かながわ資料室ニュースレター第44号(2014年10月発行)

新着資料から

◆『報徳仕法と近世社会』 
早田旅人著 東京堂出版 2014年 [K157/679]

  本書は、二宮尊徳と報徳仕法について膨大な資料をもとに、これまでにはない真の姿を探求しています。通説とされてきた事柄についても検証を試みています。
 例えば、これまで幕府は、尊徳を治水技術のみで評価して登用したと考えられてきました。しかし著者は、幕府が尊徳の荒村復興事業にも着目して登用していた事実を『二宮尊徳全集』などの資料から明らかにしています。また、従来の研究では、「百姓」=「農民」と捉えられてきましたが、実際の「百姓」の中には、土地開発に従事する人足を意味する「破畑(はばた)」などが含まれており、彼らが仕法の重要な位置を占めていると筆者は随所で述べています。
 さらに、今まであまり本格的な研究がされてこなかった桜町赴任以前の小田原時代の尊徳についても、その生活・活動の実態を考察しています。

◆『再び栄光をめざして 新生関東学院大ラグビー』
内藤幸穂著 産経新聞出版 2014年 [K78.1/172]

  関東学院大学ラグビー部は平成19(2007)年に、横浜市の寮で部員2人が大麻を栽培して逮捕され、部員12人が大麻を吸引して書類送検されるという衝撃的な事件を起こしました。あれから7年が経ち、事件は人々から忘れられていますが、ラグビー部は未だに後遺症に苦しんでいます。それは、平成9(1997)年度から10年連続で大学選手権決勝に進み、6度の優勝に輝くという偉業が余りに大きかったため、その指導体制から抜け出せずにいたからなのです。事件の一因は独善的な指導体制にあり、トラブルの芽は栄光の10年間に生じていたのだが、勝利という実績により表面化しなかった、と著者は述べています。
 本書は、卒寿を迎えた元関東学院理事長・元ラグビー部総監督である著者が、関東学院大学ラグビー部の再生を願い、敢えて膿を出し切るために、苦渋の決断をして筆を取った栄光と挫折の記録です。

かながわ資料室の新着資料

かながわ資料室の新着資料の一部をご紹介します。

タイトル 著 者 出版者 出版年 請求記号
埋葬技法からみた古代死生観柏木善治雄山閣2014K23.54/15
鎌倉研究の未来中世都市研究会山川出版社2014K24.4/278
源頼朝文書の研究 研究編黒川高明吉川弘文館2014K27.4/20/2
源実朝坂井孝一講談社2014K28.4/131
原三溪齋藤清淡交社2014K28.1/592
娼婦たちから見た日本八木澤高明KADOKAWA2014K36/1165
「子育て」という政治猪熊弘子KADOKAWA2014K36.1/438
横浜黄金町パフィー通り阿川大樹徳間書店2014K36.13/31
湘南C-X(クロス)物語菅孝能有隣堂2014K51.52/20
鎌倉シャツ魂のものづくり丸木伊参日本経済新聞出版社2014K67.4/27
JR横浜線・根岸線街と駅の1世紀生田誠彩流社2014K68/529
ヨコハマトリエンナーレ2014公式ハンドブックマガジンハウス2014K70.1/59
運慶と鎌倉仏像瀬谷貴之平凡社2014K71.4/80
箱根彫刻の森美術館へようこそ。枻出版社2014K71.85/17
未来のだるまちゃんへ加古里子文藝春秋2014K72/164
こころの詩(うた)内田正泰日貿出版社2014K72.15/12
中原中也の鎌倉福島泰樹冬花社2014K91.4/101
現代に生きる二宮翁夜話中桐万里子致知出版社2014K157/678

コラム・かながわ・フォーカス

[神奈川の祭り ~昭和の記録写真から~]

≪大山御霊下り(おおやまみたまくだり)≫…伊勢原市(大山阿夫利神社)

 ◆写真撮影日:昭和40年8月27日 [請求記号:K60]

【解説】
  8月27日から29日に行われる秋季例大祭の初日に行われる遷幸祭(せんこうさい)で、「オクダリ」と呼ばれます。大山 の中腹にある下社から麓の社務局に祭神が遷座する儀式で、神仏分離令後の明治初期から続いています。
午前5時半頃、下社の拝殿で御神体を神輿(みこし)に納める御霊遷しの式が行われ、7時半頃に出発します。神 輿を8人の氏子が担ぎ、法破(はっぴ)姿の警固役10人が後ろから2本の綱を引いて舵を取り、神輿が落ちるのを防 ぎます。さらに拍子木や太鼓、神饌(しんせん)台、輿台(こしだい)、床几(しょうぎ)(腰掛け)を運ぶ者が付き添い、30人程の行列になり ます。最初に、最大斜度が30度もある男坂の途中で神輿を安置して休憩します。男坂を下る際は全員喋っ てはいけないといいます。次に追分社に神輿を安置し、警固役が礼拝します。8時半頃、坂本町に到着す ると元滝旅館の庭に設けられた小行在所(あんざいしょ)に神輿を着座し、神饌を供えて祭典を行います。ここで新たに多 くの役が行列に加わります。先頭役の切麻(きりぐさ)は米と麻、五色の切紙を枡に入れて持ち、撒きながら歩きます。 この切紙を拾って財布に入れておくと金持ちになるといわれます。その他に金棒、小旗、鉾、弓矢、楽師 など総勢130名ほどになります。また、翌日に奉納される、明治初期に奈良春日大社の富田家から伝習さ れた倭舞(やまとまい)・巫子舞(みこまい)の舞手たちも行進に加わります。倭舞・巫女舞は県指定無形民俗文化財となっています。
 9時半頃に坂本町を出発した神輿は稲荷町、福永町、別所町、新町に設けられた小行在所に着座し、祭 典が行われます。そして11時半頃に社務局に到着して行在所に神輿を着座し、一同は解散となります。

