かながわ資料室ニュースレター第35号(2013年4月発行)

新着資料から

◆『大学生、ボランティアの襷をつなぐ もうひとつの駅伝物語』
西和夫 著 有隣堂発行 2012年 [K62.13/21]

 遠野といえばひなびた民話の故郷という印象でしたが、3.11を境に被災地の後方支援基地へと一変します。本書は、神奈川大学が遠野を拠点に行った「KUボランティア駅伝」の記録です。この“駅伝”とは走る意味ではなく、途切れることなく継続して支援を行っていくという思いが込められています。さらにボランティアを通じた体験型教育の意図も含んでいます
 被災地支援というと瓦礫の撤去などが頭に浮かびますが、これらの作業は危険な場合も多いため、学生たちは主に、支援物資の仕分け・配布や、「三陸文化復興プロジェクト」に参加して全国からの寄贈本を被災地へ送るためのデータ入力やラベル貼りを行ったり、津波で泥にまみれた明治20年代からの貴重な大槌町議会資料の修復を行いました。地味で根気のいる作業を通して、学生たちが被災地支援のあり方を見つめ直す、瑞々しい声に満ちています。

◆『鎌倉の書 書家の眼で見た』
青山碧雲著 木耳社 2012年 [K72.4/104]

  本書は、円覚寺・建長寺・鎌倉大仏・長谷寺など名所史跡を通じて、鎌倉の歴史や逸話を紹介する資料です。けれども神社仏閣や仏像の写真は無く、出て来るのは神額・扁額・寺票・歌碑・山号碑・社号碑・老舗店の看板といった、筆で書かれた文字だけという異色のガイドブックです。しかし鶴岡八幡宮本宮の楼門にある鳩を図案化した「八幡宮」の額など、ユニークなものもあり、書道の知識がなくても親しめる内容となっています。
 普段、鎌倉を訪れても私たちはどうしても建物本体に目が行き、これらの額や石碑は見落としがちですが、筆で書いた文字には各々、書いた人の技量・心情・人間性・地位・環境など様々なものが現れています。鎌倉の歴史を違った観点から見つめ直すことで、新しい発見に繋がる1冊といえるでしょう。

かながわ資料室の新着資料

かながわ資料室の新着資料の一部をご紹介します。

タイトル 著 者 出版者 出版年 請求記号
月潭全龍和尚語録月潭全龍国書刊行会2012K18.7/36
レンズが撮らえたF・ベアトの幕末小沢健志山川出版社2012K21/108
湘南ひらつか浜岳地区の歴史栗原健成(1967-)[栗原健成]2011K21.62/26
敗者の日本史 10関幸彦吉川弘文館2013K24.7/153
関東近世史研究論集 1関東近世史研究会岩田書院2012K25/220/1
北条時宗西本鶏介ミネルヴァ書房2012K28/419
ふりかえってみよう昔の知恵中丸武夫風人社2012K38/238
神奈川県建設名鑑 2013年版日本工業経済新聞社日本工業経済新聞社2013K51/214/2013
食は命!養豚にロマンを志澤勝神奈川新聞社2012K64.57/1
横浜元町・老舗レース店近沢 レース店の世界 宝島社2012K67.13/50
いきものがかりのほんNHK「いきものがかり ドキュメント」制作班イースト・プレス2012K76/94
箱根駅伝歴史シリーズ 第3巻 ベースボール・マガジン社2012K78/271/3
逆境での闘い方三浦大輔(1973~)大和書房2012K78.1/166
軍記物語の窓 第4集関西軍記物語研究会和泉書院2012K97/146/4
はまれぽ.comはまれぽ.com編集部文芸社2013K291.1/267
鎌倉史跡散策 上神谷道倫かまくら春秋社2012K291.4/382/1B

コラム・かながわ・フォーカス

[神奈川の祭り ~昭和の記録写真から~]

≪国府祭(こうのまち)≫…中郡大磯町(国府本郷)
  県指定無形民俗文化財

 写真撮影日:昭和38年6月21日 [請求記号:K21,K39]

【解説】
 国府祭は、六所神社(総社)、寒川神社(一之宮)、川勾神社(二之宮)、比々多神社(三之宮)、前鳥神社(四之宮)、平塚八幡宮による合祭です。明治以前は端午祭と呼んで5月5日に行いましたが、明治に廃絶し、大正に復活した際、新暦に換算して6月21日に行うようになり、昭和40年代に5月5日に戻りました。祭事はまず、旧国府村の北境にある神揃山で行われます。総社を除く五社の神輿が各々の経路で山上まで登り、天幕の仮宮に入ります。神輿の前にチマキが置かれ、三之宮の若者は俵に入ったチマキを参詣者に撒きます(チマキ行事)。正午になると「座問答」が行われ、それが終わると神揃山の南麓にある畑の一角に設けられた「大矢場」に降ります。午後1時に五社から、総社との間を7回往復し8回目に相手方が来る「七度半の催促使」が出されます。途中、見合いの松で総社と一之宮の神輿が「見合いの式」を行います。総社が到着すると「鷺舞」が行われ、五社の神主が守公神(榊)を総社の神霊に供える「対面の式」があり、次いで総社の神主が五社を拝礼する「裁許の式」で終わります。

