かながわ資料室ニュースレター第42号(2014年6月発行)

新着資料から

◆『ホームレスと都市空間 収奪と異化、社会運動、資本-国家』  
林真人著 明石書店 2014年 [K36/1163]

  本書ではまず県内の若年ホームレスを取材し、彼らが繰り返し「収奪」を 受けて、野宿状態に至る原因を考察しています。次に特定地域のホームレスを調査し、 彼らが公共空間内でどのように居住場所を確保しているか、さらに住宅を持つ者との 「異化」(違いが際立つこと)を遂げることで、施設管理者などから排除される様子 をも見ています。次いで横浜・寿地区を主とする日雇労働者による生 存権獲得の闘いの歴史に、多くのページを割いています。
  また著者は、ホームレスに対しマルクスの『資本論』などを用いて経済学 によるアプローチを行い、それらが資本主義の発達により必然的に生まれる 仕組みについて、詳細に論じています。そして今のところ、保護施設への収 容や自立支援などによりホームレス数は減少傾向にあるが、生活保護受給者 の増加など、根本的な問題は内包されたままであることを語っています。

◆『日蓮と鎌倉』   
市川浩史著 吉川弘文館 2014年 [K18.4/347]

  日蓮にとって鎌倉は、生涯の行動の起点となった場所でした。当時の鎌倉は、 鶴岡八幡宮を中心とした顕密(けんみつ)仏教の他、禅宗、浄土宗、律宗の徒がひしめく仏 教の坩堝(るつぼ)でした。そのような地で日蓮は折伏(しゃくぶく)という、法華経の信仰以外の教え を邪義として激しく切り捨てる布教活動を行います。さらに、日蓮は「国主諫暁(こくしゅかんぎょう)」 といって、時の政治権力者に迫って信仰を得させ、その後は権力者から下の人々 に向けて信仰を持たせるという方法論を取り、北条時頼に自らの教え『立正安国論』を提出します。この中で 日蓮は、蒙古襲来を予言したとされ、それを防ぐには法華経を信仰するしかないと訴えています。この様な 行動は他の宗派や政治権力者から反発を買い、度重なる法難や流罪を生む結果となりました。
  本書は、そうした日蓮の波乱の生涯と思想原理を簡潔に記した研究書であり、同時に鎌倉の日蓮ゆかり の地を訪ねるガイドブックにもなっています。

かながわ資料室の新着資料

かながわ資料室の新着資料の一部をご紹介します。

タイトル 著者 出版者 出版年 請求記号
葉山にて柳沢光二用美社2014K21.34/16
鎌倉府と相模武士 上巻湯山学戎光祥出版2014K24/484/1
鎌倉・逗子・葉山の昭和いき出版2014K26.4/19
足利氏満とその時代黒田基樹戎光祥出版2014K28/423/2
命の旅人大倉直現代書館2014K28/434
戦国北条氏五代の盛衰下山治久東京堂出版2014K28.7/129
神奈川の謎学博学こだわり倶楽部河出書房新社2014K29/29
江の島の四季坪倉兌雄湘南社2014K47.52/19
相模湾産八放サンゴ類今原幸光東海大学出版会2014K48/103
かまくら鳥とりどり岡田泰明冬花社2014K48.4/17
相模鉄道街と駅の1世紀生田誠彩流社2014K68/524
京急電車の運転と車両探見佐藤良介JTBパブリッシング2014K68/526
バスグラフィック vol.20ネコ・パブリッシング2014K68.1/311/20
下岡蓮杖日本写真の開拓者東京都写真美術館国書刊行会2014K74.1/96
次の野球横浜DeNAベイスターズポプラ社2014K78.1/170
フットボールサミット 第19回『フットボールサミット』議会カンゼン2014K78.21/51
まいにちがアドベンチャー未来につなぐ外遊びの会神奈川新聞社2014K90.14/3
“軍事遺産”をゆく鈴崎利治イカロス出版2014K291.31/124

コラム・かながわ・フォーカス

[神奈川の祭り ~昭和の記録写真から~]

≪箱根大文字焼き≫…足柄下郡箱根町(明星ヶ岳)

 ◆写真撮影日:昭和40年8月16日 [請求記号:K56]

【解説】
  強羅に向き合う明星ヶ岳(923m)で行われ、現在も続いています。大正10(1921)年に始まったとされ、起源は諸説あります。一説には小田急電鉄の人が、強羅観光のアイデアを青年団長に尋ねた際、宮ノ下御用邸に来られた皇族のために宮城野ソバの主人が向山で松明を燃やしたことがある、と聞き思いついたと伝わっています。また、明治6(1873)年に明治天皇が明星ヶ岳の燈火を天覧した、との記録を起源とする説もあります。さらに大正の初め頃、皇太子(昭和天皇)が宮ノ下御用邸に来られた際、向山に地元の人々が提灯で「奉迎」と描いたり、松明で「弥栄」と描いたことが基盤になったとする考えもあります。開催日の決定は、青年たちが休みだったことや避暑客の到来を見込んだためといわれ、盂蘭盆の送り火の意味が加わったのは関東大震災以後とされます。そして、大文字の中で回向袋が燃やされて供養されます。
  大の字の理由は京都如意ヶ岳の大文字を模したとする説と、箱根が発展して“大箱根”になるよう願いを込めた、とする説があり、一画の長さが108m、二画が162m、三画が81m、太さが7.2mもあります。字の設計者は強羅公園を設計した一色七五郎か、後の宮城野村長である小林敷太郎とされています。
  準備は2ヶ月前から始まり、6月上旬に山で箱根竹(篠竹・女竹)を刈り、拡げて乾燥させます。1週間前に、竹を直径25cmほどに束ねた松明を350本作ります。当日は、松明を立てる杭となる高さ1.5mほどの真竹を1.5m間隔で立てます。そして点火の許可を求める花火を上げ、強羅の本部から了承の花火が上がると、松明に重油をかけ根杭に立てます。そして次の花火の合図で松明に火が付けられていきます。

