かながわ資料室ニュースレター第31号(2012年8月発行)

新着資料から

◆『泊・横浜事件七〇年端緒の地からあらためて問う』
金澤敏子・阿部不二子・瀬谷實・向井嘉之著 梧桐書院発行 2012年 [K32/88]

 横浜事件は、治安維持法違反により90名近くが神奈川県特高警察により検挙され、獄死者4名、保釈直後死1名を出した戦時下最大の言論弾圧事件です。その一端である泊事件は、横浜から離れた富山県で起きます。昭和17(1942)年9月、国際政治学者・細川嘉六の論文『世界史の動向と日本』が共産主義として検挙され、その2ヶ月前に細川が地元泊町(現・朝日町)の旅館で親しい編集者や研究者と行った懇親会で撮った記念写真に居合わせた全員が、日本共産党再建を協議したとして翌年検挙されたのです。ただ人の繋がりだけで、特高の描く筋書き通りに容疑が捏造されました。戦後の再審では、幾度も「免訴」 判決が下されましたが、平成22(2010)年に「実質無罪」を勝ち取ります。
 本書は悪法が成立した背景、細川の生い立ちと論文内容の検証、事件の経過、妻たちの苦闘などを通して、横浜事件が過去のものではないと訴えています。

◆『日本バレエの母エリアナ・パヴロバ』
川島京子著 早稲田大学出版部 2012年 [K76.4/21]

 本書は、エリアナ・パヴロバを日本へのバレエの「移植者」と位置付けます。エリアナ以前にも日本にバレエを伝えた人はいますが、なぜエリアナだけがバレエを根付かせることができたのでしょう。著者はエリアナがロシア革命から逃れた亡命者で、バレエにより生きる糧を得る切実さがあったこと、日本独特の分家制度や、技巧より舞台経験を重視する指導法を導入したことを挙げています。
 鎌倉七里ヶ浜のバレエスクールは廃校となり、跡地の記念館も平成8(1996)年に閉館しましたが、エリアナの精神は今も日本バレエ界に息づいています
 エリアナの生涯は謎の部分が多く残されています。初来日の目的、二度目の来日で帰化した理由、危険な戦地への慰問、そして突然の死。特に来日以前の経歴は殆ど知られていません。著者は既存の書籍に頼らず、当時のポスターや写真、手紙、手記など膨大な一次資料の収集によって真実のエリアナ像に迫っています。

かながわ資料室の新着資料

かながわ資料室の新着資料の一部をご紹介します。

タイトル 著者 出版者 出版年 請求記号
幕末・明治期キリスト者群像木越邦子現代企画室2012K19/34
相模武士 第5巻湯山学戎光祥出版2012K21.5/14/5
突撃!よこはま村の100人佐藤将人春風社2012K28.1/578
「教師力」向上の鍵横浜市教育委員会時事通信出版局2011K37/946
食べる.横浜『食べる.横浜』制作委員会戎光祥出版2012K61.1/48
関東直売所&産直スポット(得)こだわり徹底ガイド手塚一弘メイツ出版2011K61/329
神奈川庶民食堂 2 湘南海童社2012K67/240/2
首都圏 美術館・博物館ベストガイドオフィス・クリオ神奈川新聞社2011K70/76
原節子 キネマ旬報社2012K77.4/40
鎌倉 昭文社2011K291.4/419
ブルーマップ 鎌倉市 2012エム・アール・シーゼンリン2012K292.4/56-1/201203
ブルーマップ 小田原市 1 [東部] 2009エム・アール・シー民事法情報センター2009K292.7/4-1/2009-1
ブルーマップ 横浜市港北区 2012エム・アール・シーゼンリン2012K292.18/2-1/2012
ブルーマップ 三浦市 2012エム・アール・シーゼンリン2012K292.33/3-1/2012
ブルーマップ 平塚市1 [東部] 2012エム・アール・シーゼンリン2012K292.62/3-1-1/2012
ブルーマップ 厚木市 1[南部] 2009エム・アール・シー民事法情報センター2009K292.92/13-1/2009-1
ブルーマップ 逗子市 葉山町 2008 エム・アール・シー民事法情報センター2012K292.32/14-1/2008
ブルーマップ 横浜市栄区 2012エム・アール・シーゼンリン2012K292.194/1-1/2012

コラム・かながわ・フォーカス

[神奈川の祭り ~昭和の記録写真から~]

