かながわ資料室ニュースレター第29号(2012年4月発行)

新着資料から

◆『社史と伝記にみる日本の実業家-人物データと文献目録-』
神奈川県立図書館・神奈川県立川崎図書館編 神奈川県立図書館発行 2012年 [K28/403]

 広大な鶴見・川崎沖を埋め立て、京浜工業地帯の礎を築いた浅野総一郎も、最初の一歩は砂糖水売りからだったなど、実業家たちの苦闘が略歴から偲ばれます。
 本書は、県立図書館及び県立川崎図書館が所蔵する豊富な伝記や社史を元に、当館の司書が分担して編纂、執筆したものです。単なる事象の羅列でなく、様々なエピソードや当県との関係を盛り込んだ、親しみやすい内容となっています。
 一般的に馴染みの薄い企業人の人物像について、普段は資料の収集・保存・提供・調査相談を主な業務とする図書館が、新たに冊子を作成しました。気軽に読んでいただければ幸いです。
 さらに別編として「かながわゆかりの実業家」と題し、安田財閥の創始者・安田善次郎など当県と縁の深い実業家20人を選び、その関わりに触れています。
 是非、ご活用下さい。

◆『オオカミの護符』
小倉美恵子著 新潮社発行 2011年 [K38.21/56]

 昭和50年頃まで、まるで遠野物語のような懐かしい風景が、たまプラーザからほど近い、川崎市宮前区の土橋に残されていたことに驚きます。
 本書は最初、映画が作られて反響を呼び、改めて出版されたものです。実家が農家だった著者は若い時、それを疎ましく感じ、国際的な仕事に就きますが、海外の人々が故郷を誇りに思う気持ちに心打たれ、土橋に戻った際「オイヌさま」のお札が目に止まります。その猛々しい姿に惹かれ青梅の御嶽神社に向かい、正体がニホンオオカミであることを知ります。欧米では家畜を襲う悪者が、日本では畑を荒らす害獣を食べる神として崇められてきました。また、暴れ川である多摩川への畏怖と作物への恵みの感謝が、御嶽講を広めました。著者は更に、奥秩父で多くの古老と出会い、オオカミが山岳信仰の象徴であることに気づきます。
 急激な都市化による歪みで失われた環境が見直される今、注目される一冊です。

かながわ資料室の新着資料

かながわ資料室の新着資料の一部をご紹介します。

タイトル 著 者 出版者 出版年 請求記号
報徳ライフのすすめ榛村純一清文社2011K157/666
横浜市の昭和生出恵哉いき出版2011K26.1/180
神奈川県人物・人材情報リスト 2011 〔1〕 あ-か日外アソシエーツ日外アソシエーツ2010K28/228/2011-1
武門源氏の血脈野口実中央公論新社2012K28/402
御開港横濱之全図でみる御開港横浜めぐり 人文社2008K292.1/174
ブルーマップ 横浜市中区 2011エム・アール・シーゼンリン2011K292.13/3-1/2011
ブルーマップ 川崎市 川崎区 2011 エム・アール・シーゼンリン2011K292.21/1-1-1/2011
ブルーマップ 横須賀市 1 (西部) 2010エム・アール・シー民事法情報センター2010K292.31/42-1/2010-1
ブルーマップ 藤沢市 1 (南部) 2011エム・アール・シーゼンリン2011K292.52/2-1/2011-1
ブルーマップ 茅ヶ崎市 2011エム・アール・シーゼンリン2011K292.53/2-1/2011
ブルーマップ 相模原市中央区 2011エム・アール・シー ゼンリン2011K292.54/5-1/2011
ブルーマップ 町田市 1 (南部) 2011エム・アール・シーゼンリン2011K292.98/3-1/2011-1
松下政経塾憂論江口克彦宝島社2011K31/709
米軍基地と神奈川栗田尚弥有隣堂2011K39/103
神奈川県建設名鑑 2012年版日本工業経済新聞社日本工業経済新聞社2012K51/214/2012
ミシュランガイド東京・横浜・湘南 2012 日本ミシュランタイヤ2011 K67/243/2012
横浜の時を旅する山崎洋子春風社2011K68.1/314

コラム・かながわ・フォーカス

[神奈川の祭り ~昭和の記録写真から~]

≪蛇も蚊も≫…横浜市鶴見区(神明社)
  横浜市指定無形文化財

 写真撮影日:昭和40年6月6日 [請求記号:K53]

