かながわ資料室ニュースレター第26号(2011年10月発行)

新着資料から

◆『絵葉書で見る鎌倉百景』
鎌倉市図書館開館100周年記念事業実行委員会編 鎌倉市教育委員会発行 2011年 [K291.4/413]

 本書は、鎌倉市図書館開館100周年を記念して作成されました。90~100年前の絵葉書を、自然、神社仏閣、建造物、江ノ電、その他の5部構成に分け、当時の鎌倉の様子をわかりやすく紹介しています。
 古都鎌倉は全国でも屈指の観光地として連日多くの観光客が訪れ賑わいをみせています。観光名所では誰もがデジタルカメラやカメラ機能付携帯を持ち、手軽に写真を撮ります。しかし当時はカメラを一般の人が手軽に持てる時代ではなく、絵葉書は大切な記念品でした。
 現在それらの絵葉書は、作成された当時の町並みや景観を現在に伝えてくれる貴重な歴史資料となっています。

◆『なぎさホテル』―NAGISA HOTEL―
伊集院静著 小学館発行 2011年 [K98.32/18]

 現在も人気と注目を集める作家・伊集院静氏。彼が28歳から34歳の7年間にわたって、逗子海岸の「なぎさホテル」に逗留し続けた当時の経験を随想録『なぎさホテル』として綴りました。
 著者は東京での暮らしをあきらめ、故郷に帰ろうと東京駅構内に立った時に海が見たくなり、横須賀線に乗って降り立ったのが逗子駅でした。海を眺めながらビールを飲む彼に声をかけた人がホテルの支配人。彼は支配人から海を望む部屋を提供されます。この部屋で最初の小説『皐月』が書かれました。彼の作家としての原点は「なぎさホテル」にあります。
 なぎさホテル」は大正末期、湘南で初めて建てられた洋館式のホテルでした。白を基調色とした木造二階建て、時計台が印象的な建物でした。  ホテルは平成元年に歴史を閉じ、跡地はファミリーレストランとなりましたが、彼は今でも海が見えるホテルの窓辺を思い浮かべるそうです。

かながわ資料室の新着資料

かながわ資料室の新着資料の一部をご紹介します。

タイトル 著 者 出版者 出版年 請求記号
臨床教育と〈語り〉中桐万里子京都大学学術出版会2011 K157 662
洪水にいどんだ金次郎漆原智良同友館2011 K157 663 1
鎌倉古社寺辞典吉川弘文館編集部吉川弘文館2011 K18.4 336
戦国関東の覇権戦争黒田基樹洋泉社2011 K24 469
中世地域社会と将軍権力菱沼一憲汲古書院2011 K24 470
ミドリさんとカラクリ屋敷鈴木遥集英社2011 K28.62 39
関東・甲信越鉄道廃線跡ルートガイド西本裕隆メイツ出版2011 K291 759
キャーッ!大山街道!!中平龍二郎風人社2011 K291 760
新・台所からみた政治船木たつの東信堂2011 K31 701
主婦たちがつくった“暮らしの砦”渡辺ひろみ(1934~)自治体研究社2011 K36.21 184
登戸研究所から考える戦争と平和山田朗芙蓉書房出版2011 K39.21 24
小網代の森の住人たちナホコ・フクシマ・ジポーリン八坂書房2011 K46.33 13
神奈川県内どんぶりの繁盛店 湘南海童社2011 K67 253
うまいぜベイビー伝説古谷一郎旭屋出版2011 K67.63 13
バスグラフィック vol.11 ネコ・パブリッシング2011 K68.1 311 11
横浜ノスタルジア広瀬始親河出書房新社2011 K74.1 93
美空ひばり公式完全データブック加藤和也(1971~)角川書店2011 K76.1 120
伝説の「カフェ・ブレッド&バター」岩澤幸矢ワニ・プラス2011 K76.53 19
コクリコ坂からビジュアルガイドニュータイプ角川書店2011 K77.1 113
僕がバナナを売って算数ドリルをつくるワケ天野春果小学館2011 K78.21 48
空撮東京湾釣り場ガイド 2佐々木正和コスミック出版2011 K79 37
早雲の軍配者富樫倫太郎中央公論新社2010 K97.7 89

コラム・かながわ・フォーカス

[神奈川の祭り ~昭和の記録写真から~]

