かながわ資料室ニュースレター第28号(2011年2月発行)

新着資料から

◆『鎌倉観光文化検定公式テキストブック』新版
 かまくら春秋社編 鎌倉商工会議所監修 かまくら春秋社発行 2011年 [K291.4/386B]

 政府は「武家の古都・鎌倉」と「富士山」の推薦書をユネスコ世界遺産センターへ提出しました。今後、ユネスコ諮問機関の国際記念物遺跡会議(イコモス)による現地調査を経て、来年6月頃に開催されるユネスコ世界遺産委員会で登録の可否が審査される予定です。
 本書は、鎌倉商工会議所が主催する「鎌倉観光文化検定」の改訂版公式テキストブック(平成21年刊行)を再改訂したものです。
 本の構成は、鎌倉の歴史・旧跡、自然・景観、寺院・神社、芸術・文化、産業・生活、行事となっています。巻末に資料として、鎌倉にゆかりの深い100人を紹介した鎌倉人物小事典、鎌倉略年表、源氏・北条氏等の系図など鎌倉に関する基礎的な知識や情報を収載しています。単なる検定試験の対策だけでなく、鎌倉の全体像を知るうえでも活用できます。鎌倉通になりたい人へ最適な一冊です。

◆『八王子市史研究』創刊号
 八王子市史編集委員会/編 八王子市発行 2011年 [K21.98/128]

 八王子市は、大正6年の市制施行以来、まもなく100年を迎えます。その記念事業として新たな市史の編さんが進められています。市史の刊行計画は、資料編6巻、本編8巻が平成23年度から順次刊行される予定です。
 本書は、市史編さん事業の一環として、新たな調査の過程で得られた成果の一部を先に紹介しています。また、八王子市内の地域史研究団体や個人からの論文・調査報告を紹介することにより、市史編さん事業に対する理解と協力を得ることを目的として一年に一回刊行される予定です。
 ※かながわ資料室では現在の県域だけではなく、歴史上、産業・交通上、神奈川県と密接な関係をもつ隣接地域や、古代から近世の相模国と武蔵国南部など、歴史的な経緯をふまえて資料を収集しています。

かながわ資料室の新着資料

かながわ資料室の新着資料の一部をご紹介します。

タイトル 著 者 出版者 出版年 請求記号
鎌倉遺文研究 第28号鎌倉遺文研究会吉川弘文館2011K27/75/28
海軍主計中将久野工山口立久野登久子1990K28.31/117
地図中心 2011年12月号(通巻471号)日本地図センター日本地図センター2011K291.13/49
横須賀歴史読本 新人物往来社2011K291.31/122
相模・武蔵の大山信仰関東民具研究会岩田書院2011K38/234
地産地消のエネルギー革命黒岩祐治PHP研究所2011K50/116
里山創生佐土原聡創森社2011K51/491
鎌倉の西洋館柴田泉平凡社2011K52.4/23
幕末の農民日記にみる世相と暮らし辻井善彌丸善プラネット2011K61.31/17
歴史でめぐる鉄道全路線 路線別地図帳 no.1 朝日新聞出版2011K68/498
大日本明治の美横浜焼、東京焼田邊哲人叢文社2011K75.1/36
箱根駅伝激闘の記憶 ベースボール・マガジン社2011K78/170/2011
サポーターが選んだ横浜F・マリノス名勝負BEST10 コスミック出版2011K78.1/164
鎌倉小町百六番地磯見辰典かまくら春秋社2011K98.4/93
ぼくが前を向いて歩く理由中村成信中央法規出版2011K98.53/41

コラム・かながわ・フォーカス

[神奈川の祭り ~昭和の記録写真から~]

≪歩(ぶ)射(しゃ)神事(的祭り)≫…大磯町(白岩神社)
  大磯町指定無形文化財

 写真撮影日:昭和37年3月7日 [請求記号:K15/1]