神輿の写真
写真1
立烏帽子に白丁を着た氏
子たちが、200kgを超え
る神輿を約2km離れた社
務局まで担ぎ下ろす。
倭舞の写真
写真2
倭舞の舞手は地元の男子4
人で、衣装は青褶衣(あお
すりごろも)、巻纓冠(まき
えいかん)、老懸(おいか
け)、石帯(せきたい)、佩
剣(はいけん)で、舞う際
は榊・扇を持つ。
巫子舞の写真
写真3
巫子舞は女子6人で、衣装
は白の単衣錦に千早(ちは
や)・朱の袴で、下げ髪を奉
書で巻き前髪に花かざしを
つける。
行在所の写真
写真4
神輿は行在所に例大祭の期
間中だけ安置され、29日に
行われる「オノボリ」の儀
式で、下社に戻る。

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【参考文献】
『神奈川県の民俗芸能案内』 神奈川県教育庁文化財保護課編 神奈川県教育委員会 1976年 [請求記号:K38/24A]
『伊勢原市史民俗調査報告書 3』 伊勢原市史編集委員会編 伊勢原市 1990年 [請求記号:K38.64/5/3]
『勇壮みこし渡御で開幕 大山阿夫利神社の例大祭 きょう巫女舞など奉納』 神奈川新聞1999年8月28日さがみ版21面
『神輿200キロ「おくだり」伊勢原・大山阿夫利神社大祭』 神奈川新聞2002年8月28日横浜版21面

(兼松 記)

コラム・かながわ あの人・この人

佐々井 信太郎【ささい しんたろう】 明治7(1874)年―昭和46(1971)年

  明治後期・大正・昭和期の二宮尊徳研究家。
 兵庫県氷上(ひかみ)郡葛野(かどの)村(丹波市)に生まれました。明治18(1885)年に廃校が原因で森山小学校を中退して以来、学校教育を受けず、高山寺で素読を習うなど独学で勉強しました。明治27(1894)年に父が人助けによる多額の借金を残したまま急死すると、母も病床につき、佐々井は借金の弁済に努めました。明治28(1895)年には尋常小学校の教員検定試験に合格し、葛野尋常高等小学校に勤務します。明治33(1900)年には上京して井上小正受検講習所に入り、明治35(1902)年に中等教員地理科検定に合格し、翌年に創成期の神奈川県立第二中学校(現県立小田原高校)に赴任しました。初代校長吉田庫三(くらぞう)は二宮尊徳を推奨し、『報徳記』を自ら授業で教え、職員にも研究を促しました。佐々井は初めて『報徳記』に触れ、尊徳と自分の境遇が似ていると感じ、報徳研究に没頭するようになります。大正5(1916)年に『報徳教の根本義』を自費出版し、大正7(1918)年には県教育委員会の委託を受けて県下偉人資料の調査を行い、『新報徳記』を刊行しました。同年、県通俗教育主事に就任し、翌年には県内務部社会課長となります。しかし、教化指導は民間に   おける協同的な理解が大切と考え、大正11(1922)年に東洋大学の教授となり、さらに県を退職して大日本報徳社副社長に就任しました。翌年には小田原系(福住系)報徳社の連合会を結成し、その幹事長を兼任します。大正13(1924)年には報徳社大合同の式が報徳二宮神社にて挙げられ、全国の報徳社は大日本報徳社に統一されますが、佐々井はその立役者となりました。
 その後、昭和3(1928)年に県匡済会常務理事になります。一方、尊徳の遺稿を整理編纂し、昭和2~7(1927~1932)年にかけて『二宮尊徳全集』全36巻を刊行しました。また、静岡県の依頼で昭和6(1931)年に、小笠郡土方村の自力更生運動において報徳仕法を指導します。これを皮切りに全国で仕法の実施・講演を行いました。戦時中は報徳運動を通じて総力戦体制に協力しています。
 敗戦後、昭和22(1947)年に公職を追放されますが、昭和25(1950)年に特免になりました。昭和27(1952)年には一円融合会の理事長に選任されます。そして昭和32(1957)年に神奈川文化賞を受賞し、昭和34(1959)年には国学院大学から文学博士の学位を受けました。昭和40(1965)年には勲三等に叙せられ瑞宝章を賜わります。尊徳に関する著作は40数編に及び、97歳で亡くなるまで報徳 研究の第一人者として活躍しました。

新報徳記の表紙
『新報徳記』 
佐々井信太郎著
中央報徳会 1918年 
[請求記号:K157/400]

二宮尊徳研究の佐々井の文
『二宮尊徳研究』
佐々井信太郎著 岩波書店
1927年 [請求記号:
K157/163] より

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【参考文献】
『神奈川県史 別編1 人物篇』 神奈川県県民部県史編集室編 神奈川県 1983年 [請求記号:K21/16-4/1]
『佐々井信太郎先生の略歴と事績』 一円融合会編・発行 1959年 [請求記号:K157/215]
『佐々井信太郎略伝』 佐々井典比古編 一円融合会 1981年 [請求記号:K157/326]
『近代西相模の報徳運動』 早田旅人著 夢工房 2013年 [請求記号:K157/674]  

 (兼松 記)