お神輿の写真
写真1
昔は各社から神揃
山まで神輿を担い
だが、今は国府の
境まで車で来る。
座問答の写真
写真2
座問答:一之宮と二之宮が虎の皮
を敷き、相互に無言で自分の座を
進め、三度続けると三之宮が「い
ずれ明年まで」と言って終わる。
鷺舞の写真
写真3
鷺舞:鷺・竜・獅子
の冠帽の者が舟形舞
台上で、御輿に対し
祓いの所作を行う。
御神霊の写真
写真4
輿に担がれているのが六所神社の御
神霊。高さ90cmの円筒形で、錦布
で包む。昔は鉾であった。古くは一同
が「オーヤだ、オーヤだ」と叫んだ。

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【参考文献】
『神奈川県文化財図鑑 第3巻』 神奈川県教育庁社会教育部文化財保護課編 1973年 [請求記号:K06/29/3]
『神奈川県民俗芸能誌 増補改訂版』 永田衡吉著 錦正社 1987年 [請求記号:K38/15A]
『神奈川の民俗』 相模民俗学会編 有隣堂 1968年 [請求記号:K38/19]
『大磯町史民俗調査報告書 3』 大磯町編 1995年 [請求記号:K38.61/28/3]

(兼松 記)

コラム・かながわ あの人・この人

万巻(満願)【まんがん】 生年不詳―弘仁7(816)年没

 奈良・平安時代前期の遊行僧で、箱根権現(明治初年に箱根神社に改称)の創建者とされます。
 建仁2(1191)年に成立した『筥根山縁起』によると養老年間(717年~ 724年)の生まれで、父親は沙弥(しゃみ:僧に従属する職を指す)智仁といいます。赤子の時から生臭いものや美しい衣服を嫌い、20歳の時に剃髪をして仏門に入ったとあります。また釈迦の伝記である『方広経』を1万巻読破したことから、万巻上人と呼ばれたといわれ、その後、諸国を巡行します。
 承和3(836)年の管符(太政官から諸国などに下した公文書)には、天平勝宝年間(749年~757年)に、修行僧満願が常陸国(茨城県)の鹿島神宮に到来し寺を建て、この地に8年間住んだ、と記録されています。
 天平宝字元(757)年、箱根山に登り、3年の間修業していると、夢に3人の異人が現れたため朝廷にこの霊夢を告げ、勅を受けて社殿を設け祀ったのが箱根三所権現(=箱根権現)とされています。また、芦ノ湖の西の渚で引き波を起こして人民に損害を与えていた9つの頭を持つ毒竜を鎮めようと、万巻が仏に祈願したところ、竜は降伏して宝珠・錫杖・水瓶を捧げて出現したため、大木に鉄の鎖で繋いだ、とも記されています(『筥根山縁起』)。この伝説をもとに、毎年7月31日に三升三合三勺の赤飯を竜に捧げる湖水祭が催されています。
 延暦7(788)年に成立した『多度神宮伽藍縁起紀井資材帳』には、天平宝字7(763)年に伊勢国(三重県)桑名郡の多度神宮に居住、丈六阿弥陀蔵像を造って神坐山の南に小堂を建てて安置し多度大菩薩と称したとあり、これが多度神宮寺に発展しました。
 再び『筥根山縁起』によると、弘仁7(816)年10月24日に嵯峨天皇の勅に応じて上京の途中、三河国楊那郡(愛知県八名郡)にて97歳で没す、とあります。弟子が遺骨を拾い箱根山に葬ったと記されており、箱根神社の裏手には万巻の墓とされる石塔が残っています。なお神社所蔵の木造万巻上人像(重要文化財)は、平安時代初期の翻波様式で、没後間もない時期の作とみられています。

萬巻上人像
『箱根神社大系 下巻』
箱根神社社務所編 1935年
[請求記号:K17.85/1/2]
より「萬巻上人像」
萬巻上人墓
『箱根神社大系 下巻』より「萬巻上人墓」

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 【参考文献】
 『日本古代中世人名辞典』 平野邦雄,瀬野精一郎編 吉川弘文館 2006年 [請求記号:281.03/309]
 『羣書類従 第2輯 訂正3版』 塙保己一編 続群書類従完成会 1970年 [請求記号:K08/17/1-2]
 『神奈川県史 別編1 人物篇』 神奈川県県民部県史編集室編 1983年 [請求記号:K21/16-4/1a]
 『かながわの100人』 稲葉博編 神奈川合同出版 1981年 [請求記号:K28/116]

 (兼松 記)