かながわ資料室ニュースレター第27号(2011年12月発行)
新着資料から
◆『武家の古都・鎌倉の文化財』
五味文彦監修 角川学芸出版発行 2011年 [K70.4/59]
今年9月、政府は世界遺産条約関係省庁連絡会議を開き、「武家の古都・鎌倉」と「富士山」をユネスコの世界文化遺産として推薦することを決めました。
鎌倉は武家によって創られた最初の政権都市です。源頼朝によって武家政権が開かれると将軍を中心とした独自の政治機構と法を整え、武家政権の基礎を築きました。そして、武家が創りあげた精神や文化は現代にまで伝えられ、日本人の価値観や行動様式の発展に重要な役割を果たしてきました。
本書は、鎌倉の世界遺産登録を視野に入れて編んだものです。京都の公家文化に対する鎌倉の武家文化という視点で検証し、鎌倉に点在する24の遺跡や建造物など文化財を紹介しています。
「武家の古都・鎌倉」が世界遺産に登録されるかどうかは2013年夏に決まる見通しです。
◆『ワーグマンが見た海』―洋の東西を結んだ画家―
神奈川県立歴史博物館編 神奈川県立歴史博物館発行 2011年 [K06/57/2011-6]
本書は、平成23年6月11日~7月31日まで、神奈川県立歴史博物館で開催された「チャールズ・ワーグマン来日150周年記念 ワーグマンが見た海―洋の東西を結んだ画家―」の図録です。
チャールズ・ワーグマンは、1832年にロンドンに生まれ、1857年にイラストレイテッド・ロンドン・ニューズ社の特派員(報道画家)になります。
彼は、イギリスと中国(当時は清)との間でおこった第二次アヘン戦争を取材するために中国へ行きます。そして1861年に来日し、幕末明治の風景・風俗・事件など、さまざまな様子を描きます。また、日本で最初の漫画雑誌『ジャパン・パンチ』も創刊しました。
本書に紹介された作品や関係資料からは、彼が東洋と西洋を繋ぐ重要な役割を果たす存在だったことが感じられます。
かながわ資料室の新着資料
かながわ資料室の新着資料の一部をご紹介します。
| タイトル | 著 者 | 出版者 | 出版年 | 請求記号 |
|---|---|---|---|---|
| 国をたがやした金次郎 | 漆原智良 | 同友館 | 2011 | K157/663/2 |
| 大災害・国難に立ち向かう!二宮尊徳のこころ | 梅津敏裕 | 日本地域社会研究所 | 2011 | K157/665 |
| 新編鎌倉事典 | 涌田佑 | 文芸社 | 2011 | K20.4/18 |
| 鎌倉・横浜・湘南今昔歩く地図帖 | 井口悦男 | 学研パブリッシング | 2011 | K21/105 |
| 相模武士 第4巻 | 湯山学 | 戎光祥出版 | 2011 | K21.5/14/4 |
| 仏教芸術 164号 | 仏教芸術学会 | 毎日新聞社 | 1986 | K24.4/79a |
| 論集戦国大名と国衆 5 | 岩田書院 | 2011 | K28/392/5 | |
| 武蔵松山城主上田氏 | 梅沢太久夫 | まつやま書房 | 2011 | K28/400 |
| 開国と英和辞書 | 堀孝彦 | 港の人 | 2011 | K28/401 |
| 全神奈川便利情報地図 | 昭文社 | 2011 | K291/749/2011 | |
| 川崎市Walker 2011-2012年版 | 角川マガジンズ | 2011 | K291.21/146/2011 | |
| 湘南・三浦半島 | 樋口一郎 | 東京新聞 | 2011 | K291.3/83 |
| ふるさとの歴史散歩 | 茅ケ崎郷土会 | 茅ケ崎郷土会 | 1983 | K291.53/9a |
| 横浜・川崎 | 昭文社 | 2011 | K292/217/2011 | |
| 横浜事件・再審裁判とは何だったのか | 大川隆司 | 高文研 | 2011 | K32.1/90 |
| 全記録:横浜事件・再審裁判 | 横浜事件・再審裁判=記録/資料刊行会 | 高文研 | 2011 | K32.1/91 |
| ドキュメント横浜事件 | 横浜事件・再審裁判=記録/資料刊行会 | 高文研 | 2011 | K32.1/92 |
| ひとりぼっちのあなたへ | 横浜市旭区ブックレット編集委員会 | やどかり出版 | 2011 | K36.15/29 |
| 岡本太郎と日本(にっぽん)の祭り | 川崎市岡本太郎美術館 | 二玄社 | 2011 | K38.21/55 |
| 三浦市民俗シリーズ 15 | 三浦市教育委員会 | 三浦市教育委員会 | 2011 | K38.33/10/15 |
| 関東病院情報 2011年版 | 医事日報 | 2011 | K49/170/2011 | |
