かながわ資料室ニュースレター第33号(2012年12月発行)

新着資料から

◆『首都圏の地震と神奈川』
神沼克伊著 有隣堂発行 2012年 [K45/270]

 著者は東日本大震災が、防波堤などハードの限界を示したとし、これからは正しい知識など、ソフトとの組み合わせが大切と説きます。それには過去に学ぶことが最善とし、地震の古い記録に科学的な分析を加えた実像を教えてくれます。
 例えば、関東大震災が相模湾を震源とする海溝型地震であることは意外に知られておらず、倒壊家屋数は神奈川県が最大です。茅ヶ崎市の旧馬入川では液状化現象により鎌倉時代の橋脚が現れました。また鎌倉の大仏殿は、1498(明応7)年の東南海地震による津波で流されたとされますが、著者は湾内で他に甚大な被害が見当たらないことから、15mの波高に疑問を呈し、他の原因を想定しています。
 1880(明治13)年に起きた横浜地震は、地震のない欧州の外国人お雇い教師に衝撃を与え、日本人研究者も加わって世界初の地震学会を創設させました。神奈川県の歴史と地震の深い関わりについて考えさせられる1冊です。

◆『動乱の東国史1 平将門と東国武士団』
鈴木哲雄著 吉川弘文館発行 2012年 [K24/475/1]

 本書は平将門の乱に多くの部分を割いていますが、全体としては、平安時代における関東の武士階級の成立過程を詳細に追う内容となっています。
 まず、将門の乱以前に大地震や富士山の噴火が相次ぎ、土地が荒廃した様子が窺えます。将門の乱は婚姻を巡る親戚間の争いが発端ですが、武蔵・相模を含む坂東八か国の虜掠にまで発展したのは、重い租税に対し疲弊した農民が中央に不満を抱いていたことも一因と見られます。そして将門の乱を鎮め褒賞を得た藤原秀郷・平貞盛・源経基の子孫から、奥州藤原氏・北条氏・源頼朝が出て、鎌倉時代へ繋がっていく様が描かれています。続く奥羽の歴史では、後三年の役で三浦氏が活躍しますが、その本拠地、衣笠城について詳細に記述しています。最後に源義朝が大庭御厨(現藤沢市にあった伊勢内宮を本家とする荘園)を鎌倉郡内のものと主張して襲った事件を通し、義朝の東国の地盤固めの模様を述べています。

かながわ資料室の新着資料

かながわ資料室の新着資料の一部をご紹介します。

タイトル 著 者 出版者 出版年 請求記号
鎌倉浄土教成立の基礎研究石田充之百華苑1966K16/37
寛政重修諸家譜 別巻 2八木書店2012K28/343/28
路線価図 平成24年分 鶴見署・横浜中署・保土ヶ谷署・横浜南署・神奈川署 第10分冊東京国税局全国官報販売協同組合2012K34/37/2012-10
関東病院情報 2012年版医事日報2012K49/170/2012
思い立ったら、パン日和 2藤田実子神奈川新聞社2012K67/245/2
東急電鉄のひみつPHP研究所PHP研究2012K68/505
密教美術と歴史文化真鍋俊照法蔵館2011K70/77
武蔵小杉Walker 2012角川マガジンズ2012K291.21/210/2012
丹沢山紀行菅原信夫白山書房2012K291.61/120
住宅地図鎌倉市 201210ゼンリンゼンリン2012K292.4/56/201210
住宅地図横浜市港北区 201210エム・アール・シーゼンリン2012K292.18/2/201210
住宅地図 大磯町 201210ゼンリンゼンリン2012K292.61/6/201210
住宅地図 二宮町 201210ゼンリンゼンリン2012K292.85/10/201210
住宅地図伊勢原市 201209ゼンリンゼンリン2012K292.64/10/201209
住宅地図横浜市緑区 201210エム・アール・シーゼンリン2012K292.182/1/201210
住宅地図横浜市青葉区 201209エム・アール・シーゼンリン2012K292.183/1/201209
住宅地図横浜市栄区 201210エム・アール・シーゼンリン2012K292.194/1/201210

コラム・かながわ・フォーカス

[神奈川の祭り ~昭和の記録写真から~]

≪柿生のだるま市≫…川崎市麻生区(麻生不動院)

 写真撮影日:昭和38年1月28日 [請求記号:K18]

【解説】
 下麻生にある麻生不動は、真言宗豊山派に属しています。応永の頃(1400年頃)、村人が生い茂った トクサの中から不動明王像を発見し堂を建てたとの由来から、木賊(とくさ)不動とも呼ばれます。宝永2(1705) 年に当地別当の安藤織部が再建し、嘉永2(1849)年から近くの王禅寺の所有となっています。また、 火伏せの不動として知られ、保土ヶ谷の講では火事の際、火が麻生不動の札でとまったという話が伝えられています。講は川崎市、横浜市、津久井郡、海老名市、大和市、相模原市、厚木市、町田市に広がっています。昔は1月28日の初不動に穴あき銭を持ち帰って自在鉤につるし、1年間火事やイロリに落ちて火傷することがないと銭を2枚にして返す風習があり、今もお札の中に穴あき銭が入っています。
 初不動のだるま市は、明治37(1904)年に鶴川村(現町田市)能ヶ谷の露天商・池田巳之吉が現在の武蔵村山市に当たる地域から仕入れた、だるまを売ったのが始まりです。大正時代には下麻生の青年がだるまを仕入れて売るようになり、地元の露天商が餅、飴、菓子などを売り、見世物小屋や剣舞も披露されるようになります。昭和6(1931)年には平塚市四之宮の長嶋家のだるまが入ってきて、以後はほとんど平塚の相州だるまが売られるようになりました。新春に開かれるだるま市としては、関東最後となるため「納めのだるま市」とも呼ばれます。