【解説】
 生麦の神明社と道念稲荷神社で行う厄病除け行事です。元は旧暦の端午の節句に行いましたが、明治より新暦の6月6日となり、現在は6月の第一日曜に行います。伝承では数百年前、ある若者が妻が死ぬ間際に、今後誰も娶らない約束をしますが再婚してしまいます。しかし池に映った新妻の顔は蛇で大蛇に変わり夫を襲い、家を囲みます。そこで長老に相談し、屋根などに菖蒲と餅草を置くと大蛇は来なくなりました。夫は妻の供養に萱の大蛇を子供たちに担がせ、家の周囲を廻りました。数年後、悪疫が流行した折にも、村人が稲荷大神に伺い、萱の大蛇を作り氏子を巡れと告げられ従ったところ、疫病は収まったのでした。
 昔は各神社で雌と雄を作り、争わせましたが、今は別々に行います。大蛇は長さが10mから20m(一説には一丈:約3m)、胴回りが70cmから1mで、葉菖蒲で舌、神木の枝で角、枇杷の葉で耳、剣型の木で尾を作ります。その掛け声から、雨乞いの儀式に蚊の撲滅が加わったと推察されます。名前は、奈良県のシャカシャカ祭と祭日・蛇形が類似しており、「蛇の口焼き、蚊の口焼き」が訛ったと考えられています。

藁の大蛇を担ぐ写真
写真1
雌雄二匹の大蛇は
お祓いを受けてから
子どもや若者が担ぐ。
囃して練り歩く写真
写真2
「蛇も蚊も出たけ、
日和の雨け、出たけ、
出たけ」「わっしょい、
わっしょい」と囃して
練り歩く。
海に流される大蛇の写真
写真3
撮影時は最後に蛇を海へ
流したが船の航行を
妨げるため禁止され、
今は境内で燃やす。

※画像をクリックすると拡大します(写真1と3)

【参考文献】
『神奈川の民俗』相模民俗学会編 1968年 [請求記号:K38/19]
『神奈川県民俗芸能誌 増補改訂版』永田衡吉著 1987年 [請求記号:K38/15A]
『横浜の民話』横浜市PTA連絡協議会編 1987年 [請求記号:K38.1/49]
『私のまつり暦2』石川博司著 2005年 [請求記号:K38/184/2]

(兼松 記)

コラム・かながわ あの人・この人

小泉 次太夫【こいずみ じだゆう】 天文8年(1539)―元和9年(1623)没

 江戸時代前期の代官で、名を吉次といいます。
 今川義元の家臣、植松右近助泰清の長男で駿河富士郡小泉郷に生まれました。植松家は代々土木技術に通じていました。今川氏没落後、天正10年(1582)に武田氏攻略の際、活躍し徳川氏に取り立てられます。天正18年(1590)に関東へ入国し、武蔵橘樹小杉村(川崎市中原区)で、家康の命により出身地から小泉と改姓し、知行地740石余を給されます。さらに多摩川流域の巡視を命ぜられ、水田開発と飲料用に人工用水の開削を進言し、慶長2年(1597)に着手します。当時の多摩川は天正17年(1589)と翌年の大洪水で、流路が多摩丘陵の裾辺りから現在に近い位置に大きく変化しており、吉次はこれらの旧河川敷を巧みに利用し工事を行いました。
 稲毛領小杉村(中原区陣屋町)に陣屋を設けて工事を指揮し、慶長6年(1601)には稲毛・川崎代官に任命されます
 取水口は神奈川県側では、中野島村と宿河原村にあり、竣工時は中野島村のみで後に追加したとされてき ましたが、久地村の分量樋近くから自然流入させてい たという説もあります。
 この用水は、川崎・稲毛・世田谷・六郷と四つの領を貫流することから四ヶ領用水と呼ばれ、後に吉次の功を讃えて、世田谷では「次太夫掘」とも呼ばれました。また、東京側を六郷用水、神奈川県側(川崎・稲毛)をニヶ領用水ともいいます。
 慶長16年(1611)に工事が完了し、二ヶ領用水は約32kmに及び二つの領のほぼ全域に水田ができるようになりました。
翌年、砂子(川崎区)に隠居し、川崎宿ができた元和9年(1623)に85歳で亡くなります。墓所は、砂子から現在の宮前町に移った妙遠寺にあります。

現在の二ヶ領用水の写真
現在の二ヶ領用水
(2012年4月撮影)
稲毛・川崎ニヶ領用水路全図
『稲毛川崎二ケ領用水事績』山田蔵太郎著
1930年[請求記号:K61.21/5]より
稲毛・川崎ニヶ領用水路全図

※画像をクリックすると拡大します

 【参考文献】
 『やさしい川崎の歴史』小塚光治編 1970年 [請求記号:K21.21/7/b]
 『神奈川県史 通史編2 近世(1)』神奈川県県民部県史編集室編 1981年 [請求記号:K21/16-3/2]
 『神奈川県史 別編1 人物篇』 神奈川県県民部県史編集室編 1983年 [請求記号:K21/16-4/1]
 『川崎市史 通史編2』川崎市編 1994年 [請求記号:K21.21/5/1-2]

 (兼松 記)