箱根竹を担ぐ写真
写真1
午後5時過ぎ、箱根竹の束を
青年団の人々が急傾斜地に
並んで手送りで運び、根杭の
そばに寝かせておく。
松明に新聞を詰める写真
写真2
点火用にかける重油
が染み込み易いよう、
ボロ切れと新聞
紙を松明に入れる。
松明に点火する写真
写真3
午後7時半過ぎに点火開始の
花火が上がると、細い点火用
の松明に火を付け、それを持
って次々に点火していく。
大文字を見回る写真
写真4
火の粉が他に燃え移らない
よう、生木の枝を持って火消
しに廻る。また、多くの仕掛
け花火も打ち上げられる。

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【参考文献】
『我が皇室と箱根』足柄下郡初等教育研究会第四部会編 足柄下郡初等教育研究会 1935年[請求記号:K28.85/32]
『はこね昔がたり』 勝俣孝正ほか著 神奈川新聞社 1986年 [請求記号:K38.85/8]
『箱根大文字焼考証・概説』 小林泰一著・発行 1999年 [請求記号:K38.85/23]

(兼松 記)

コラム・かながわ あの人・この人

福住 正兄【ふくずみ まさえ】 文政7(1824)年―明治25(1892)年

  江戸後期~明治期の報徳伝道者・農政家・国学者。
  大住郡片岡村(平塚市)の名主である大沢市左衛門の五男として生まれ、幼名 を政吉と称します。幼少時に森文右衛門に素読を習い、千賀桐蔭に漢学を学んで います。当時は天保の大飢饉で片岡村も危機を迎えており、大沢家は農村復興に 報徳仕法が効果的であると聞き、父と長男、次男が小田原まで尊徳に会いに行っ て門下に入ります。福住は当初、医者になりたいと告げますが、父から国の病を 治す医者になるよう諭され尊徳への入門を勧められます。こうして弘化2(1845) 年に尊徳に入門し、弘化4(1847)年に尊徳が下野国芳賀郡東郷村(栃木県)の 復興に赴いた際に同行します。そして神宮寺という破れ寺で寝起きを共にしつつ 尊徳の教えを丹念に書き留めました。このメモが中心になって『如是我門録(にょぜがもんろく)』と いう稿本ができ、後の有名な『二宮翁夜話』の底本になっています。
 やがて箱根湯本の温泉宿福住家と小田原の豪商辻村家から縁談が来ますが、敢 えて火災で衰えた福住家を選んで嘉永3(1850)年に養子となり、九蔵(くぞう)と改名し ます。復興の手始めに広告用の錦絵を作らせ、配布し ます。そして正しく、安価で、貴賎で客を差別しない 営業に努めます。翌年、名主になると適正営業を守る 規約書に駕籠屋、按摩などまで加盟させ、掛け値をし ないよう励行しました。こうした取り組みで、家業と 湯本村は盛運に向かいました。一方、吉岡信之に和歌を学び、平田篤胤没後の 門人になって国学を研究し、円覚寺の東海に禅を学ぶなど学問に励みました。
 明治元(1868)年の戊辰戦争の際は、旧幕府軍遊撃隊が湯本村に来て、福住 に人足世話役を引き受けさせます。後に新政府軍から詰問されますが、強要さ れたとして罪には問われませんでした。翌年に小田原藩は学校を開き、翌々年、 福住が国学助教授に命じられます。この時、正兄と名を改めます。そして報徳 教会を設立し、明治6(1873)年に教導職に任命され報徳運動の普及を図りま す。また箱根の近代化にも尽力し、小田原・湯本間の道路拡張工事を手掛けました。 明治9~11(1876~1878)年には自らの旅館を木骨石造建築に建て替えており、 福住旅館萬翆楼・金泉楼は現在、国の重要文化財に指定されています。
 晩年は報徳二宮神社創建に力を尽しましたが、完成の前年に亡くなりました。

福住正兄肖像画
「福住正兄翁肖像」
『福住正兄翁傳』
佐々井信太郎編 
報徳文庫 1924年
[請求記号:K157/214]

富国捷徑
『報徳方法富国捷徑 初編』
福住正兄著
報徳學図書館 1874年  
[請求記号:K157/51/1]
報徳教会の原理と方法を
説いたもの。

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【参考文献】
『かながわの100人』 稲葉博編 神奈川合同出版 1981年 [請求記号:K28/116]
『神奈川の百人』 読売新聞社横浜支局編 丸井図書出版 1981年 [請求記号:K28/121]
『二宮尊徳とその弟子たち』 宇津木三郎著 夢工房 2002年 [請求記号:K157/504]
『近代西相模の報徳運動』 早田旅人著 夢工房 2013年 [請求記号:K157/674]      

 (兼松 記)