| まるごと神奈川!グルメガイド | ジェイアクト | メイツ出版 | 2011 | K67/254 |
| 厚木のサムライたち | 厚木シロコロ・ホルモン探検隊 | 同友館 | 2011 | K67.92/13 |
| 鉄道湘南スタイル | 石塚純一 | 枻(エイ)出版社 | 2011 | K68/497 |
| 箱根の山に挑んだ鉄路 | 青田孝 | 交通新聞社 | 2011 | K68.85/153 |
| 風景スタンプぷらぷら横浜 | 古沢保 | 日本郵趣出版 | 2011 | K69.1/47 |
| ミラクル絵巻で楽しむ小栗判官と照手姫 | 岩佐又兵衛 | 東京美術 | 2011 | K72.52/25 |
| 町に音楽を | 岡敬三 | 東京図書出版 | 2011 | K76.18/11 |
| 高校野球神奈川グラフ 2011 | 神奈川新聞社 | 神奈川新聞社 | 2011 | K78 38/2011 |
| 手術は、しません | 団鬼六 | 新潮社 | 2011 | K99/76 |
コラム・かながわ・フォーカス
[神奈川の祭り ~昭和の記録写真から~]
≪世附(よづく)の百万遍(ひゃくまんべん)念仏(ねんぶつ)≫…山北町(能安寺)
神奈川県指定無形民俗文化財
写真撮影日:昭和39年2月17日 [請求記号:K47]
【解説】
山北町世附に伝わる百万遍念仏は、毎年2月15日から17日までの3日間(もとは4日間)まで山北町世附の能安寺で行われていました。三保ダム建設前の世附は、西丹沢の幽境にある世附川沿いの集落で、戸数は125戸でした。昭和49年のダム工事で世附地域が水没し、百万遍念仏は一時中断しましたが、3年後の昭和52年に山北町向原能安寺道場で復活しました。以後、毎年15日に近い土、日曜日の2日間で行われています。
百万遍念仏とは、阿弥陀の名号を一百万遍唱えることによって、村中安全、疾病退散、安心決定(けつじょう)、安心立命を得るもので、600年前の南北朝時代の発祥と伝えられています
百万遍念仏は大数珠を巨大な数珠車に取り付け、数珠を吊り降ろした格好で、回し投げるという全国的にも珍しい行法です。

写真3
大数珠を回転させ、波がし
らのように曲線を描いて
床の上に打ち付けます。

写真4
数珠の回転を計算すると
同時に、平音・中音・高音という
三音階の念仏声が発せられます。
※画像をクリックすると拡大します(写真1と2)
【参考文献】
『神奈川県史 各論編5 民俗』神奈川県企画調査部県史編集室編 1977年 [請求記号:K21/16-2/5]
『かながわの祭と芸能』永田衡吉著 1977年 [請求記号:K38/52]
『神奈川県文化財調査報告 第24集』神奈川県教育委員会編 1958年 [請求記号:K06/1/24]
コラム・かながわ あの人・この人
岩波 午心【いわなみ ごしん】 生誕年不詳~文化14年(1817)
江戸時代中期から後期の俳人。
午心は小田原に生れ、雪中庵三世大島蓼太(りょうた)に俳諧を学びました。蓼太の没後は、雪中庵四世完来(かんらい)に師事します。号は山花人と称しましたが、後に午心と改めました。
午心は小田原で名を成してから江戸に移り、中央俳壇で活躍し、江戸の俳壇で名をあげます。あの名高い嵐雪柳のある江戸浜町河岸に住み、柳下とも号しました。午心はまた庵号を葎雪庵(りっせつあん)と称しました。
三千人余という門人を擁したという蓼太の高弟の一人であり、名声を高めたにもかかわらず、俳諧一筋に徹して清貧に甘んじた生涯を送りました。
午心の著書としては寛政元年の『探荷集』六編と、寛政10年の『葎雪庵歳旦帖』、文化2年著の『芳春帖』などがあります。没後に刊行された午心関係の俳書は、『玉田集』『錦袋集』『玉田集後編』があります。『玉田集』は高弟北元が午心三回忌記念に遺稿を整理し、その句四百を四季別に分類したもので、『錦袋集』は諸家の追悼句を集めたものです。この二冊は合本として文政2年(1819)に刊行されました。
これらの俳書を見ると午心の句作の多いこと、門人の多かったことなどが窺われます。当館でも午心の作品は10点以上所蔵しています。
小田原の俳人の中には他にも江戸に出た人がいましたが、中央俳壇で大家となったのは午心のみであり、その意味で午心の出現は小田原俳諧史に特筆すべきことだといえます。
【参考文献】
『小田原市史 通史編 近世2』 小田原市編 1999年 [請求記号:K21.7/21/2-2]
『神奈川史談』第12号 ―近世小田原の俳諧文学― 神奈川県立図書館編 1970年 [請求記号:K097/2/12]
『おだわらの歴史』小田原市立図書館編 2007年 [請求記号:K21.7/21-2]