市の賑わいの写真
写真1
だるま市は現在も人気が
高く、2009年には約6
万人の人出で賑わい、約
500の出店が並んだ。
だるまが売られる写真
写真2
だるまが売れると売り子は
火打石を打ち、「家内安全。
ヨヨヨイ、ヨヨヨイ」と
掛け声をしつつ手拍子する。
出店の写真
写真3
昭和になると農
具や植木、工作
機械も売られる
ようになった。
だるまが並ぶ写真
写真4
高さ40cmを超えるものなど大小
様々なだるまが扱われる。堂内で
護摩法要も行われる。写真左の札
に〝護摩供之〟と記されている。

※画像をクリックすると拡大します

【参考文献】
『開運!招福!相州だるま』平塚市博物館編 2010年 [請求記号:K06.62/28/2010]
『掛け声威勢よく 麻生区でだるま市』神奈川新聞 川崎版 2009年1月30日 [請求記号:K07/10-2/2009-1]
『全国寺院名鑑』全日本仏教会共編 寺院名鑑刊行会 1969年 [請求記号:K18/149]
『川崎市史 別篇』川崎市編 1991年 [請求記号:K21.21/5/4]
『川崎の民間信仰』川崎市市民ミュージアム編 2004年 [請求記号:K38.21/51]

(兼松 記)

コラム・かながわ あの人・この人

大久保 忠真【おおくぼ ただざね】 天明元(1781)年―天保8(1837)年没

 江戸後期の小田原藩主。
 小田原藩12代藩主大久保忠顕の嫡子として江戸芝の藩邸に生まれ、秀次郎、 新十郎と称しました。幼少より英明で知られ寛政8(1796)年、16歳で家督を 継ぎます。寛政12(1800)年から幕政に参加し、奏者番・寺社奉行・大坂城代・ 京都所司代を歴任します。京都在任中は光格天皇御譲位・仁孝天皇御践祚(即位 )を取り計らい、仙洞御所の修復や中宮御所の新営を行なって、皇室から信頼を 得ました。文政元(1818)年には老中となり、天保5(1834)年には松平康任と 共に勝手掛となりますが、出石藩(現兵庫県)で起きた仙石家の御家騒動で、 仙石家と関係のあった康任は幕府の内情を漏らしたとして罷免され、忠真が老中 首座となります。
 当時はそれまで権勢を振るっていた老中水野忠成が、金 銀の含有率の低い悪貨を大量に鋳造したため、物価が高騰 していました。そこで忠真は貨幣価値を強めるため、良質 の天保銭を新鋳します。そして財政を切り詰め、浪費を行 っていた将軍家斉に隠居を勧め天保8(1837)年、家慶に 交代させる契機を作りました。さらに米価調整や二毛作も進めています。
 優れた人材の登用も盛んに行い、ロシアにまで名声をうたわれた外国奉行の川路聖謨、勘定奉行として辣腕を振るった矢部定謙、樺太探検の間宮林蔵などを見出しました。なかでも農政家二宮尊徳(金次郎)は有名です。忠真と金次郎との出会い は文政元(1818)年、没落した一家を再興した金次郎を忠真が酒匂川の河原で表彰したことに始まります。忠真は金次郎に苦しい小田原藩の財政の立て直しをさせる考えでしたが、一介の農民が藩政に関わることに重臣が反対したため、分家の旗本 宇津家の知行地である桜町(現栃木県)の復興を命じます。これに成功した尊徳は、諸藩の復興や印旛沼の干拓で活躍しますが、忠真の死後は疎まれ、小田原藩内でも尊徳の仕法は禁止されてしまいます。
 忠真は教育にも力を注ぎ、文政3(1820)年に相模国最大の藩校、集成館を設立します。また松平定信に傾倒して詩文・和歌・書画を嗜み、公淑・楽園・華嶽と号して歌集『春鶯集』、随筆『春の閑話』・『躍魚堂随筆』を著しています。

大久保神社記
『大久保神社記』瀬戸秀兄著
大久保神社 1935年
[請求記号:K17.7/1/a]
大久保忠眞公畫画
「大久保忠眞公畫画」
(『大久保神社記』より)

※画像をクリックすると拡大します

 【参考文献】
 『神奈川県史 別編1 人物篇』神奈川県県民部県史編集室編 1983年 [請求記号:K21/16-4/1a]
 『小田原市史 通史編〔2〕 近世』小田原市編 1999年 [請求記号: K21.7/21/2-2]
 『小田原市史料 上巻』小田原市編 1966年 [請求記号:K27.7/5/1]
 『かながわの100人』稲葉博編 神奈川合同出版 1981年 [請求記号:K28/116]

 (兼松 記)