≪秋葉山の火伏≫…小田原市板橋(秋葉山量覚院)


 写真撮影日:昭和35年12月6日 [請求記号:K7/1]

【解説】
 毎年12月6日の夜、量覚院で修験者装束の山伏が天下泰平の祈願や無病息災を願います。秋葉山火防(ひぶせ)祭とも称されています。
 最初に本堂内陣の護摩壇で修験道の修法が行われ、終ると屋外で柴燈(さいとう)行事へ移ります。三間四方に忌竹(いみだけ)を張りめぐらし、中央に砂を敷き、松の木の柴燈を正方形に1メートル以上の高さに積み、護摩壇の聖火を柴燈に移します。そこで山伏問答〔山伏が本物かを確認する式〕、宝斧式(ほうそしき)〔鉞(まさかり)で大地を打つ呪法〕、宝剣式〔鉾(ほこ)で火を切る式〕、宝弓式〔四隅と火炎に弓を射る式〕などの儀式が行われます。これらの儀式が終わると山伏が参拝者の前で手に持った二本の松明をグルグル振りまわし、空間に梵字を描きます〔火防の呪禁〕。。
 最後は柴燈が燃え崩れて燠(おき)となった上を信者たちが火渡りします。これを当山では火生舞(かしょうまい)と呼んでいます。

本堂内の護摩壇の写真
写真1
最初に本堂内の護摩壇で、
修験道の修法があります
(燃えあがる乳木の炎)
秋葉山火伏に使われる呪具の写真
写真2
秋葉山火伏には斧・剣・弓などの
武具が主要な呪具として
使われています
松の木の柴燈の写真
写真3
松の木の柴燈を
積み点火
柴燈を見守る人々の写真
写真4
燃えあがる柴燈を見守る人々
後に燠となった上を信者たちが
火渡りをします

※画像をクリックすると拡大します(写真1~3)

【参考文献】
『神奈川県史』各論編5 民俗 神奈川県企画調査部県史編集室編 1977年 [請求記号:K21/16-2/5]
『かながわの祭と芸能』永田衡吉著 1977年 [請求記号:K38/52]
『神奈川県民俗芸能誌』永田衡吉著 1987年 [請求記号:K38/15]


コラム・かながわ あの人・この人

梅沢 梅豊【うめざわ ばいほう】 宝暦7年(1757)~文化9年(1812)

 江戸中期の俳人。
 宝暦7年(1757)鎌倉郡山崎村(現鎌倉市山崎)生まれ。梅沢九左衛門尋庸(ひろつね)。山崎村柿原に住んだので柿原舎と号し、俳号を梅豊としました。通称山崎の大梅沢家の分家で、「隠居」とよばれている梅沢家の五代目です。
 九左衛門の頃の山崎村は3人の旗本に分級され、九左衛門は松前氏の領地に属し、名主役を務めていました。当時の「隠居」梅沢家は豪勢を極めており、江戸遊学当時の友人である水戸藩士加藤曳尾庵の紀行文『我衣』のなかに、家の構は横十六間、奥行十二間、(約二百坪)で表門の長屋門は長さ十間もあり、さながら浅草の観音堂のようであったと記述があるそうです。
 九左衛門は江戸に遊学し、詩文、漢学、書道を修めて帰村後は俳句を春秋庵雄門の倉田 葛三を師としたと伝えられています。 文化9年(1812)歿。墓所は山崎池ノ谷共同墓所梅沢家墓地。。
 鎌倉の山崎天神境内に梅豊の碑文があります。また、江ノ島道の道標には「是従江のし満」と書かれ、梅沢尋庸(梅豊)が建立した記録が刻まれています。

 

【参考文献】
 『鎌倉第56号』鎌倉文化研究会編 1987年 [請求記号:K05.4/4/56]
 『神奈川古俳人展望』金澤文庫編 1953年 [請求記号:K93/94]
 『神奈川県下芭蕉句碑』飯田九一著 1952年 [請求記号:K93/2]
 『鎌倉の俳人』鎌倉近代史資料第六集 木村彦三郎著 1991年 [請求記号:K27.4/17/6]
 『鎌倉古寺百花撰』林蓬生著 1977年 [請求記号:K93.4/24]
 ※芭蕉句碑スケッチ(飯田九一文庫)