≪鉄(くろがね)神社の獅子舞≫…横浜市青葉区(※)(鉄神社)
  横浜市指定無形民俗文化財

 写真撮影日:昭和38年10月4日 [請求記号:K5]※撮影時は港北区

【解説】
 現在は、隔年の10月第一日曜日の例祭に奉納されますが、昭和30年代は毎年10月4日に、それ以前は 8月15日に行われました。舞手が長男に限られたことなどから不足し、昭和39(1964)年以降断絶しましたが、昭和62(1987)年に復活しました。獅子は黒漆塗りの3頭で、金色の剣形をしたニ本角を持つ雄の剣獅子、黒い捻じれたニ本角を持つ雄の巻獅子(ネジリンボウ)、お羽黒で頭に宝珠を付けた女獅子(玉獅子)です。桃山末期から江戸初期のものと言われます。他に金棒引き2人、法螺貝2人、万灯(花籠)2基、ヒョットコ(蠅追い,ツユハライ)、天狗、笛役数人、唄方2人がいます。また花笠を被った女性が、ギザギザに彫った木の棒を細かく割った竹で擦るササラという楽器を鳴らす、ササラすりが4人います。
 江戸時代慶長の頃(1600年頃)、上鉄村に疫病が流行した際「ながや」という屋号の旧家が、東京都多摩郡福城村是政(一説に埼玉県高麗村)から悪疫退散の祈祷として移入したといいます。昔は「ながや」に獅子等を保管する倉所がありましたが、後に「ながや」は断絶し倉所は宗英寺に移りました。平成元(1989)年、鉄神社に倉所(奉安所)ができましたが、出発点は神社ではなく個人宅前など様々です。
 唄は、「鎌倉の由比ヶ浜の浜千鳥」という歌詞があり、鎌倉時代に伝わったとも考えられています。

獅子舞道中の写真
写真1
獅子舞道中は、昔は倉所から
出発して家々の土間まで入っ
て舞った。現在は、出発点か
ら神社まで一列に行進する。
獅子の後ろ姿の写真
写真2
獅子は、長い鳥羽を
立て、腹に太鼓を付
け、各戸から集めた
神札を背に垂らす。
獅子が踊る写真
写真3
「境内で輪になって踊
る。唄は13番(区
切り方では17番)、
舞は12場まである。
獅子が躍る大きい写真
写真4
高麗狗に似た獅子頭や、高麗踊
りに似た舞から朝鮮風であり、
中国風が多い日本の獅子舞の
中で類の少ないものである。

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【参考文献】
『神奈川県文化財図鑑 第3巻』神奈川県教育庁社会教育部文化財保護課 1973年[請求記号:K06/29/3]
『民俗 第1~80号』相模民俗学会編編 1982年 [請求記号:K38.19/2A]
『神奈川県民俗芸能誌 増補改訂版』永田衡吉著 1987年 [請求記号:K38/15A]
『鉄の獅子舞を訪ねる』石川博司著 2007年 [請求記号:K38.18/19] 

(兼松 記)

コラム・かながわ あの人・この人

関口 藤右衛門【せきぐち とうえもん】 明和元(1764)年―嘉永2(1849)年没

 江戸後期の武蔵国橘樹郡生麦村(横浜市鶴見区)の名主で藤五郎、東吾とも名乗りました。関口家は後北条氏時代に小代官を務めた関口外記の末裔と伝えられ、墓所は鶴見区安養寺にあります。先代の藤助は関口家を創立、『関口日記』を書き始めます。日記は、宝暦12(1762)年から明治34(1901)年まで関口家5代により約140年間、約90冊に渡って引き継がれています。
 二代目藤右衛門から日記の記述が大変詳しくなり、金銭出納のみならず家族の動向や村の事件まで記されています。その結果、当時の生麦村に住む農民や漁民、商人の活動を具体的に知ることができました。また、二女の千恵の結婚や出産、奉公の記述は近世の農村女性を語る希少な資料となっています。藤右衛門は東海道筋ではよく知られた文化人でもあり、享和3(1803)年に発行された『東海道人物誌』には医学や狂歌をたしなみ、梧桐庵または関鳥金と号す、とあります。彼は薬の製造も行い、「白散・黒散」という婦人の懐胎を調節する薬を江戸で販売していました。さらに寺小屋の師匠としても活躍し、近村からの入門が常時二十人ぐらいあり、寺小屋での処世訓を『孝行萌草』という題で天保14(1843)年に発行しています。
 藤右衛門の子の享次郎(享二・東作)は、江戸の儒者である和気柳斎の塾に入門して金水と号し、文政7(1818)年に『金水初稿』と題した漢詩集を出版しています。文久2(1862)年8月、享次郎が亡くなる4ヶ月前に薩摩藩士が英国人を殺傷する生麦事件が起きますが、日記は既に子の東右衛門(梅二・昭房)が引き継いでいます。事件の記述は淡々としていますが、翌年に神奈川で戦争が起きると噂が立ち、騒動になる様が生々しく記されています。

金川砂子
『金川砂子』煙管亭喜荘著1930年[請求記号:
K21.12/3]より「生麦松原-子安一里塚」
*原本は文政7(1824)年の作と記されている。
御上洛錦画
『御上洛錦画鈴ケ森より箱根
まで』[請求記号:K72/16]より
「東海道之内生麦」貞秀画
*文久3(1863)年出版

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 【参考文献】
 『横浜市文化財調査報告書 第8輯の1 関口日記 第1巻』 横浜市文化財研究調査会編 1971年
  [請求記号:K06.1/1/8-1]
 『神奈川県史研究 第21~25号』神奈川県史編集委員会編 1973年 [請求記号:K21/18/21=25]
 『「名主日記」が語る幕末』横浜開港資料館編 1986年 [請求記号:K25.11/7]
 『日記が語る19世紀の横浜』横浜近世史研究会編 1998年 [請求記号:K25.1/60]

 (兼松 記)