【解説】
 中郡大磯町の白岩神社は、西小磯地区の氏神です。『新編相模風土記稿』に、「十二所権現、古くは白岩権現と号し、例祭正月七日、流鏑馬式あり」と記述があります。例祭日は最初1月7日でしたが、後に3月7日となり、現在では例祭日に近い日曜日に行われています。
 この祭りは、11人の社人(しゃじん)と称される役員によって行われます。社人は西小磯東と西小磯西に分かれ、各々2人の頭屋(※)を定め、一年ごとに交代して行います。
 馬上から弓で的を射る流鏑馬(やぶさめ)は吉凶を占いますが、白岩神社の歩射は、徒歩立(かちだ)ちして弓で的を射る神事です。的から二間(約3.6m)ほど離れたところから、2人の弓持ちが、各々一本の矢を的に放ちます。他の一本は恵方に向かって放ちます。この矢を取ると悪事災難、厄病除けになる縁起物とされています。占いの要素はなく、祭礼の儀式として執り行なわれています。 (※)祭礼や講で行事を主宰する人または家のこと。

神官、巫女、社人一同の写真
写真1
神官、巫女、社人一同は頭屋
に集り、準備した御供・弓矢
などを長持ちに入れ、行列を
組んで神社へ向かう。
社人たちの写真
写真2
社人たちは社殿を3回まわ
る。息が神聖な祭具にかか
らないように三角形に折っ
た口紙をくわえる。
的場の写真
写真3
的場へ進むと、的の周りも3
回まわる。弓持ちが一番矢を
的へ放つ。あとの一本は恵方
に放つ。(招福攘災の行事)
儀式の写真
写真4
儀式が終わると、的の一部
や弓矢を持ってかえると
縁起がよいとされている。

※画像をクリックすると拡大します(写真1,3,4)

【参考文献】
『大磯町史8 別編 民俗』大磯町編 2003年 [請求記号:K21.64/24/8]
『大磯町史研究』創刊号 大磯町総務部企画課町史編さん室編 1992年 [請求記号:K21.61/13/1]
『かながわの祭と芸能』永田衡吉著 1977年 [請求記号:K38/52]
『神奈川県文化財図鑑第3巻 無形文化財・民俗資料篇』神奈川県教育庁社会教育部文化財保護課編 1973年 [請求記号:K06/29/3]

(内田 記)

コラム・かながわ あの人・この人

円城寺 嵐窓【えんじょうじ らんそう】 安永6年(1777)―天保9年(1838)没

 江戸時代中期から後期の俳人。
 嵐窓は小田原に生まれ、小田原藩士 円城寺直清(俳号 竹友)の子で、通称を喜左エ門、諱は直徳(なおのり)と言い、小田原城主大久保忠顕、忠真の二代に仕えた藩士でした。
 俳諧は、初め伊豆田方郡の人 釈官鼠(かんそ)に学び、次いで江戸の沙羅に就き、終りに大阪の駝岳(だがく)に師事しました。彼は藩公忠真の兵法教授に当り、また永く代官の役務をつとめたので、各地に赴任することがあり、多くの師につく機会があったようです。
 乙菟斎、空斎、老婆居士、六花苑三世など多くの号を称しましたが、六花苑は蓼太(※)の門人松木乙児が興したもので、釈官鼠を経て嵐窓が第三世を継ぎました。
 嵐窓は生涯小田原俳壇を離れず、衰退していた雪門系の再興に尽くし、流派拡大に努めました。天保9年(1838)、62歳で没し、小田原山角町の伝肇寺に葬られました。嵐窓の墓石は本堂前の墓地にありますが、「空斎先生之墓」とあり、門人達が建てたものです。藩主に仕えた儒学者である松隈其徳(きとく)の撰した長文の墓誌銘には、嵐窓の名声の高かったことが刻まれています。
 嵐窓の著書には、『余綾集』『相模風流』『蛍雪集』などがあります。
(※)蓼太…<第27号 岩波午心の項 参照> 

 【参考文献】
 『小田原市史 通史編 近世2』小田原市編 1999年 [請求記号:K21.7/21/2-2]
 『神奈川史談』第12号 近世小田原の俳諧文学 神奈川県立図書館編 1970年 [請求記号:K 097/2/12]
 『おだわらの歴史』小田原市立図書館編 2007年 [請求記号:K21.7/21-2]]
 『俳諧人名辞典』高木蒼語著 1960年 [請求記号:K93/116]

(内田 記)