4]
『小田原の近世文書目録 2』 小田原市立図書館編・発行 1981年 [請求記号:K27.7/11/2]   

 (兼松 記)